2015年6月号

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連載記事

海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~


JA3AER 荒川泰蔵

その27 アマチュア衛星通信が盛んに 1984年 (3)

アマチュア衛星通信が盛んに

日本のアマチュア通信衛星JAS-1は2年後の1986年になるが(写真1)、この時代はアマチュア無線衛星OSCAR-10による交信が盛んに行われ、通信衛星が普及した時代でもあった。JARLは通信衛星JAS-1の製作費用などを捻出するための寄付を募り。協力者には感謝状と共に記念のテレフォン・カードやステッカーを贈った(写真2)


写真1. 日本のアマチュア衛星JAS-1打上げの記念カバー。種子島1986年8月13日の消印がある。

写真2. (左)JAS-1打上げ記念のテレフォン・カード。(右)JAS-1への寄付金協力者に送られたステッカー。

1984年 (フィリピン DX1N, DX7JP)

1984年から1986年までフィリピンに住まわれたJH3OII中村千代賢氏は、当時フィリピンからDX1N(写真3)で運用したとレポートを寄せてくれていた。「相互運用協定のない場合は、局免を一切認めぬという新方針によって、クラブ(Don Bosco Technical College A. R. C.)の一員としてのオペレーションとなった。但し、免許状の設置場所は私の自宅になっている(写真4)。その様なクラブ局のスポンサーが必要ということ。日本人向けの免許は下りた前例はあるが、現在は一層厳しくなっており不可能に近い。これらの前例は全て政府の高官を通じたコネで、無理やり許可させた様である。尚、Philippines政府より日本の郵政省へ相互運用の申し入れは既に行われているが、郵政省では今日(1985年3月2日)時点では何らのActionもしていない様子。(1985年3月記)」 そして1987に手紙でその後の様子を知らせてくれた(一部抜粋)。「さて、新政府になったフィリピンでは、各省において法改正が進んでいますが、最近アマチュア無線に関する法令も改正案が承認され、2月中に同国の官報に掲載される予定です。その趣旨は、1. ノーコード級のデジタルクラス追加、2. 外国人アマチュアの広範囲な受け入れ、3. 連盟PARAとの協調の強化、ですが我々に関係の深い2.については、相互運用協定の有無にかかわらず、相手国で自国民に与えられる権利は同様の権利をその国の国民に与える、という内容です。ですから日本の場合、従免の受験資格は外国籍でも与えられるので、日本人もフィリピン従免の受験資格が与えられる事になります。但し、これは本来の相互協定の推進を妨げることなく、あくまでフィリピンと日本間の協定は実施すべきであるとの事です。本協定についてはJARLよりPARAへの87年1月の回答では「検討中」とのことですが、フィリピン側ではOpenな態度で臨んでいるので、早く日本側の回答が得られる事を望んでいる様です。(1987年1月追記)」


写真3. (左)DX1N中村千代賢氏のQSLカード。(右)ニューヨークからN2JA塚本葵氏(右から3人目)を大阪に迎えての食事会に参加した面々、左から2人目がDX1NのJH3OII中村千代賢氏で、3人目がDX7JPに協力した故JA3UB三好二郎氏 (2000年)。


写真4. (左)DX1N中村千代賢氏の免許状。(クリックで拡大)
(右)DX1N中村千代賢氏の住居と屋根の上に見えるトライバンド八木アンテナ。

故JA3UB三好二郎氏は1984年9月にセブ島でDX7JPのコールサインで行われた京都アマチュア無線振興会のDXペディションに協力したと、それを報じたCebu Amateur Radio Leagueの機関紙SPLATTERSのコピー(写真5)とQSLカード(写真6)を送ってくれていた。(1985年12月資料受領)


写真5. DX7JP DXpeditionを報じるセブ・アマチュア無線クラブの機関紙「SPLATTERS」1984年9月号。
(クリックで拡大)


写真6. DX7JPのQSLカード。

1984年 (西サモア 5W1EZ)

JE1JKL中村哲氏は米領サモアからNH6J/NH8として'84 CQ WW DX Contest CWに参加する前に西サモアで運用した経験をアンケートで寄せてくれた。「アメリカンサモアからNH6J/NH8として'84 CQ WW DX Contest CWに参加しましたが、その前の2日間、西サモアの首都アピアよりQRVしました。免許は日本の資格で「例外」として発行されました(写真7) (何人もの日本人が「例外」として免許を得ていますが)。9月に必要書類を添えて西サモアポストオフィスに手紙を書いたところ、すぐ返事をもらい、現地到着後免許状を受け取りました。オペレートは主にHotel Tusitalaから行いましたが、1.8MHz/3.5MHzの運用はアンテナの関係で、5W1EJのシャックから行いました。(1985年4月記)」


写真7. 5W1EZ中村哲氏の免許状。

1984年 (オーストラリア VK2CTM, VK1TM, VK3ELM)

JH1NVZ増田清氏は1984年にVK2CTMとして運用している旨のアンケートを寄せてくれたが、それ以前にもVK1TMVK3ELMのコールサインでQRVしておられたようだ。「1968年VKにて免許申請したが、外国人のため取得できず。1976年Novice Licence発行を期に外国人にも免許を与えることになり、VK1TMで個人コール取得、VKに於ける日本人初と思います。その後、日本人も続々取得し、私の記録でも15名ほどは居ります。殆どは日本の免許に基づいた無試験取得と思います(但し、この場合1年のみで延長は出来ない。尤もVKでは毎年Renewalが必要)。これはVK関係当局の一方的なReciprocalであり、日本からは免許を与えていないので、甚だ心苦しい感じがします。ハムジャーナル、CQ誌にも「一方的な相互運用協定」として投稿しましたが、未だに何等の方策はなく、日本関係当局のまことにお役所的仕事に腹を立てています。何とか皆で協力し、外国人にも日本で免許を与えられる様、努力しようではありませんか?(1985年7月記)」

1984年 (JA5DQH奈木昭人氏による南太平洋ツアー KA7LER/KH2, VK4AHI, ZL0TAD, A35WW, 5W1ES)

JA5DQH奈木昭人氏からは、この年(1984年)、「SOUTH PACIFIC OCEAN 1984」 として南太平洋の国々で運用した一連のレポートを頂いた(写真8及び9)。先ず、グアム KA7LER/KH2については、「1984年オセアニア各国を回った際、1月29-30日と3月8-10日の2回グアムに寄った。この時はライセンスがNoviceの為(写真10)、無線は楽しむことが出来なかった。しかし、この残念さがUPGRADEの気を起こさせるのに役立ったのは確かです。やはり米国の免許制度は良く出来ています。(1985年6月記)」


写真8. (左)JA5DQH奈木昭人氏による南太平洋ツアーのQSLカード。(右)JA5DQHのシャックでの奈木昭人氏。


写真9. (上)JA5DQH奈木昭人氏の免許申請書。(下)それに添えられた免許証の英訳証明書とJARLの会員証明書。
(クリックで拡大)


写真10. KA7LER奈木昭人氏の免許状。

オーストラリア VK4AHIについては、「ブリスベンではAviation Houseの中にあるDepartment of Communications Radio Frequency Management Divisionという所でライセンスを得ることができた(写真11)。資格はオールバンド・オールモードのVKの最上級で、JAの1アマから厚意で許可してくれたようである。コールサインは希望するコールが空いている場合は、希望コールサインがもらえる。Feeは1年間19ドル。(1985年5月記)」


写真11. VK4AHI奈木昭人氏の免許状。(クリックで拡大)

 

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