2015年11月号

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連載記事

熊野古道みちくさ記


熱田親憙

第18回 住吉神社から方違神社へ

天王寺から庶民の足である阪堺電車に飛び乗り住吉で途中下車し、熊野街道に沿う住吉大社に立ち寄った。

丁度、吉祥殿から結婚式を終えた新郎新婦に出会う。親族に祝福されながら、神職と巫女さんに先導されて、一歩遅れて歩く小柄な新婦さんは大きな純白の角隠しを覆い、赤い太鼓橋をバックに家族記念撮影。新緑の神木に囲まれて、契の儀式に相応しい神聖な舞台であった。

本宮を奥手に進むと、樹齢約千年の楠を神木にしたお稲荷さんがあり、毎月初の辰の日が参詣日で賑わう。初辰さんに毎月来て、招福猫を受けて48回満願の月詣を楽しんでいるという女性に出会った。彼女は1回怠ると忘れ物したようで落ち着かないとか。月詣が人生の句読点になっておられるようだ。彼女と共に種貸社をたずねた。改築されて入り易い構えになっており、五穀豊穣の元種の神として有名である。キーワードは「一粒万倍」。稲の元種から子宝、資本、智恵の元種まで広げられ、限りのない人の願いが信仰の源になっている。

種貸社の隣には、住吉大神のご加護をえて、老夫婦に授かった一寸法師の御伽草子でのお椀がある。少し離れた神木の木元には、丹後局が難を逃れてここの石に掴まり、薩摩藩の祖、島津忠久公を無事出産した誕生石が横たわっている。住吉大社は昔海辺で、海の守護の社から、産みの守護神に広がって、今なお多くの参拝者を得ている。

住吉を経て熊野街道は南海高野線沿いに移り、最寄りの堺東駅にて下車。堺と葛城を結ぶ長尾街道に出てガードを潜ると右手に方違神社がある。創建は紀元前90年と古い。当地は摂津、河内、和泉の三国の境に位置し、方角のない聖地にあることから方災除けの神として崇められている。東西に走る難波と飛鳥を結ぶ竹内街道、南北に走る熊野街道の交差点として奈良時代から往来が激しく、当神社は休憩の場にもなっており、今でも参詣者が多いせいか、門前のそば店も活気が感じられる。古人にとって新転地に移り住まなければならない場合や旅に出る時、喜びと共に不安が募り、ご加護を求めたのであろう。今でも、引っ越しや海外旅行となると参拝に来られるという。

堺東駅からバス停山の口橋で下りて、沢庵和尚により再建された南宗寺を訪ねようと川を渡ろうとしたら、「ここから小栗街道」と表示があり、橋の欄干に熊野詣での絵が4枚貼り込められていた。小栗判官、照手姫の物語を思うと室町時代の参詣者の賑わいが聞こえてきそうで、しばし佇んでしまった。足元に流れる土居川は室町時代に貿易で繁栄した堺が自治都市として堅固な町にするためにつくった環濠の遺跡であった。この環濠も大阪城の築城を機に取り壊しとなった。大阪市が都構想で堺市に合併を迫った今日とダブり、歴史は繰り返される事を痛感した。

今回は産み出すことに喜びを得たい人と、変化を求めながらも安全でありたい人の、ニーズの違った2つの方達が参拝する神社を訪ねた。人間の欲望は昔も今も変わらぬことを感じた一日となった。


スケッチ 住吉神社(大阪市住吉区住吉)

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