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今月のハム

JE1BQE 根日屋英之さん

東京都の23区の中で一番面積が小さい台東区から、アマチュア無線の運用を楽しんでいるJE1BQE根日屋さん。秋葉原の電気街まで歩いて10分という電子部品等の調達には極めて好環境にお住まいの根日屋さんは、電気街を遊びの場として育ち、小遣いの大部分が電子部品に化けて、子供の頃から電子工作に明け暮れていた。子供の頃に見たアメリカのコメディドラマで、嵐の中をクルーザーで航海していた主人公が遭難し、たどり着いた島で、船に積んであったラジオを無線機に改造してSOSを出すシーンに刺激を受け、自分も遭難したら、ラジオを無線機に改造できなければいけないと思ったとのこと。科学雑誌に出ていたアマチュア無線の通信教育の広告で、電波を出すには免許が必要なことを知り、小学生の頃から早くアマチュア無線の免許を取りたいと思っていたが、免許を取るのは中学受験が終わってからという親の教えに従い、中学に入学してから物理部に入部し、先輩の指導を受けながら、1971年(中学3年生のとき)に電話級アマチュア無線技士を取得した。両親から無線従事者免許取得祝いとしてプレゼントされた144MHzのFMハンディ機でJE1BQEを開局した。

開局当時は、自宅から半径100m以内に20局以上のアマチュア無線局がいるという無線局の密集地で、根日屋さんは夜な夜なラグチュウを楽しんだ。近所の社員寮から電波を出している秋葉原の電器店で働く店員も多く、根日屋さんは彼らから多くの秋葉原の部品情報や技術的なアドバイスを得たという。オンエアは144MHz FMから始めたが、すぐにHF帯の運用も始め、1974年(高校生のとき)に2アマの免許を取得して、ますますアクティビティを上げていった。当時は、100Wの無線機を使うにも電波監理局の検査を受けなければならない時代で、「無線局の変更申請をしてから検査まで何ヶ月も待たされた」と当時を語る。

大学生になってからは秋葉原のハムショップでアルバイトもしたが、無線機を買いに来た人たちとの会話が楽しく、学ぶことも多かったそうだ。1976年には富山県魚津市でJA9QZHを開局した。これはノイズの少ない環境で衛星通信をやるのが目的だった。東京は都市ノイズのレベルが高く、衛星からの微弱な電波を良好に受信できる環境ではなかった。そこで根日屋さんは、電波環境が良く母方の親戚の家があった魚津市で開局し、オスカー7号(AO-7)を使って衛星通信を楽しんだ。

同年には大学の夏休みを利用し、ドイツ(当時の西ドイツ)に在住していた叔父を訪ねて、バイエルン州アッシャフェンブルクからJE1BQE/DLで2ヶ月間ほどオンエアした。当時はまだ日本との相互運用協定が締結されていなかったが、ドイツのDARCに問い合わせたところ、日本の免許の英文証明による運用申請だけで、クラスAの短期免許を得ることができたという。当時はまだ、日本人が海外から運用するケースは少なく、ドイツでは新聞社から取材も受けた。現地で根日屋さんの144MHzの電波を聞いたドイツ人初級局(VHF帯以上しか出られない)の間では、「VHF帯で日本からの電波が聞こえている」と大騒ぎになっていたそうだ。また、HF帯でのドイツ人同士のQSOの中でも、JE1BQE/DLについて語っているのを、ニヤニヤしながら聞いていた。その後もドイツを度々、訪問し、アマチュア無線を楽しんだ。1980年以降は、コールサイン表記もJE1BQE/DLからDL/JE1BQEに変わった。

大学卒業後、1980年に自動車メーカーに就職し、電装機器の設計を担当したが、もっと無線に関わる仕事に携わりたかった根日屋さんは、1981年に電機メーカーに転職した。この会社で根日屋さんは、5人の部下を持つグループのリーダーを任され、無線関連の新規事業を企画し試作までを行う職場環境を与えられた。大きな会社でありながら、業務経験の浅い技術者にもチャレンジする機会を与えてくれることに、根日屋さんは、感謝の気持ちと重い責任を感じたそうだ。そこで根日屋さんは、相手との距離を測定するレーダー技術に工夫を加え、相手が何かまでを知ることができないかを考え試作を行った。これは、後にUHF帯RFIDと呼ばれる無線方式の一つとなった。RFIDとは、質問器(リーダー)と呼ばれる無線機から送信された電波を応答器(RFID)が受け、その電波をRFIDが反射するときにRFID内のメモリに書き込まれた情報で電波に変調をかけ、質問器に電波を送り返すという技術で、現在は、工場内の製品生産ラインや、倉庫内での在庫管理、物流における荷物の管理などで広く使われている。根日屋さんは、RFID開発当時を振り返り、「RFIDの企画から試作機までを作れたのは、プロジェクトチームのメンバー全員がアマチュア無線の免許を有し、好奇心旺盛なアマチュア精神のある仲間と開発ができたからだと思っています」と話す。

その後、根日屋さんは、この電機メーカーで、人工衛星搭載用無線機、人工衛星地上局、光通信モジュール、レーザーレーダーなどの開発を担当したが、一つの壁にぶつかった。無線機の開発には高価な測定器が必要であるが、大きな企業であっても、部や課の単位になると高価な測定器を購入する予算はなかなか認めてもらえず、根日屋さんは、高周波の測定器を有する無線機の設計に特化した外部の専業会社と協業する分業体制が、効率的に無線機を開発できると考え、1987年に電機メーカーを退職し、根日屋さん自らが、東京・秋葉原で、無線機の設計会社(株式会社アンプレット)を起業し、社長に就任した。優秀な無線技術者を集めても測定器が無ければ能力は発揮できないことを役員会で説明し、まずは必要と思われる測定器を全てそろえた。この経営方針は間違っていなかったようで、無線機の設計業務の受注は順調であった。根日屋さんは、この会社で、念願のアマチュア無線機の設計も手がけ、また、40歳を過ぎてから大学院に入学し、高効率の小型アンテナ(スパイラルリングアンテナを考案)の研究を行い、工学での学位(博士)を得た。


根日屋さんが愛用してきた無線機群。この棚には根日屋さんが設計に関わった数台の無線機も飾られている。

最近では、人の体を伝送路として近距離の無線通信を行う人体通信の研究を行い、普及に努めている。人体通信とは、人体近傍の電界を利用する近距離無線方式の一つ。この技術に興味を持ったのも、実は、アマチュア無線時代の経験が大きな要因となっているそうだ。根日屋さんが中学生の頃、真空管でラジオを作っていたとき、調整をするために回路に手を近づけると動作が変わってしまう経験から、人体は高周波回路に影響を与えることを知った。また、ブラウン管を用いたテレビの画面に手のひらを近づけると、何か目に見えない手のひらを押し返すような力を感じ、この二つの現象が根日屋さんを人体通信の研究に引き込んでしまった。

人体通信の受信機を思いつくまま試作しているときに、低い周波数で周期的な信号が受信されていることに気づいた。この信号は心臓の鼓動に同期している。そこで、心臓を挟んで、2枚の電極(無線通信のアンテナに相当)を、人体には非接触で服の上に配置すると、心電図らしきものが得られた。心電図についていろいろ調べてみると、心電図の波形は、心臓周りの肋骨や筋肉のつき方で個人差が出るようだ。そこで、人体通信の受信機で心電図を取り、個人認証に使えるのではないか・・・ということから、根日屋さんは、RFIDの次は人体通信技術を用いた個人認証だと思ったそうだ。

人体通信のアマチュア無線への応用としては、マイク、ヘッドホン、キーパドル、パソコンなどと、無線機の間の接続を、人体を伝送路としてワイヤレス化することが考えられる。すでに根日屋さんは、人体通信技術を応用したワイヤレスエレキーを完成させた。人体通信の特徴として、消費電力が極めて小さい。通信頻度にもよるが、ボタン電池1個で十年くらい動作する無線端末も設計できる。根日屋さんは、「人体通信機器を試行錯誤で試作していると、新たな現象の発見があり、昔のアマチュア無線を始めた頃の好奇心を思い出させてくれます。」と話す。「私も残された人生で、アマチュア精神で、人体通信の実用化をめざしてがんばらねばと思っています」と続けた。


人体通信の実験をするアンプレット通信研究所の技術者

根日屋さんは、アマチュア無線をやってきて良かったこととして、年齢を超えた人の繋がりが広がったことを挙げる。日本で古いアマチュア無線のクラブの一つに東光クラブがある。根日屋さんはこのクラブの会合に小学生の頃から参加するようになり、そこで、雑誌で見た有名なJA1VX(ex J2OV)香取さんや、アマチュア無線雑誌に多くの製作記事を執筆されていたOM方と出会い、無線の面白さを教わった。また、自宅の近所に、日本初のYLハムJH1WKS(ex J1DN、J2IX)鈴木(旧姓杉田)千代乃さんがおられ、「杉田家の方々との出会いは、とても刺激的でした。」と話す。

根日屋さんが開局した1970年代の初め頃は、自宅周辺には高いビルがほとんどなく、5階建てだった自宅の屋上に設置したアンテナで、カリブ海やアフリカの珍局とも、聞こえていればQSOできた。しかし、近年では、東京オリンピックに向けての東京再開発で、周りに高層ビルが建ち始め、さらに都市ノイズのレベルも高くなり、秋葉原の自宅から、アマチュア無線の運用に限界を感じているそうだ。


自宅兼職場の屋上に接した50MHz帯4エレ八木とHF帯のワイヤーアンテナ群

根日屋さんが好きなバンドは、そんな東京でも建てられる小さなビームアンテナを用いた50MHz。それに海外交信も好きなので、HF帯にもダイポールアンテナで出ている。「自宅の屋上の広さでは、HF帯のビームアンテナが建てられないので、運用モードは、ほとんどCWです。無線の原点はやはりモールスですね。モールス符号でも感情が込められますよ」と話す。

将来の夢として、「生まれてから今まで、庭の有る家に住んだことがないので、仕事を完全にリタイアしたら、庭のある家に移り住み、タワーを建てて、HF帯のビームアンテナを上げて、残された人生も無線も楽しみ続けたい」と話す。根日屋さんはこの夢を実現するためのアクションをスタートした。現在、6局のアマチュア無線局の免許を有している。それらは、生まれ育った東京都台東区(200W固定局)の他に、神奈川県川崎市多摩区に1kW固定局、千葉県いすみ市に50W移動局の関東地方に合計3局のJE1BQE、富山県魚津市には1976年に開局したJA9QZH(現在は100W固定局)、小笠原諸島に1kW固定局のJD1BOO、韓国・大田広域市に100W固定局のHL3ZCGである。この中で、千葉県いすみ市のシャックは、太平洋が見渡せるロケーションなので、ここに将来の夢のシャックを持つ計画を温めている。

根日屋さんは還暦を迎えたときの記念運用として、誰もまだ電波を出していない小笠原諸島の西之島から電波を出せないかを真面目に考えたが、開局は不可能とわかり、母島でJD1BOOを開局した。また、根日屋さんは、韓国の忠南国立大学でも講義をすることがあるので、同大学の禹鍾明教授が身元を保証し、禹鍾明研究室(アンテナ研究室)内にHL3ZCG(個人局)を開局した。すでに還暦を過ぎて数年が経ってしまったが、JD1BOOもHL3ZCGも、共に現在も免許が有効なので、現地に行けば運用できる状況だという。



根日屋さんは還暦を機に、株式会社アンプレットの社長を退任したのと同時に、アンプレット通信研究所を設立し、人体通信、高周波回路、アンテナの研究を継続している。現在も、講演会や企業向けセミナーの講師、執筆活動をこなしながら、大学での講義も行っている。「日本の将来を担う子供たちに、無線通信を通して科学の面白さを伝え、その中から将来の科学者が生まれることを楽しみにしています」と熱く語り、現在も子供たちに科学の楽しさを教えている。

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次号は 12月2日(月) に公開予定

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