2014年5月号

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特別連載

D-STARの開発と実用化

編集部

第1回

日本で発祥し、その後世界の標準になった仕様は多くはない。無線通信に関する仕様となると非常に少ない。その少ない中でも、アマチュア無線界が世界に誇れる仕様がアマチュア無線のデジタル化技術「D-STAR」である。2014年5月時点で、世界約50ヶ国において、約2,000基ものD-STARレピータが稼動し、世界中の多くのアマチュア無線局が使用している。

本稿では、D-STARの開発と実用化と題し、合計3回に分けて、開発の核心部分を裏話なども交えて紹介しながら、D-STARの優れた有用性、将来性について詳説する。

「D-STAR」プロジェクト

「D-STAR」プロジェクトのスタートは、平成10年度(1998年4月~1999年3月)に郵政省(現在の総務省)から、社団法人日本アマチュア無線連盟(現在の一般社団法人日本アマチュア無線連盟、以下JARL)が「アマチュア無線の周波数の有効利用を図るためのデジタル化」技術の調査検討について委託を受けたことから始まる。

郵政省からこの調査検討を打診された、JARL会長(当時)の原昌三氏は、これを進めるにあたって業界の協力なしでは困難と考え、日本アマチュア無線機器工業会(以下JAIA)に協力を要請した。しかし、JAIA内にはデジタル化に強く反対する会員会社があり、JAIAとしての協力は難しい状況になった。このため、JARLからは、アイコム株式会社(以下アイコム)に対して協力要請がなされ、アイコムの小川伸郎氏と櫻井紀佳氏の両名が、JARL会長の原氏から詳しい説明を受けて協力を受諾した。

国の予算を使っての調査検討のため公正で透明性が図られ、このため調査検討会が発足され、その委員長にはJA3OZ藤原功三氏が就任した。この委員会は、大学教授が1名、この種の技術に詳しいアマチュア無線家が2名、JAIAの会員会社(機器メーカー)の技術者が5名、財団法人日本アマチュア無線振興協会(現在の一般財団法人日本アマチュア無線振興協会、以下JARD)から1名等で構成された。さらに、郵政省からも検査官、ならびに技官がオブザーバーとして参加し、JARLが事務局を務めた。これに関しては委員の名前を含むすべての詳細情報が既に総務省より情報公開されている。

この調査検討に必要な機材は、郵政省が調達してJARLに貸し出すことになり、初年度の「デジタル伝送シミュレーション装置」(Test equipment for digital transmission simulation)の入札による調達が行われた。国が行う入札のため、所定の手続きなど厳格で公正に行われ、その他の国の予算による入札と、手続きや処理が異なることはなかった。従って、どのメーカーでも公平に参加できる形でのスタートだった。

初年度の調査検討

この機器の入札にはアイコム以外に参加するメーカーがなかった。この理由として、一からこの機器を開発して国に納入しても、開発に費やす経費を考えると採算が合わず、利益が出ないことが分かっていたからだと考えられる。アイコムによると、アマチュア無線の将来を考えて先行投資のつもりで採算を度外視し入札に参加して落札したもので、この機器の納入先はJARLではなく全て郵政省であり、アイコムがJARLから裏金を貰ったと言うような悪意あるデマが出ること自体不思議でならないという。

この調査検討会の下には作業部会が作られ、アイコムは機器の納入業者として、そこで得たノウハウを含めた技術的な協力を行うとともに、アイコム以外の一部のJAIA会員会社の技術者も共に協力して実験や調査を行った。初年度の試験は主にデジタル変調による占有帯域とデータ速度、雑音によるエラーの程度等を実験、調査するもので、これはJARLの技術研究所で行われた。

この試験機はFSK、PSK、BPSK、MSK、GMSK、QPSKの全ての変調モードの試験機のため、QPSKの復調も必要になった。しかし、この単独機能のICは当時手に入らなかったため、遅延検波器をCMOSのロジックICで作って間に合わせたという。郵政省の調査検討会は初年度に4回開かれ、その検討結果はJARLより郵政省に「アマチュア無線のためのデジタル化技術に関する調査検討報告書」として納入された。


初年度の実験状況

2年目の調査検討

2年目の平成11年度(1999年4月~2000年3月)も、当時の郵政省より予算がつくことになり、前年度をベースにした「アマチュア無線のためのデジタル化技術の調査検討」について前年度と同様に郵政省からJARLが受託した。

調査検討会も同様に設けられ、委員長は継続して藤原氏が就任し、一部委員の変更はあったが、この年度も調査検討会が4回開かれ、JAIAに加盟するほとんどの会員会社の技術者が委員として参加した。その後10年も経過してから、D-STARの技術がどのように決まったのか知らない、と公然とD-STARを非難するJAIA非会員の会社があるが、この会社も当時はJAIAの会員であり、その会社の技術者も当時は一緒に泊まり込みで検討を行っている。当然それはプライベートの参加ではなく、会社代表としての参加だった。

この調査検討に必要な機材も、総務省から国際入札による調達がなされ、JARLにその機材を貸し出すことになり、前年同様の手続きが取られた。この年から国際入札となり意見聴取や入札に必要な事項については官報に載せられ、誰でも公平に入札の情報が分かるようになっていた。この年度は「デジタル伝送技術試験装置」(Test equipment for digital transmission technology)が調達され、この年もアイコム以外入札に参加する企業が無かった。その理由は前年同様に、これだけでは採算が合わないと考えられたからではないかと思われる。

これらの機器の入札は11月で納入が1月末であった。製作する時間が短いため、相当ハードな作業になった。アイコムの櫻井氏によると「担当した3年間のお正月休みはゆっくりした気分にはなれませんでした。納期は絶対であり、初年度と次年度は結局納入日の前日も徹夜作業となり、できあがって試験もほどほどに機器を車に積み込み、夜中に奈良から東京に向けて出発しました。あらかじめ徹夜作業になることは分かっていましたので、運転の安全を考え他の部署に運転要員を頼んでおり、納入日当日の早朝3時に出発し10時に納入しました。途中東名高速道路の足柄サービスエリアでの富士山は雄大で、真っ白な夜明けとなったことを今でもよく覚えています。」と話す。

この試験装置を使った実験はJARLが中心となり、JAIAの会員会社が何社か協力して行われた。この年度ではまだ実際の電波を発射した実験ではなく、同軸ケーブルで接続した仮想の装置として実験が行われ、この時の基礎データがその後のD-STARの仕様の元になった。

郵政省の委託はこの実験の報告書を成果物として納入することであり、JARLはこの年度も調査検討会で得られた内容を、「アマチュア無線のためのデジタル化技術に関する調査検討会報告書」にまとめて郵政省に納入した。


2年目の機器構成


2年目に納入した機器

3年目の調査検討

この郵政省のプロジェクトは実は3年間の予定になっていたが、国の予算は単年度が原則であり、1年毎の予定で、3年目となる平成12年度(2000年4月~2001年3月)も、JARLが郵政省より、前年度より更に進めた「アマチュア無線のためのデジタル化技術の調査検討」について受託した。

調査検討会も同様に設けられて、委員長は藤原氏が続投し、委員に一部変更はあったが、それまで同様に公正さが保てるメンバーが委員に就任した。郵政省側も一部担当官に変更はあったが、引き続きオブザーバーを務めた。

この年度も調査検討に必要な機器の調達は郵政省よりなされ、仕様を決めるためのパブリックコメントが募集された。それに対してアマチュア無線の機器を作っていない会社から意見が提出され、入札に参加するのではないかと思われたが結局参加はなく、結果的に3年間アイコムが担当することになった。繰り返すが、国の予算に関わる入札は公平かつ厳正であり、誰でも入札に参加できる反面、それまでの経緯による便宜等は全くない。この年度の機材の調達は、より実用化に近い「アマチュア無線のためのデジタル化送受信装置」(Test equipment of digital transmission and receiving for amateur radio)で、前年度の機材も同様に使って実験するものだった。

このような新しいデジタルのシステムは総務省(この年度より郵政省が総務省に組織変更)が、国の予算を使って進めたもので、アマチュア無線に関係するメーカーは協力して新たなシステムを構築する必要があった。このため、アイコムを含めて3年間継続して実験に協力したメーカーがあった反面、まったく協力しないメーカーもあった。

この年度には総務省から、デジタル通信における伝搬遅延の影響についても調査検討の必要があるとのことで、入札した機器の中には遅延等化器が含まれていた。この機器については机上での検討では確かに有効であることが確認されたが、実際の移動試験ではフェージングによる信号の欠落の方が支配的となり、必要不可欠のものではないことが確認されたため、その後の実験から外された。下のブロック図ではDelaying Equalizerと表されている。


遅延等化器 (Delaying Equalizer)


3年目の機器構成


納入機器

実験局による通信試験

これらの機材を使った実験の内容は、既にJARLニュース等に掲載されているが、房総半島において実施された。当初の下準備では房総半島の富津と、対岸の観音崎のホテルが予定され、あらかじめ実験も行われたが、調査検討会で海上伝搬は安定しないとの話が出たため、急遽場所を変更することになった。このため、JARL技術研究所長(当時)の森氏と課長の近藤氏が、調査検討会の藤原氏から紹介のあった箱根付近に場所の選定に向かったものの、目的の施設は冬場は早く閉まってしまって使えないことが分かった。その後種々検討の結果、房総半島の富津にある東急ホテルと、山の上のマザー牧場との間で実験することに決まった。


富津側


マザー牧場側

その実験の主要メンバーであった櫻井氏が不慮の事故でアキレス腱を切った。実験に支障がでるのではないかと懸念されたが順調に回復し、予定通りに実験は進められた。「実際には機器や測定器の都合で、富津とマザー牧場間の13kmを何度も往復することとなった。もしこれが当初の計画どおり富津と観音崎であれば海を挟んでのことなので不可能であったと、後で安堵したものです。」と櫻井氏は話す。

単年度毎の予算のために、実験機器の納入が1月末から2月初めとなり、その機器を使った実験は毎年一番寒い時期に行われた。房総半島での実験も2月の一番寒い時期に現地で実験局の免許を受けて実施され、JARLの主要メンバーやJARDの職員、アイコムの従業員などが参加して、両側にそれぞれ数名体制で、ほぼ1週間を費やされた。

JARLはこの最終年度においても、これらの実験結果を基に調査検討会でまとめた結果を「アマチュア無線のためのデジタル化技術に関する調査検討報告書」として総務省に納入した。内容はこれらの実験結果と各メーカーの技術者も参加している調査検討会で検討されたものに限られていて公式文書となっている。

この報告書の作成はJARLの森氏が中心となってまとめられ、関係するアマチュア無線機器メーカーに声がかけられたものの、ごく少数の委員が短時間手伝った以外はアイコムだけになってしまい、結局JARLの職員とアイコムの櫻井氏による作業で、納期が年度内だったため多忙な作業となった。

報告書は調査検討会の各委員にも配布された。従って関係するすべてのメーカーに全て渡っており、D-STARの技術が何処で決まったのか知らないとか、アイコムが勝手に何かをしたなどということは全くあり得ない。また、これらは全て情報公開の対象となっており、総務省のWebに一定期間掲載されていたことは事実である。

そのような実験を元にJARLの次世代通信委員会(委員長JA1CIN三木哲也氏)では仕様の検討を進め、実用化に近づいていった。郵政省の実験では、音声をデジタル化するCODECにITU G723.1の仕様のものが使われたが、これは変換速度が8kHzであり、変調をかけた時の帯域が広いために改善の余地があった。次世代通信委員会では新しいデジタル通信システムとして次のような方向で取り組むこととに決めた。

・ 端末がシステムに厳しく拘束されないこと。
・ インターネットと整合性があること。
・ 一般のアマチュア無線家でも製作可能なこと。
・ 単独の1システムでも動作し、インフラの整備で順次増設可能なこと。
・ アナログの従来のシステムとも通信の可能性があること。

また、総務省から、このプロジェクトの最大のテーマである「電波の有効利用」に関して、もっと狭帯域にならないかと、何回か意見を聞くこともあった。

その頃、電話用のCODECで変換速度が2.6kHzのAMBEという驚異的な圧縮技術を見つけ、これを採用する方向で検討がなされた。また、デジタル変調については、色々提案があったが、アマチュア無線の通信であり、一般のアマチュア無線家でも再現できることが必須で、ヨーロッパでよく使われているGMSKに決まった。QPSKは変調効率がよく帯域を狭くできる可能性があるものの、変調後にSSBより遙かに良好な直線性が要求されるリニアアンプが必要なため、一般のアマチュア無線家が作ることは困難なため採用の候補だけに留まった。なお、リニアアンプの直線性が悪いと帯域が広がり、隣接したチャンネルに妨害がおよぶため、狭帯域の実現は難しい。


GMSKの帯域波形

後に、D-STARを非難するメーカーは、4値FSKの変調方式を採用した自社製品の開発を行った。当時そのメーカーは、GMSKの技術は古く4値FSKが新しい技術であると盛んにPRしていたが、GMSKを採用したD-STARが始まるよりさらに数年以上前、テレターミナルシステムには、すでに4値FSKの変調方式を使って量産されていた事実があり、4値FSKはそのメーカーがPRする様に新しい変調方式ではなかった。

通信方式としてスペクトラム拡散の提案もあった。この方式は遠近問題があり、システム全体で電力をコントロールする携帯電話のように、アマチュア無線をコントロールすることは不可能であり、開発主旨の「端末がシステムに厳しく拘束されないこと」に反することになるため、採用できないことが分かった。

<次回予告>

総務省(郵政省)による3年間の調査検討が終わり、JARLは実用化実験を開始した。しかし、その課程で予期せぬ不具合が発生し、実験を繰り返すことで、それらを一つずつ解決していった。デジタルはアナログに比べて飛ばないという話は事実か。

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