2014年4月号

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連載記事

アマチュア無線への思い


JA1CIN 三木哲也
(公益財団法人 日本無線協会)

第9回 非常通信に備えるアマチュア無線

1.はじめに

未曾有の犠牲者と被害を出した東日本大震災3.11から3年目を迎えた。津波の被災地ではいまだに復興のめども立たない所もあり、また福島第一原発事故では避難を余儀なくされ生活の見通しも立たない多くの被災者が大変な苦労を強いられている。日本は地震以外でも毎年の台風や集中豪雨、冬期の大雪など多くの災害に見舞われており、最近も今年2月には2度にわたり東日本、北日本を襲った記録的な大雪により交通機関の麻痺や道路の封鎖などで多数の被災者が出ている。このような災害時はもとより、種々の非常事態に際してアマチュア無線は少なからぬ貢献をしてきたが、3.11をふり返り改めて非常通信への備えを考えてみたい。

2.東日本大震災におけるアマチュア無線の取り組み

(1) 報道記事に見るアマチュア無線の活躍
東日本大震災では、電話や携帯電話が途絶え交通が寸断された中で、各地のアマチュア無線家が非常通信に取り組み、救助や物資要請などの連絡に活躍したことが報道され、多くの人達の記憶に残った。例えば、岩手県山田町田の浜地区では3月11日夜、半島部の高台に避難した住民109名に山林火災が迫っていたが、それを知った消防団員の浦川新一朗氏(JM7PIO)が12日未明に144MHz帯にて町役場災害対策本部にいた佐藤勝一副町長(JM7CJB)と連絡が取れたことにより、要請された自衛隊のヘリコプターで全員が無事救出され大事に至らずにすんだ。この山林火災が鎮火したのは、発生から10日ほど経ってからだという(河北新報)[1]。また、被災地から離れた全国の多くのアマチュア無線家が短波での安否確認、連絡などの支援活動を行った。震災直後の3月12日には、岩手県大槌町赤浜で被災したアマチュア無線家の斉藤文夫氏(JA7CUR)が、難を免れた短波の無線機をバッテリーで動作させて行った非常通信に対して、大阪府池田市の田中透氏(JR3QHQ)が応答し「赤浜小学校に小学生35名を含む約150名の地域住民が避難している。水・食料無し、無線機欲しい。道路寸断、山越えしか入れない。」との救助要請を受けた。この情報が警察署を経由して地元に伝えられ、消防ヘリコプターにより全員無事に救出された(NHKニュース)[2]。通信網が寸断され携帯基地局も機能しなくなった状況下では、アマチュア無線によるこのような初動期の非常通信が多くの命を救い出したと言っても過言ではない[3]

(2) 日本アマチュア無線連盟の取り組み[4]
日本アマチュア無線連盟(JARL)では、非常・災害時には非常通信センターを立ち上げて状況に応じて支援活動を行うことになっている。東日本大震災では、JARL中央局JA1RLと関西地方本部局JA3RLが、地震発生後から直ちに非常通信周波数7.030MHzをワッチし情報収集活動を開始したそうだ。JARLによれば、本部が当時入居していた巣鴨の9階建てビルは地震によりエレベータ故障、携帯電話は不通、交通麻痺で職員帰宅困難な状況下でまず取り組んだのは、把握した情報のTwitterによる発信であったとのこと。これはJAS-2(Fuji OSCAR-29)衛星の運用情報用Twitterを利用して情報を発信し、13日からは「JARL ARESC (Amateur Radio Emergency Service Center)」として運用された。同時に12日午後には中央局JA1RLの運用が開始された。無線運用のほか電話、情報発信、統括の体制を作り、事務局内の関係者の連絡用には特定小電力トランシーバーを配備して、翌朝06:40には本格的な非常通信運用体制となったそうだ。Twitterによる被災地情報、安否確認などの電文中継や全国のアマチュア無線局への非常通信の受信を要請するなどの活動が本格化し、同じく関西地方本部局JA3RLでも非常通信の運用が開始された。14日(月)になっても首都圏の鉄道は依然として間引き運転でJARL職員の出勤も困難な状況にあり、運用者確保のため一般のアマチュア無線家へのボランティアが呼びかけられた。それに応じて都心近郊のみならず遠方からのグループの参加もあり、多くの協力が得られたとのことである。

非常通信センターの活動が始まると、センターには無線やTwitterのほか電話やメールによる情報が沢山集まりその対応に追われることになったそうだ。情報の内容はさまざまであり、情報源がテレビやラジオからのものも散見されたが、センターからのさまざまな要請に対しては的確な対応や情報提供に協力された方が多かったそうで、Twitterによる情報共有が有効に機能したようだ。また、無線機や乾電池等の現地への輸送要請にも多くのボランティアの協力が得られ、必要とされた被災地へ届けることができたそうだ。例えば、福島第一原発に隣接する楢葉町役場からの要請でアマチュア無線機器メーカーから提供を受けたトランシーバーを送ることになったが、JARL本部が日頃懇意にしている宅配業者の担当者に依頼したところ「その地域には配送できない」と強く拒否され、いつもとは別人のような対応をされたそうだ。そのため、町役場に一番近い宅配営業所まで何とか運んで貰い、町役場の防災担当者にそこまで受け取りに行って貰うよう依頼せざるを得ない状況だったようだ。ところが翌日の午後、町役場の担当者から「無線機が今届いた!さっそく使わせて頂く」との電話があり、結果的には他の救援物資とともに宅配業者が町役場まで運んでくれたとのことで、ホッと胸をなでおろすというようなこともあったそうだ。また、相馬市役所からのトランシーバーの要請については、最も早く届けるあらゆる輸送手段を検討したものの立ち入り規制で手段が無いことが判り困っていたところ、取材で以前お世話になったマスコミ関係者から「市役所には自衛隊の連絡係がいるはずなので自衛隊に輸送を依頼してはどうか」との アドバイスがメールで届いたとのこと。そこで、関係機関と調整してJARLからまず福島県内の宅配業者営業所留として輸送、JARL福島県支部のボランティアによって営業所から陸上自衛隊の駐屯地へ輸送、そして自衛隊が相馬市役所へ輸送するといったリレー方式で機材を届けることができたのだそうだ。

非常通信センター中央局JA1RLは、JARL備蓄の発動式発電機と車を無線室の室外に設置して計画停電に備えて、3月21日17:00まで震災後10日間にわたり連日の運用が続けられた。その後も、非常通信周波数7.030MHzのワッチは3月末まで続けられたそうだ。また、Twitter「JARL ARESC」による情報共有は10月頃まで続けられたようだ。写真1にJARL中央局JA1RLの非常通信の模様を示す。この間に、被災地での非常通信に当たるアマチュア無線強化のため、JARLからの呼びかけに応じてメーカー各社から145MHz帯および430MHz帯トランシーバー300台の寄贈を受けた。緊急に8J1QAAからはじまるコールサインの付与を受け、コールサインシールの貼り付け、簡易マニュアルの作成、乾電池1万本の調達などが行われ、これらは輸送を担当するボランティアによってJARL東北地方本部を経て被災地へ届けられた。また、被災地でのUHF通信を支援するレピータが、次に述べる室根山(JP7YEP:439.44MHz)のほか、大船渡市(JR7VM:439.60MHz、1292.04MHz)、釜石市(JR7WY:439.56MHz)、茨城県東海村(JP1YKF:439.76MHz)に開設あるいは移設されている。これらの作業は、インターネットや携帯電話などによる情報共有により円滑に行われたそうだ。

写真1  JARL中央局JA1RLにおける非常通信〔提供:(a) JARL、(b), (c) 石川初雄氏〕


(a) 非常通信中のJARL中央局JA1RL


(b) 群馬県からのボランティアグループ 石川氏(JH1OPC), 長江氏(JI1KAV), 山田氏(JH1HIC) による運用中


(c) JA1RL(当時)のアンテナタワー。上部より7MHz ダイポール, 50MHz 5エレ八木・宇田, 3.5MHzダイポール, 14~28MHz 4エレ八木・宇田

(3) 自治体アマチュア無線クラブの取り組み
全国には自治体が中心となってアマチュア無線クラブを形成している例は数多くあると思われるが、名取市は東日本大震災においてアマチュア無線の有効性が如実に発揮されたケースであろう。同市は津波により沿岸部の閖上地区が壊滅状態になったことで知られているが、防災行政無線の施設も津波によって流されてしまった。そのため、名取市役所アマチュア無線クラブが丁度前年の10月31日に開局していたレピータ局JP7YEO(439.68MHz)を用いての無線通信が唯一の市内の連絡手段となり、活躍することになった。3月11日15時25分には同市災害対策本部内にアマチュァ無線機を設置し、メンバー各自のトランシーバーを使用した災害情報収集が開始されたとのこと。数人が閑上地区へ出向き、被災状況の確認、安否確認、避難所との連絡、災害救助活動などを行い、極めて緊急を要する活動が的確に行われたそうだ。連絡手段の無くなった沿岸部避難所への災害対策本部からの指示も、ハンディ無線機による連絡によって避難所内の混乱を防ぐことが出来たそうだ。災害対策本部長を務める佐々木一十郎市長(JK7HHY)は、市役所屋上のレピータを防災用カメラの非常用発電機を用いて稼働させるよう指示し、同市内のアマチュア無線家に通信支援協力を依頼した。これにより市内の被害状況確認や負傷者の有無の確認などが行なわれ、公衆通信網が途絶していた4日間、アマチュア無線による非常通信が大きな役割を担った[5]。因みに名取市役所アマチュア無線クラブのこの活動は、公益財団法人社会貢献支援財団から「平成24年度東日本大震災における貢献者表彰」を受けている[6]

姉妹都市によるアマチュア無線クラブの取り組みとして注目されたのは、相模原アマチュア無線クラブの大船渡市への支援活動である。東日本大震災の発生当日は、相模原市災害対策本部では市内の被害確認、帰宅困難者のため駅周辺の公共施設を避難所として開放し、そこへの誘導や、食料・飲料水の手配などの業務に当たったそうだ。翌日には市内は電気も復旧し電車の運行も開始されたが、銀河連邦〔注〕として友好都市となっている大船渡市が甚大な被災を受けていたことから、3月13日には災害時における相互応援協定に基づいて大船渡市を支援するための派遣隊が編成されたとのことである。第一次隊として7名の派遣者の内1名がアマチュア無線クラブに要請され、通信機材として複数の小型オールバンド機、7MHzのアンテナ、発電機、バッテリーなどを準備し、支援物資を満載した4トントラック2台と普通車1台で大船渡市に向かったとのこと。3月14日午前11時には大船渡市役所に到着、市の防災担当者から被災状況の説明を受け、防災行政無線の中継ができなくなっていた三陸町越喜来地区、綾里地区との連絡用無線設備の設置が要請されたそうだ。大船渡市役所と越喜来地区間は直線距離15kmほどで途中に高い山があるため、直接波での交信ではなく500km離れた相模原市役所のクラブ局JG1ZOOにて受信し再伝達(QSP)する方法を採ったとのことである。3月15日には綾里地区への無線設備を設置し、越喜来地区との間の直接波による通信が確保されたそうである。3月23日には、防災行政無線が仮復旧し、携帯電話の復旧エリアが拡がり電話連絡ができるようになったため、アマチュア無線局の運用を終了して、使用していた無線設備は全て大船渡市に寄贈し引き継いで支援活動を終えたとのこと。この間、大船渡市の3箇所間の連絡を相模原市で取り次ぐ形式での交信によって、現地の状況把握、物資の要請、医師の手配などの情報伝達が行われ感謝されたそうだ[7]

〔注〕銀河連邦は、宇宙開発を行っている宇宙航空研究開発機構(JAXA)の研究施設が縁で交流している神奈川県相模原市、秋田県能代市、岩手県大船渡市、長野県佐久市、鹿児島県肝付町及び北海道大樹町であり、文化活動などを通して友好を深めている。その一環として「銀河連邦を構成する市町の災害時における相互応援に関する協定」を締結している[8]

 (4) 臨時レピータ局の設置
一関市のひがしやま病院に勤務する岡崎宣夫医師(JA1LRT/7)は、震災で連絡が取れなくなっている集落や避難所と連絡を確保するため標高895mの室根山山頂にある天文台へのレピータ設置に動いた。震災後直ちに一関市に働きかけてその設置の許可を受け、レピータそのものはJARL保有の機材が使用された。岡崎医師の要請により小川典夫氏(JK1BKB)、小山弘樹氏(7K1NAQ)、守田伸一氏(JA1DDF)らがJARLから機材を輸送し山頂天文台へのレピータ設置工事が4月1日に行われた。このレピータの設置状況を写真2に示す。この広域レピータ局JP7YEP(439.44MHz)の運用はさっそく4月2日から開始されたが、アクセス可能なエリアは大凡1に示される範囲であり、陸前高田、大船渡、気仙沼からはハンディ機でもアクセス可能とのことである。岡崎医師は、さらに三陸沿岸部および内陸部をVoIP(インターネットによる電話回線)によって結ぶことを提案したが、それに対してセットメーカーの協力によって2に示すような各局を結ぶネットワークが形成された。ひがしやま病院内に設置された「ひがしやま無線ボランティアセンター」では、室根山レピータ局JP7YEPとこのVoIPネットワークを用いて同センターのクラブ局 JE7YYFから被災地を結ぶ広域のネットワークが構成された。これらは、岡崎医師が地域医療における通信の確保のために、アマチュア無線の活用が重要であることをかねてから訴えていたことが実ったものである。この通信環境を用いて、各地から駆けつけたアマチュア無線家のボランティアによる被災者への支援活動が行われた[3]

写真2 室根山山頂天文台への広域レピータ局JP7YEPの設置〔提供:守田伸一氏〕


(a) JP7YEPの設置されている室根山山頂


(b) 設置工事を行ったメンバー。左から守田氏(JA1DDF), 岡崎医師(JA1LRT), 市職員, 小川氏(7K1NAQ), 小山氏(7K1NAQ)


(c) JP7YEPの設置されている山頂天文台


(d) レピータのアンテナ設置工事


図1 JP7YEPのカバーエリア             図2 被災地のVoIPネットワーク
〔提供:山本貴志氏〕

岡崎宣夫医師は不幸にして、2011年7月9日に被災地支援のボランティア活動中に逝去された。岡崎医師は、早くから僻地医療を率先して行う根っからのボランティア医師であった。アメリカでの大学教授の経歴と共に、医療ネットワークシステムの構築などの斬新で画期的な発想を持ち、日本医療界のパイオニアでもあった。氏の逝去に伴い「ひがしやま無線ボランティアセンター」は2011年7月19日に閉鎖され、支援活動の拠点としてのボランティアセンターは無くなったが、室根山レピータや被災地を結ぶVoIPネットワークは盛岡市の野田尚紀氏(JE7RJZ)によって運用が続けられた。なお、中央非常通信協議会は2012年5月25日開催の第21回表彰式において、故岡崎宣夫医師に対して「東日本大震災の直後から、臨時のレピータ局を設置・運営して岩手県沿岸南部と内陸部の通信を確保し各地の被災者への医療活動をおこなった」貢献により個人表彰を行った。因みにこの表彰式において、日本アマチュア無線連盟およびアマチュア無線機器メーカー等13社も、東日本大震災等への支援活動に対して団体表彰を受けている[9]

(5) ひがしやま無線ボランティアセンターの活動
ひがしやま無線ボランティアセンターでは、上記のアマチュア無線ネットワークを用いて岩手県沿岸南部と内陸部の通信を確保し、被災者への医療活動の支援、避難所の支援などの活動が、岡崎医師を中心に7月に氏が逝去されるまで多くのアマチュア無線家やボランティアの協力のもとに精力的に行われた。畠山正則氏(JA5AIL)は遠く高知から駆けつけてこの時期の活動に携わっている。因みに畠山氏は、岡崎医師が高知県の病院で僻地医療に活躍していた当時、高知放送に勤務しておりその時以来の絆とのこと。畠山氏は、レピータ局JR5WZ(439.66MHz)の管理団体の長をしており、レピータ運用に経験豊富ということで応援を依頼されたようだ。2011年4月8日に羽田から花巻空港への臨時便の最後の1席を確保して到着したが、一関市は前日の余震で停電し、携帯電話も不通だったとのこと。ひがしやまボランティアセンターのクラブ局JE7YYFの設備はHF無線機1セット、VHF/UHF無線機2セットである。病院には自家発電機があり、ボランティアの人達は会議室に置かれた3台ほどの簡易ベッドが使え、食料は各地から送られてきたインスタント物が豊富で、電子レンジや調理器もあって比較的恵まれた状態であり、畠山氏は5月の連休のころまで支援活動を続けたそうだ。ひがしやま無線ボランティアセンターでの岡崎医師を写真3に示す。


写真3 ひがしやま無線ボランティアセンターでの岡崎医師〔提供:守田伸一氏〕

ひがしやま無線ボランティアセンターでの非常通信の模様は、医療活動の支援以外に安否確認や道路情報の問合せ、さらに生活物資の依頼などが多かったそうだ。極力傍受に努め、要請があれば対応するという運用を行ったそうだが、安否の確認では行政が扱わないような友人の状況や知り合いの店舗状況などの問合せが主だったが、生活に不可欠な洗濯機などの不要な中古家電製品の斡旋依頼も良くあったとのこと。また、大きな避難所では物資が行き渡っていたようであるが、被災したが自宅で過ごしていたような人からの要請に応じる機会が多かったそうだ。このような状況は、アマチュア無線の非常通信は災害・非常事態の発生直後の緊急連絡としてのみならず、一段落して生活を建て直す段階での草の根コミュニケーション手段としても力を発揮することを示していると言えよう。

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