2016年8月号

トップページ > 2016年8月号 > 海外運用の先駆者達/JA3AER荒川泰蔵 その41 海外運用の後方支援 1987年 (3)

連載記事

海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~


JA3AER 荒川泰蔵

その41 海外運用の後方支援 1987年 (3)

海外運用の後方支援

去る5月、大阪の平野郵便局で開かれた切手展に「国連アマチュア無線局の運用と国連切手」と題した作品を出展していたところ、最終日の5月8日に会場でJR3WRG杉本祐司氏に声を掛けられ、EP2TY矢井俊夫氏のQSLマネジャーだったと伺った(写真1)。EP2TYについては、当誌2014年4月号の当連載記事(その13)1977年で紹介したが、矢井氏は数年前に亡くなられたそうだ。後日、杉本氏に当時日本からサポートされた様子をメールで知らせて頂いた。「ご存じのように矢井氏は“松下電産の洗濯機事業部”から一挙に“イラン松下電業”の社長としての下命があり、先輩のJR3PIO関森さん達とも頭を抱えて数日間熟考の上、最後にXYLさんに背中を押されたものでした。その間私にも相談があり、単身赴任であることから、せめて余暇にハムでもやりたいとの話で“マネジャーは任しとけ”と気楽に引き受けたのでした。まさか彼があんなにアクティビティーが高いとは・・誤算でした。しかし私もおかげさまで、One Day WACを7時間で完成したり、海外局交信も30ヶ国を越えました。私の海外渡航実績は26ヶ国なので、ハムのほうが上回りました。EP2TYとしての読売一万局賞の申請も、彼の一時帰国中に交野市のお宅で何回も何回もかかって整理したものでした。彼も恩にきて副賞のスタンドや、ペルシャ絨毯など留意してくれたものでした。本当に惜しい友人を亡くしました。(2016年5月記)」と、切手展で思わぬ出会いがあり、海外運用の後方支援に思いを馳せた。筆者も海外で運用中、日本の免許の更新などには故JA3AA島伊三治氏やJK3IYB西彰氏に、QSLカードの発行には故JA1AG黒川晃氏やJA1DTS坂詰教正氏にお世話になった他、多くの方々にサポート頂いた(写真2)


写真1. (左)切手展での筆者(JA3AER)。(右)EP2TY矢井俊夫氏(JA3AEV)のQSLカード。矢井氏と筆者のJAのコールサインは近いが、残念ながらアイボールQSOの機会はなかった。


写真2. QSLマネジャーが記載された筆者のQSLカード。

1987年 (国連本部 4U1UN, 4U42UN)

JH4NMT松田佳之氏は、4U1UNを運用した経験をアンケートで寄せてくれた(写真3)。「WPX SSBコンテストに海外から運用しようと計画を立て、4U1UNが候補にあがり、N2ATT荒川OMに相談したところ、特別の計らいで運用を許可して頂けるように、HB9RS, Max氏に交渉して頂き、JANETクラブの協力と共にゲストオペとして運用が出来た。従免、局免の英文証明書を作成して4U1UNに渡してある。運用については、日本とほとんど反対側に当たるので、最初はコンディションの変化がよくつかめなかったが、ウッドペッカ―ノイズが聞こえないので、非常に快調にパイルをさばくことが出来た。それと、合衆国のアドバンス以上の局のオペレーションの上手さ、パイルの参加の上手さには特筆すべきものを感じた。(1987年8月記)」


写真3. (左)JH4NMT松田佳之氏が運用した4U1UNのQSLカード。 (右)JH4NMT松田佳之氏の国連本部ビルへの臨時入門許可証。

JQ1ECZ新村正直、JQ1MGU新村マキご夫妻から、4U1UNの運用についてレポートを頂いた。「1987年6月16日に4U1UNを運用しました。事前に日本の従免と局免の英文証明を送ったところHB9RS, Maxから運用許可の手紙を貰いました(写真4)。貴殿からお送り戴いた4U1UNのシャックの写真により自分でもTS-940を購入して家内の予行演習を行いました。当日はEDTの17時から2時間、14MHzのSSBを運用しました。最初期待していたJAが開けず、事前の練習で想像していかったQRMと自らの英語力のなさで、W国内とのQSOに終始しました(写真5)。その後、Maxには横浜の点字の盲人用地図帳をプレゼントしました。(1988年2月記)」


写真4. 4U1UNの会長HB9RS, Dr. Max C. de HenselerからJQ1ECZ新村正直氏夫妻へ送られた手紙。


写真5. (左)4U1UNを運用するJQ1ECZ新村正直氏夫妻。(右)4U1UNを運用するJQ1MGU新村マキ氏。

JA3GES中山孝志氏は、当時ニューヨーク在住のKD2HA(JA3ILI林市晴氏)を訪ねて来られ、一緒に国連局を運用した時の経験を、筆者への手紙の中で知らせてくれた。この年の10月14日は国連42周年記念日で、4U42UNのコールサインでQRVした。「(手紙から抜粋) 国連での運用についても本当にご多忙のところ、いろいろとHB9RS OMとコンタクトを取って下さり感謝しています。HB9RS, Maxと、新しくQSLマネジャーとなったNA2K, Harryが、私達を迎えてくれました。特別の4U42UNというコールサインで運用することができ、14MHzのSSBのみでしたが、アメリカ本土、ヨーロッパを中心に世界中からパイルアップを受け、ドキドキしながらの運用を楽しませて頂きました。残念ながら運用したのが10月13日(火)の午後5時から6時(EST)ということもあり、JAとのQSOは出来ませんでした(写真6)。(1987年11月記)」(筆者注)この年の10月14日は国連42周年記念日で、現地時間では13日の午後5時ではあったが、既に日本は14日であったので4U42UNのコールサインでQRVしたものと思われる。


写真6. (左)4U42UN局にて左から、HB9RS, Max、NA2K, Harry、JA3GES中山孝志氏。(右)4U42UNを運用するJA3GES中山孝志氏。

1987年 (米国 W1AW, JH4IFF/W1, JH4IFF/W2, N2HNQ, JA1RNH/W2, W6/JA1CB, JE2SOY/W6, JH1HRJ/W6, JH1GOT/W6, KA1QWF, KA1QWG, KE2CX, N7KGQ, WY7E, N200ATT)

JH4IFF右遠光政氏は、米国からQRVしたと手紙で知らせてくれた。「USAでのQRVはNY州で144MHz、 CT州では14MHzでARRLよりQRVしました。使用したコールサインはW1AW及びJH4IFF/W1, JH4IFF/W2です。JA3DO塩崎さんのおかげでN2HNQの免許を帰国後手にしました。現在の所このコールサインは使用していませんので、ぜひ一度はN2HNQでQRVしてみたいと思っています。もし、JANETでDXペディなどの話がありましたら、ぜひ教えてください。(1987年11月記)」

JA1RNH市瀬俊秀氏は、米国へ劇団を率いてオフ・オフ・ブロードウェイでの公演出張時に、相互運用協定による運用許可を得てJA1RNH/W2で運用したとアンケートを寄せてくれた(写真7)。「FCCへ局免許と従事者免許証のコピーを送付。昨年の春(1986年3月)は、日本よりの申請時より20日目に滞在先へ送付された。今回は1987年6月5日に日本にて申請、7月3日付の許可証を7月7日に受け取った。昨年の春は3.8MHzが中心で、プラス14MHz。今回は21MHzを中心に、7MHzと144MHz。NYとNJのJANETの皆様に大変親切にして頂きました。2mは水平偏波です!! (1987年7月記)」


写真7. (左)シアターのBox Office横の受付で、JA1RNH/W2市瀬俊秀氏。 (右)シアターの舞台で出演者とJANETメンバーの記念写真。右端がJA1RNH/W2市瀬俊秀氏。

JA1CB野村四郎氏は、ロスアンゼルスから相互運用協定による運用許可で運用したアンケートで知らせてくれた。「1987年から日本の免許で相互運用協定によるFCCの短期運用許可を取得(写真8及び9)、カリフォルニア州ロスアンゼルス郊外からW6/JA1CBでQRV。毎年更新を繰り返し、1992年のQSO数は1月より10月までで221局、使用リグはTS-950SD/SDX、アンテナはKLMのKT-34A、12mHでした(写真10)。(1992年11月記)」

写真8. (左)JA1CB野村四郎氏の日本の従事者免許の英文証明書(1975年)。 (右)W6/JA1CB野村四郎氏の相互運用協定によるFCCへの運用許可申請書(1992年)。 (クリックで拡大します)


写真9. W6/JA1CB野村四郎氏の相互運用協定によるFCCの運用許可証(1992年)。


写真10. (左)W6/JA1CB野村四郎氏のQSLカードと、(右)そのシャック。

JE2SOY成瀬有二氏は、相互運用協定による運用許可を日本から申請したところ、JE2SOY/W6で運用するための許可証を日本に送ってくれたと、そのコピーを添えてアンケートを寄せてくれた。「USは外国の住所へはReciprocal Licenceを送らないはずと思っていましたが、FCCから直接こちらへ送ってきました(写真11)。(1987年6月記)」


写真11. FCCから日本の住所に直接送られてきた、JE2SOY/W6成瀬有二氏の相互運用協定によるFCCの運用許可証の裏表。

JH1HRJ大家万明、JH1GOT大家和子ご夫妻は、相互運用協定による運用許可を得てJH1HRJ/W6JH1GOT/W6を運用したとアンケートを寄せてくれた(写真12及び13)。「相互運用協定による運用許可を得て、FT-757GX + Butternut Verticalにて運用した他、144MHzと430MHzにてFMを、カリフォルニア大学ロスアンゼルス校のクラブ局(W6YRA)のクラブ局員として運用した。(1987年12月記)」


写真12. (左)JH1HRJ/W6大家万明氏の相互運用協定によるFCCの運用許可証。 (右)JH1GOT/W6大家和子氏の相互運用協定によるFCCの運用許可証。


写真13. (左)JH1HRJ/W6大家万明、JH1GOT/W6大家和子ご夫妻と、(右)屋上に建てられたアンテナ。

JQ1ECZ新村正直、JQ1MGU新村マキご夫妻は、試験を受けてKA1QWFKA1QWGの免許を得た経験をレポートしてくれた。「1987年6月19日、MA州HolyorkでMount Tom Amateur Repeater Association主催のFCCライセンス・テスト(ノビス・クラス)を受験しました(写真14の左)。事前にARRLから我々の旅行期間中に受験可能な試験場のリストを貰い、主催者のKO1Rと連絡を取っておきました。また、同じBlind HamであるK4LTAからも試験についても助言を受けました。出発前にメール・オーダーで書籍「Tune In The World With Ham Radio」を入手して、Question Poolの点訳(普通の文字である墨字から点字に翻訳すること)を始めたのですが間に合わず、成田からBostonまでの機内で、16時間ぶっ通しで、1人で点訳をするはめになりまた。当日の試験官はND1Kで、我々だけ一般の受験者とは別室で行なわれました。電気通信術についてはテープの再生音を点字で書き取り、それを1字ずつ読み上げる方式でパスしました。筆記試験については試験官が問題と4つの答を読み上げ、家内が口頭で“A”“B”“C”“D”のいずれかを回答するという方法をとりました。試験は午後7時から始まり、終了したのは午後11時でした、終了後試験官が「私は公式の記録については何も知らないが、米国籍を持たないBlind Hamがこの試験を受けた事は聞いた事がない」と言っていました。この事についてARRLに確認をしてみると面白いと思います。後日、MA州Lancasterの叔母の家にFCCから私(JQ1ECZ)にKA1QWF、家内(JQ1MGU)にKA1QWGのコールサインの入ったライセンスが送られて来ました(写真15)。私が点訳したQuestion Poolですが、残念な事に試験場からの帰りに居眠りをした時、背中で押し漬して破壊してしまい現存しません。近い内に、改定版の点訳をして、後進のBlind Hamに役立てたらと考えています。(1988年2月記)」


写真14. (左)試験場で試験官ND1K(左端)とJQ1ECZ新村正直、JQ1MGU新村マキ夫妻(中央)。 (右)米国のラジオ店で店主とJQ1MGU新村マキ氏(右側)。


写真15. KA1QWF新村正直、KA1QWG新村マキご夫妻の免許状。

ロンドン在住のG0GRV/JG1PGJ加藤芳和氏から、VECの合格証を添えた手紙が届いた。後にKE2CXの免許が下りた。「ロンドンはコートを着る人も目立ちはじめ、本格的な秋になった感じですが、NJの方はいかがでしょうか。さて、JANETの原稿にも書きましたが、1987年9月26日、当地でFCCのテストが英国人VE(3人ともエクストラ)によって実施され、私も受験して合格証明書をもらいました(写真16)。文系出身の銀行員にはしんどかったですがHi。それで甚だ勝手ながらmailing & station addressを貴局のQTHにしましたので、恐縮ながら免許が来ましたら宜しくお願いします。なお、受験料は3ポンドでした。それにしても安いですね。GでFCCテストができるのだったら、JAでもできそうだと思うのですが?(1987年9月記)」


写真16. G0GRV/JG1PGJ加藤芳和氏の、VECによる試験合格証明書。

WY7Eファリア登喜枝氏は、英文のレポートを寄せてくれた(写真17)。「(和訳) 私は夫ボブN7AYKを通じてアマチュア無線に興味を持つようになりました。私は試験に合格できると信じていませんでしたが、彼の励ましを受けて1987年9月に試みることにしました。そして1987年10月にノビスクラスの免許を取得しました。私自身の情報は次の通りです(写真18及び19)
A.ライセンスステータス:(1)Novice - November 1987 (KB7DGM)、(2)Technician - November 1987 (N7KGQ)、(3)General - February 1988 (N7KGQ)、(4)Advanced - April 1988 (N7KGQ)、(5)Extra - February 1989 (WY7E)。
B.趣味:(1)釣り、(2)キャンプ/RV'ing、(3)旅行、(4)クロスカントリースキー、(5)アマチュア無線。
C.ローカルアクティビティ:(1)ISRA(ラジオアマチュアのアイダホ州協会)ボイジー支部。毎月月例会を開催、毎週2mのネット、交換会、夏にはピクニック、パレードなどのコミュニティ活動を支援しています。(2)同ISRAアイダホの声支部。月例会、毎週2mのネットを持っているし、コミュニティ活動を支援します。(3)Ham Samクラブ、全国のGood Sam RVクラブの支部。私たちは、夏の間に何回かの野外キャンプ活動を行い、また、コミュニティ活動を支援します。(4)私はまたARRL、YLRL、YLインターナショナルSSBシステム(YL ISSB)の会員です。
D.地域の状況:アイダホ州、メリディアンの人口は約5,000人です。メリディアンはアイダホ州の首都ボイジーから西へ16kmに位置しています。この町は南と北の山の谷間にあります。標高は830mですが、ここから50kmの範囲内に標高2,153mの場所もあり、釣り、狩猟、キャンプ、ハイキング、スキーなどの野外活動に適しています。ボイジーの北20マイルには優れたスキー場があり、アイダホ州で唯一夜間スキーの出来る場所です。アイダホ州は年間を通じて、野外レクリエーションの場を提供しています。アイダホ州の主な産業は農業で、ジャガイモは非常に有名です。谷間の土地のほとんどが農業に使用されます。しかしハイテク産業が急速に成長しています。ボイジーには、Hewlett Packard社とマイクロン・テクノロジー社があります。ボイジーには1つの大学があります。ボイジー州立大学は州で最大の大学で、ビジネス部門の優れた大学です。
E.私の運用:(1)2mで毎日私の夫と交信しています。(2)毎週JANETにチェックインしています。(3)頻繁に10、15、20mでJAと交信しています。(4)週に一度か二度YL ISSBシステムでチェックインしています。(5)毎週NA0V美奈子コノリーさんと交信しています。(6)私の夫はJA1IAMとJL1CHXと毎週のスケジュールを持っています。私もまた彼らと話をしています。私たちは1985年に日本を訪問したときに、彼らとアイボールQSOをしました。(1989年4月記)」


写真17. WY7Eファリア登喜枝氏の英文のレポート。(クリックで拡大します)


写真18. (左)WY7Eファリア登喜枝氏と、(右)N7AYK, N7KGQご夫妻のQSLカード。


写真19. (左)WY7Eファリア登喜枝氏のQSLカードと、(右)その免許状。

JA3AER筆者は、JANETクラブでN200ATTを運用した時のことを記録していた。「1987年に、米国の憲法200周年を記念して、各エリア持ち回りでプリフィックスの数字の部分を200とする特別局が運用された。2コールエリアは12月19日から25日までの1週間が割り当てられ、FCCの業務を代行するARRLから、JANETクラブとしてN2ATTの免許を基にN200ATTの特別コールサインの運用許可を得て(写真20)、JANETクラブのメンバーとその仲間たちで運用した。残念ながら14MHz以外はJAがオープンせず、トータル563 QSO中、JAは110 QSOであった(写真21及び22)。(1987年12月記)」


写真20. (左)ARRLからのN200ATTの運用許可証と、(右)それに付随したFCCからARRL宛ての手紙。(クリックで拡大します)


写真21. (左)N200ATTのQSLカードと、(右)そのシャック。


写真22. (左)N200ATTのシャックにて、左からN2BHY宮城孝氏、N2ATF小林巌氏、NV2G石戸谷正晴氏、N2GKL秦登喜男氏。(右)N200ATTを運用するNV2G石戸谷正晴氏。

1987年 (アラスカ KL7/VE2GCO)

JH3OII中村千代賢氏は、アラスカからKL7/VE2GCOで運用した時の様子を思い出してレポートしてくれた(写真23)。「JA1BUF酒村さんがアラスカに住んでおられた頃、JFK→NRTのStopoverでお邪魔して、シャックを使わせて頂きました。流石に国際航空路の中継地(当時)、14MHzや21MHzではEUやW2など入感の仕方がそっくりです。勿論、JAもよく入ります。まだ夕方だからと長居しているともう11時PM!白夜でしたから2~3時AMに夕焼けが見えたのが当地の深夜でした。KL7からは2回目になりますが、成田発アンカレッジ経由ロンドン行きの給油Stop。免税店に群がるリッチなJAギャル達をかき分け2階のバルコニーへ行って、2mのレピータにアクセス。地元のハムはこのような経由中のQRVの局に慣れているらしく、それなりに会話も進む、が何しろバルコニーは摂氏マイナス40度なので、多少ノイズっぽくても屋内へ入ってQSOを続けた。空港からでもレピータ数局がアクセスできます。ソ連のペレストロイカによる航路変更で、最近はアンカレッジ経由も希になり、あのすばらしい免税店も今は閉店したとのこと。でもこのアンカレッジが長年にわたって果たしてきた重要な役割は忘れてはならないと思います。(1991年10月記)」


写真23. (左)VE2GCO/KL7中村千代賢氏のQSLカードと、 (右)ニューヨークのN2JAのシャックにて中村千代賢氏(1980年代)。

海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~ バックナンバー

頭の体操 詰将棋

Masacoの「むせんのせかい」~アイボールの旅~

  • 連載記事一覧
  • テクニカルコーナー一覧

お知らせ

発行元

発行元: 月刊FBニュース編集部
連絡先: info@fbnews.jp