2016年11月号

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JA3EGZ 妻鹿嘉和さん

兵庫県の西端、赤穂郡上郡町にある山頂シャックから運用するJA3EGZ妻鹿さん。子どもの頃からものを作ったり壊したりすることが好きだった妻鹿さんは、小学生の頃には自然にラジオいじりをはじめた。その頃、家にあるラジオを壊して、祖父にきつく叱られたことを覚えているという。その後はラジオやワイヤレスマイクを自作するなどしてラジオ少年としての道を歩んでいった。

アマチュア無線を知ったのは中学生の頃、ラジオの製作誌の記事を読んだのがきっかけだった。1961年、高校1年生の時、電話級アマチュア無線技士の資格を取得した。従来は1アマと2アマの2資格しかなかったところ、1959年に電話級と電信級が新設され、中高生でも資格が取りやすくなった頃だった。

妻鹿さんは自作の送受信機でJA3EGZを開局すると猛烈に運用を始め、毎日学校から帰ると無線機にかじりつく日々が続いた。「半世紀以上に渡る私のアマチュア無線人生で、この頃が一番アクティビティが高かったです」と話す。1963年には電信級を取得して、CWによる運用を始めた。

同年6月、7MHz CWで米国のW7の局のCQが入感したので、10Wにダイポールでは届かないだろうと思いながら試しにコールしてみたところ、なんと自局のコールが返ってきた。「初めて太平洋を越えた、このときの興奮は今もよく覚えています。W7の局のコールサインは一生忘れることができません」と話す。そして、その後は「いつかは、この時自分が感動したような夢と希望を人に与えることができるアマチュア局になりたい」、との思いを持ち続けた。

1964年には2アマを取得して出力を100Wにパワーアップ。この頃の妻鹿さんの運用は100%電信となっていた。さらにその後は1アマまで取得して500Wにパワーアップしたが、本業が忙しくなるにつれ、だんだんとアマチュア無線のアクティビティが下がっていき、ついにはアンテナも下ろして、長いQRTの時期に入った。それでも将来の再開を考えて、局免許だけは一度も切らさずに5年ごとに更新を続けたという。

2006年、定年となり常勤から解放された妻鹿さんは、アマチュア無線再開計画をスタートした。まずは、上郡町にある標高約420m山頂の土地を購入し、無線小屋を建設。すぐにクランクアップタワーは2基を設置して、7MHzの3エレクワッド他、大型アンテナを設置した。また1kWへの変更検査をパスした妻鹿さんは、再び以前のようなアクティビティを取り戻し、毎日のようにCQを出して、世界中との交信を楽しんだ。「CQを出して世界中から呼ばれるのが一番楽しいですね。昔からの夢であったローパワーでシンプルアンテナのDX局の微弱な信号を拾い上げることで、彼らに夢と希望を与えることが実現できました」、と話す。


山頂に立てた2基のクランクアップタワーとアンテナ群
左が7-28MHz用マルチバンドクワッド、右が24MHz6エレと28MHz6エレ八木


アンテナ調整用のやぐら

妻鹿さんは、アマチュア無線をやってきて良かったこととして、色んな分野に知り合いができたことを挙げる。「身分や肩書きが違ってもアマチュア無線という共通の趣味で結ばれれば、気軽に話をすることができ、困ったときの相談にも乗ってもらえます。アマチュア無線をやっていなければ、おそらく知り合うことができなかった様な人とも友人になることができたのが大きなメリットです」、と話す。

山頂に別宅シャックを建設して10年目となり、以前と比べるとアクティビティが下がっているが、妻鹿さんは今後の計画をしっかりと温めている。それは3.8MHzのビームアンテナの建設である。「今はその計画の実現に向けての充電期間ですよ」、と笑って話す。

このコーナーでは、アマチュア無線の様々な楽しみ方に挑戦するハム(アマチュア無線家)を紹介します。
自薦も歓迎しますので、info@fbnews.jpまで、写真1、2点と紹介文(300字以内程度)を添えてご送付下さい。
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