2013年5月号
連載記事
海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~
JA3AER 荒川泰蔵
その2 20世紀後半の概観
20世紀のアマチュア無線の歴史
英国のRSGB(Radio Society of Great Britain)が1999年に「Amateur Radio the first 100 years」という大判(265mm四方)の255ページもある写真集を、1,000部の限定版で発刊している(写真5)。1895年のマルコーニの写真から始まって、1999年のページにはこの年に逝去されたフセイン国王(JY1)の写真が掲載され、広範なアマチュア無線の歴史が写真で紹介されている。
(写真5)英国のアマチュア無線100年を記念して、RSGBが発行した写真集の表紙 (1999)
この写真集の228ページには筆者のアマチュア無線の切手が、「1995:Amateur radio depicted on stamps, part of the extensive collection of GW0RTA/JA3AER」とのキャプチャー入りで紹介されている(写真6)が、これはRSGBの機関誌「RadCom」に投稿したアマチュア無線の切手の記事が、1995年9月号に掲載されたとき、その表紙を飾った写真である(写真7)。少々横道にそれたが、20世紀のアマチュア無線の歴史は、無線通信が発展した20世紀と時を同じくしていて、相互に影響しながら共に発展してきたものと言える。アマチュア無線家も無線技術の進歩に大いに貢献してきたことに疑いはないが、現在の逼迫するスペクトラムのなかでアマチュア無線に比較的多くのバンドが割り当てられていることは、更なる技術的、社会的な貢献を期待されているものと思う。
(写真6)RSGB発行の写真集に掲載された筆者の「アマチュア無線の切手」のコレクション
(写真7)RSGBの機関誌「RadCom」1995年9月号の表紙
我が国では日本アマチュア無線連盟(JARL)が1976年に「アマチュア無線のあゆみ –日本アマチュア無線連盟50年史 –」を刊行し(写真8)、1986年にはCQ出版社が「アマチュア無線のあゆみ(続) - 日本アマチュア無線連盟60年史 –」としてその続編を刊行(写真9)、そして1996年に日本アマチュア無線連盟が刊行した「アマチュア無線のあゆみ(Ⅲ) –日本アマチュア無線連盟70年史 –」には、更に10年分の記録を追加している(写真10)。この3冊を合わせると我が国の20世紀のアマチュア無線の歴史を概観することができるが、この中には、アメリカや西ドイツなどとの相互運用協定の記述の他、台湾での共同運用や中国訪問時のクラブ局運用などJARLの行事としての記述は見られるものの、個人的な日本人による海外運用に関する記述は見当たらない。
(写真8)JARL50年史のカバー (1976)
(写真9)JARL60年史のカバー (1986)
(写真10)JARL70年史のカバー (1996)
日本人による海外運用の始まり
先の「アマチュア無線のあゆみ –日本アマチュア無線連盟50年史-」には、戦前の満州国での運用の記述があるが、これは例外として、戦後の日本人の海外運用については先月号で述べたアンケートで寄せられた資料から概観し、逐次年代を追って紹介したいと考えている。最初の1960年代(と言っても後半の5年間だが)は、1965年のJA1DCY神山堅志郎氏による4U1ITUの運用(写真11)が最初で、15件の運用報告がある。内9件は筆者のものであり、先月号で紹介した香港から始まる(写真12)。この詳細は次号に回すとして、日本人による海外運用はこの頃から始まったと考えて良いのではないかと思う。勿論、日本はどの国とも相互運用協定など結んでいない時代であったが、それでも運用できたのは、その国及びその国のアマチュア無線家達の好意によるものであった。
(写真11)ジュネーブの4U1ITUにて、右側がJA1DCY神山堅志郎氏(1965)
(写真12)香港のクラブ局VS6AJを運用するJA3AER筆者 (1968)