2013年5月号
連載記事
海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~
JA3AER 荒川泰蔵
その2 20世紀後半の概観
寄せられたアンケートの分析
ではその後の海外運用はどうであったのか、今回この連載記事で紹介しようとしている20世紀後半の日本人による海外運用状況を、寄せられたアンケートの分析から概観してみたいと思う。分析するアンケートは374人からの962件であり、32冊のファイルに受け付け順に整理しているが、横に並べると1m以上あり、重さは35kg以上にもなる。これにはアンケート用紙以外に、免許状の写しや、QSLカード、写真、その他参考になる書類などが含まれている。
先ず運用年別に運用件数(アンケート数)を表したグラフ(写真13)をご覧頂きたい。横軸が運用年で、縦軸が運用件数である。運用件数は茶色の折線グラフで示し、青色で免許件数(許可なども含む)を示している(免許年と実際の運用年は必ずしも一致しないことがあるため)。これを見ると1977年頃から運用件数が増え出し、更に1985年で急に増えてピークになり約10年間高い値を示しているが、それらの理由は詳しく分析していない。
(写真13)日本人による海外運用件数の推移
筆者は1978年に米国に赴任し、翌年からCQ誌に「N2ATTのニューヨーク便り」の記事を連載、1981年から「JANET NEWS」と題する記事も連載したのでその影響であれば嬉しいのだが、この頃から日本の企業の海外進出が急増したのでそのためであろうし、後者の1985年は同じくCQ誌に「日本人による海外運用」の記事を連載しはじめた時期ではあるが、1985年には日米間で相互運用協定が結ばれ、海外での運用が容易になり、関心が高まったからであろうと思われる。
その後急速に減っているのはCQ誌の連載が終わりに近づき(1999年1月号の第153回で終了)、アンケートの回収に力を入れなかったためであって実態に合っていない。全体を通じても実際の海外運用は少なくてもこの2倍以上あったものと考えている。また、このグラフは新規に開始した運用件数であり、その後も引き続き運用している局もあるので、その年ごとのアクティビティを示していないことにも注意が必要である。毎年、その時点で誰が海外で運用していたかを示すデータがあればもっと興味深い概観ができるかも知れない。また、アクティビティは多少サンスポットのサイクルとの関係もあると思われるので、参考としてサンスポットのグラフを示しておく(写真14)。
(写真14)サンスポットのサイクル (QST誌 2007年10月号から引用)
次に、962件のアンケートを大陸別に分けてみると(写真15)、オセアニアとアジアで全体の半数以上を占め、それにヨーロッパと北米を加えると90%になり、アフリカや南米は極端に少ないことがわかる。しかし、大陸別エンティティ数でみると(写真16)、ヨーロッパが最高で、オセアニアと続き、アジア、北米、アフリカが肩を並べるが、南米はその半数程度である。これは各大陸のエンティティ数が同じではないので、この比較は意味がないかもしれないが、それにしても合計179エンティティから運用したことを示しており、日本人とのQSOだけで、DXCCを完成させた方もおられるのではないかと思えるほどである。なお、南極の2件はKL7YR大竹武氏からのレポートであるが、昭和基地からの運用ではない。
(写真15)日本人による海外運用、大陸別件数
(写真16)日本人による海外運用、大陸別エンティティ数
アンケートは1人が複数件あるものも多く、962件のアンケートは374人から寄せられたもので、筆者の71件(42エンティティ)を除けばJH1VRQ秋山直樹氏の42件が最高であり、JA3UB三好二郎氏の27件、JA1BK溝口皖司氏の22件、JH6RTO福島誠治氏の20件と続き、トップの10人で262件と全体の27%を占めている。1件だけの報告者は238人で、これが最高の人数であり全体の64%を占めるが、件数では25%である。
海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~ バックナンバー
- その45 タイで第16回SEANETコンベンションを開催 1988年 (1)
- その44 CQ誌の「N2ATTのニューヨーク便り」 1987年 (6)
- その43 記事執筆を励まされるもの 1987年 (5)
- その42 相互運用協定の恩恵 1987年 (4)
- その41 海外運用の後方支援 1987年 (3)
- その40 CEPTその後 1987年 (2)
- その39 相互運用協定が拡大 1987年 (1)
- その38 当連載では日系人も紹介 1986年 (4)
- その37 国際平和年 1986年 (3)
- その36 大学のラジオクラブが活躍 1986年 (2)
- その35 多様な国々からQRV 1986年 (1)
- その34 日本人による海外運用の記録をCQ誌に連載開始 1985年 (7)
- その33 IARU第3地域国際会議 1985年 (6)
- その32 中近東地域へも進出 1985年 (5)
- その31 中国への支援や指導での友好関係が延々と今に続く 1985年 (4)
- その30 JLRSのYL達が活躍 1985年 (3)
- その29 国際連合創設40周年 1985年 (2)
- その28 米国で日本との相互協定による運用許可開始 1985年 (1)
- その27 アマチュア衛星通信が盛んに 1984年 (3)
- その26 肩身の狭い海外運用 1984年 (2)
- その25 免許状 1984年 (1)
- その24 FCC 1983年 (3)
- その23 CEPT 1983年 (2)
- その22 世界コミュニケーション年 1983年 (1)
- その21 ユニセフアマチュア無線クラブの活躍 1982年 (2)
- その20 米国で日本の経営や品質が見直された時代 1982年 (1)
- その19 青年海外協力隊員が海外運用でも活躍した時代 1981年 (2)
- その18 相互運用協定への聴問会が開かれる 1981年 (1)
- その17 日本人によるDXツアーが始まる 1980年 (2)
- その16 1980年代の概観 1980年(1)
- その15 国際クラブ・JANETクラブ発足 1979年
- その14 海外運用のグローバル化・筆者米国へ赴任 1978年
- その13 バンコクでSEANETコンベンション開催 1977年
- その12 国連無線クラブ局K2UNの活性化 1976年
- その11 米国で日本人にも免許 1975年
- その10 戦後初のマイナス成長 1974年
- その9 変動為替相場制に移行 1973年
- その8 企業の海外進出 1972年
- その7 初回SEANETコンベンション開催 1971年
- その6 大阪万博の年1970年
- その5 海外運用の黎明期(3)1969年
- その4 海外運用の黎明期(2)1968年
- その3 海外運用の黎明期(1)1965~1967年
- その2 20世紀後半の概観
- その1 プロローグ