2013年7月号
連載記事
海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~
JA3AER 荒川泰蔵
その4 海外運用の黎明期(2) 1968年
SEANETの存在
筆者が仕事で東南アジアに駐在した1960年代後半、東南アジアを中心にSEANET (South East Asia Network) があり、各国のハム達が毎日12:00 UTCから14.320 MHzで、セイロン(現在のスリランカ)の4S7PB, Paddy (写真1の左)がネット・コントロールをするこのSEANETで連絡を取り合っていた。筆者はこのSEANETのお蔭で各地のハムと知り合うことができたが、これらSEANETのメンバーが外国を訪れるとき、お互いにその国のメンバーを訪ねて国際交流を図っていた(写真1の右)。
写真1. (左) SEANETのネット・コントローラー、4S7PB, Paddy。 (右) バンコクのHS1AF宅にて、左からHS1TA筆者、HS3WC、VE7IR, Big John、HS3WT, Bill夫妻、HS1CB, Chankij、HS1AF, John夫妻。
その内に、一度皆で集まろうということになったのか、1971年にマレーシアのペナンで第1回SEANETコンベンションが開かれ19名が参加したようである(写真2&3)。筆者は1969年に帰国したため参加できなかったが、写真に写っている17名中9名とは面識があった。この時代東南アジアのネイティブハムは少なく、写真の17名中12名は東南アジアに駐在する欧米人であった。以来このSEANETコンベンションは毎年場所を変えて開催されており、今年2013年は10月に横浜で開催される予定である。
写真2. ペナンで開かれた第1回SEANETコンベンションの参加者。
写真3. 第1回SEANETコンベンションの参加者リストとプログラム。
1968年 (カナダ VE3ELU)
JA1CBD高部克彦氏が1968年にカナダでVE3ELU(後VE3VTに変更)の免許を取得し運用を始められた(写真4)。アンケートは1985年に書かれたものであるが、「カナダでは新しいクラス制を検討中で、Digital Class (No CW)が7年で150人が合格、内110局は既に免許局であり、あまり開放されていない現状をもっと簡単にしようと言う考えです。USの相互運用協定についてはCanadian Amateur Radio Federation からは批判的な意見が出ており、即ち同格ではないと考えている。カナダはまだまだという考えです。やはりUSより一世紀遅れている感がまだあります。しかし、主要27ヶ国と相互運用協定は結んでおります。Landed Immigrantはカナダ人と同じ資格で免許を取ることが出来ます。従ってカナダでハムになりたい人はLanded Immigrantで滞在する必要があります」と、カナダの当時の状況を述べておられる。
写真4. (左) VE3ELU高部克彦氏と2ndのVE3PKJ, Kenneth君 (1983)。 (右) VE3ELUのQSLカード。
1968年 (マカオ CR9AK)
筆者JA3AERは1968年に仕事で香港に滞在中、香港のアマチュア無線クラブ(Hong Kong Amateur Radio Transmitting Society - HARTS)のミーティングでマカオへDXペディションに出かける話を聞きメンバーに加えてもらった。8月2日、VS6DR, Phil (米国人)、VS6AD, Herb (デンマーク人)、SWL, Roy (英国人) とともに香港から水中翼船でマカオに渡り、CR9AK, Fernando de Macedo Pinto氏の好意により、4日間CR9AKのコールサインでゲストオペさせてもらった(写真5)。当時ポルトガル領であったマカオは外国人に免許を与えておらず、CR9AKがマカオ唯一のアマチュア無線局だったので、世界中からのパイルアップに合い、3,080局(内JAとは1,390局)とQSOした。香港に戻ると既にQSL カードが届いており、その後数週間QSLカードの発行に忙しかったことを覚えている。
写真5. (左) CR9AKのQSLカード(1968)。 (中央) CR9AKを運用中の筆者JA3AER。 (右) CR9AK宅にて、左からCR9AK, Pinto(ポルトガル人)、VS6DR, Phil(アメリカ人)、CR9AKのXYL(中国人)、SWL, Roy(イギリス人)、VS6AD, Hearb(デンマーク人)、JA3AER(日本人)、真ん中の犬はドイツ生まれと国際的。
その翌年8月30日から31日にかけて、単独で再び CR9AK をゲストオペさせてもらった(写真6)。そのときは2日間で780局とQSOしたが、 QSLカードは JA1AG 黒川晃氏がマネジャーを引き受けてくれたので助かった。
写真6.(左) CR9AKのQSLカード(1969)。 (中央) CR9AKのシャックにてPinto氏と筆者JA3AER。 (右) CR9AKの運用証明書。