2014年2月号
連載記事
海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~
JA3AER 荒川泰蔵
その11 米国で日本人にも免許 1975年
1975年 (スウェーデン SM0HEG)
スウェーデン在住のSM0HEG (JA3DHZ)笠松善男氏(写真9)から次のようなレポートを頂いた。「毎週末QRVです。アンテナの関係でHome QTHから60kmの所にシャックがあります。Long.(東経)18.43.5, Lat.(北緯)59.19.9の所がポジションです。ストックホルムの多島海の中にあり、OH0との間にあるスウェーデンとの本島の方に近い島です。 橋が架かっているので島と呼ぶのも何かと思いますが、近くの入江まで300mで海抜20~30m位の所です。土地の面積は約300㎡で建ぺい率は(60㎡+40㎡)ですから幾らですか? シャックが建っています。アンテナも、現在14, 18, 21, 24, 28MHzが運用可能です。(1991年10月記)」 笠松善男氏は1972年6月8日にJA3DHZ/SM0でAクラスの臨時免許を得、1975年9月30日にBクラスの資格試験に合格されて(写真10の左)、1975年10月7日にSM0HEGの免許を取得しておられ(写真10の右)、当時のスウェーデンのルールも送ってくれた(写真11及び12)。尚、1990年11月1日には同じコールサインSM0HEGでCEPTライセンスを得ておられる(写真13)。また、1974年にJA4WNR/SM4で臨時免許を得られた杉原多二雄氏によると、笠松善男氏とは1974年の時点でJA3DHZ/SM0とQSOしたとの事である。
写真9. SM0HEG笠松善男氏のQSLカード
写真10. (左)SM0HEG笠松善男氏のBクラスの合格証と、(右)同じく無線局免許状(いずれも1975年) (クリックで拡大します)
写真11. 英文で書かれた1975年当時のスウェーデンのルール(前半) (クリックで拡大します)
写真12. 英文で書かれた1975年当時のスウェーデンのルール(後半) (クリックで拡大します)
写真13. SM0HEG笠松善男氏のAクラスのCEPT免許状(1990年) (クリックで拡大します)
1975年 (リベリア EL2FY)
故JA1XAF斎藤栄一氏(写真14)から次のような報告を頂いた。「リベリアにおける初めての日本人の免許であった(写真15の左)。職場がリベリア通信会社(電気通信専門家-国際協力事業団/富士通より派遣されていた)であったため、日本の免許(1アマ)で免許がOKであった。160m & 6mの免許及び運用はリベリアで最初のもので、World Communication Yearの伝播試験との理由にて特別許可を貰ったものです(写真15の右)。他に臨時免許にてEL2G(1975), EL6A(1976)を運用致しました。延べQSO数35,000(内日本25,000)、その内160mにて延べ400QSO(内JA150QSO)、50MHzにて延べ3,000QSO(内JA2,300QSO)でした。160m/6mでは沢山のJAにWACを提供できたと思います。EL2FY(写真16)としては、日本全市との交信、50MHzにて山梨県を除く全都道府県とQSO致しました。(1986年7月記)」
写真14. (左)米国NJ州のN2ATT筆者のシャックを訪問したJA1XAF斎藤栄一氏(右)(1986年)と、(右)JA1XAF斎藤栄一氏のシャックを訪問したEL2BA, IARU Reg. 1理事(左)(1980年代)
写真15. (左)EL2FY斎藤栄一氏のHF帯の免許状と、(右)実験のため特別に発給された50MHzの免許状(いずれも1981年)。 (クリックで拡大します)
写真16. (左)EL2FY斎藤栄一氏のQSLカードと、(右)5L2FY斎藤栄一氏のQSLカード
1975年 (香港 VS6ER)
海外駐在経験豊富なJA1CMD宮盛和氏(写真17の左)から、香港でのゲストオペについて次の様な報告を頂いた。「1975年、香港に約6ヶ月滞在の際、香港工業専門学院(Hong Kong Technical College)(写真17の右)のクラブ局、VS6ERをゲストOP として運用させてもらった。(1987年4月記)」
写真17. (左)ホームシャックでのJA1CMD宮盛和氏(1994年)と、(右)Hong Kong Technical Collage(ウエブサイトより)