2013年8月号

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連載記事

海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~


JA3AER 荒川泰蔵

その5 海外運用の黎明期(3) 1969年

SEANETコンベンション2013 in 横浜

先月号で述べたSEANETコンベンションが、日本人の海外運用に果たした役割は大きい。主催国が特別局を設置して、国籍を問わず参加者にゲストオペを認めてきたことは特記すべきことで、ここで初めての海外運用を経験した日本人も多いと思う。この連載でも今後その様子が運用した人から語られるであろうが、そのコンベンションが20世から21世紀へと世紀をまたいで引き継がれ、今なお各地で開催されていて参加する日本人に海外で運用する機会を与えてくれている(写真1及び2)。今年2013年は2回目の日本での開催で、2006年の大阪に続いて横浜での開催である。詳細はこのURLでご覧頂けるが、既に特別局8N1SEAの運用が始まっている(写真3)


写真1. タイでのSEANET特別局、(左) HS72B @ Bangkok (2004)、(右) HS35SEA @ Lampang (2007)


写真2. マレーシアでのSEANET特別局、(左)9M4SEA @ Kota Kinabalu (2008)、(右) 9M0SEA @ Johor Bahru (2003)


写真3. (左) 大阪での開催時の特別局8J3SEAの開局式、左からJA3AOP, JA3UB, JA3AA, JA3AER (2006)、(右) 横浜での開催時の特別局8N1SEAの開局式、前列左から JA1BNW, JA1NVF, JA1BRK, JA1AX, 後列左から JF1NFF, JA1CQT, JH1ECG, JH1XUP, 7K3EOP, JN1DNV (2013)

1969年 (ドイツDJ0VK, DJ0UL)

JA7HM壱岐邦彦氏がDJ0VK(後にDF2CW)の免許を取得した頃の様子をレポートしてくれた(写真4及び5)。「1966年1月、西ドイツ、シーメンス社に就職の為渡独、無線局開局の為当地の電監に問い合わせたところ、JAの無線従事者免許証の翻訳を日本国大使館で確認させるだけでよろしいとの事で、所定の申請書と共に提出、1969年8月DJ0VKの呼出符号でBクラスが許可になり運用を開始する。その後国籍変更により、外国市民として私に与えられていたこのコールサインを返上、新たに1976年10月にDF2CWが交付される。申請にあたっては、当地のハムの援助を必要としない程簡易であった。但し、当地では月額3ドイツマルク(約350円)の電波使用料とでも言うべき費用を支払わなければならない。申請にあたっては、所轄のOberpostdirektionのアマチュア無線係に提出する必要があります。(1985年記)」
尚、壱岐氏は現在もドイツでDF2CWとしてアクティブである。


写真4. DJ0VK 壱岐邦彦氏 (1985) とDF2CWのQSLカード (ex DJ0VKとある)


写真5. DF2CW壱岐邦彦氏の免許状(1977)

また、JA1SC松村創氏がDJ0ULの免許を得た頃のことを思い出して、レポートを寄せてくれている(写真6)。「免許の申請は1968年11月頃ですが、古いことで記録がありません。誰にも助けてもらわず、直接郵政局に手紙を出しました。宛先分からず、又郵政局として出しましたが、すぐに返事があり、申請用紙を送ってくれました。添付書類は日本の無線従事者免許証の訳(在ドイツ日本領事館の訳したもの)、西ドイツの滞在許可の写しだけで、試験も局の検査もなく、1969年2月1日付で、オールバンド、オールモードの免許が下りました。私の目的は日本と連絡を取りたいのではなく、地元の人たちと親しくなりたかったので、VHF 2mで電話ごっこをしたり、Fox huntingに行ったりしていました。1971年5月~1974年7月、ジュネーブ勤務を命じられ、DJ0ULの方は休局し、時々4U1ITUを運用、当時ITUの職員だったJA1CLN笠原氏と親しくなりました。1974年8月からDJ0ULを再開局、笠原氏と連絡をとりつつ、当地の電波法、アマチュア無線に関する法律を日本に送り、最近(と言っても昨年1986年)やっと日独相互運用協定が結ばれました。CQ-DLの86年8月号には JAS-1の記事も独訳して載せてもらいました。(1987年記)」


写真6. 1994年のJAIG(Japanese Radio-Amateur's In Germany)ミーティングでのDJ0UL松村創氏(右端)と、DJ0UL松村創氏の免許状(1980)

次にON8YAとして紹介するJA0NK井口幸一氏も、同じころドイツでDJ0CTの免許を得ておられ、ドイツでは日本との相互運用協定が結ばれる以前から、国籍を問わず比較的容易に免許が与えられていたようである。

4U1ITU開局50周年

6月号(その3)で、1965年にJA1DCY神山堅志郎氏が、ジュネーブのITU本部のクラブ局4U1ITUからゲストオペされたことを紹介したが、今回紹介したJA1SC松村創氏も1971年から1974年にかけて4U1ITUをゲストオペしたと述べておられる。他にも多くの日本人が訪問した国際的なクラブInternational Amateur Radio Club (IARC)は、日本人の海外運用で特筆すべき存在であり、1962年6月に開局した4U1ITUは、昨年が開局50周年であった。このほどスイス在住の元4U1UN会長HB9RS, Dr. Max deHencelerから、4U1ITU開局当時の事を書いたとメモが届いたので、その一部を紹介しておこう (写真7)。彼はハリクラフター社製通信機のコレクターでもあるが、ハリクラフター社の創始者W4AK/W9AC 故Mr. William Halliganとも懇意であった。Mr. William Halliganは4U1ITUの創立にあたり、ハリクラフター社製通信機一式を寄贈している。


写真7. HB9RS, Dr. Max. deHenseler から届いた4U1ITU開局当時を説明したメモ

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