2014年6月号

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特別連載

D-STARの開発と実用化

編集部

第2回

実用化実験へと進む

総務省(郵政省)による3年間の調査検討が終わり、JARLは実用化実験に取り組み始めた。前年度の報告書に基づく実験局の免許を受ける準備を進めるが、実験局に必要なシステムの製作は、前年まで実験に協力してきたアイコム以外では事実上不可能なため、JARLはアイコムにシステムを発注することにした。この実験局のシステムは全て総務省のプロジェクトを元にしたJARLの次世代通信委員会の承認による仕様である。

ここで、D-STARの商標について説明しておく。商標は、将来使用する可能性のある商標をあらかじめ出願しておくことが重要で、これは、いざ名称を使用しようとした際に、既に他人がその権利を取得しており、法的に使えないことがあるからだ。このため、アイコムでは当時から製品につける商標を定期的に出願していた。D-STARもその出願のうちの一つであった。D-STARの商標は、このシステムで使用するのに名称的にベストと考えられ、アイコムからJARLに無償で譲渡された。(出願番号 商願2001-69753 譲渡日 平成13年10月1日) これについては特許庁の包袋(ほうたい)を取ることで内容が分かるし、譲渡の契約書も残っている。なお、当初はD-STARという商標だけでその意味づけは無かったが、後に次世代通信委員会でDigital Smart Technologies for Amateur Radio と意味づけされ、それが定着して行った。

さて、いよいよデジタル通信の伝搬試験の準備が進み、反射のできるだけ少ない場所と、逆に反射の多い場所で基礎実験を行うことになった。反射のできるだけ少ない場所としては栃木県、埼玉県、茨城県、群馬県の4県にまたがる広大な渡瀬遊水池が選定された。ここはおよそ8km四方に橋や大きな建物など電波を反射するものがなく、実験では反射のない基礎的なデータを取ることができた。この実験には次世代通信委員会の委員とJARLの職員が参加し、渡瀬遊水池内だけでなく、筑波山に登った実験参加者とも通信実験を行うことができた。

この実験に先立ち、渡瀬遊水池に行くまでの道路で、2台の車両間で通信を行いながら現地に向かったが、車両間にダンプカーが3~4台入ると通信が切れてしまうことが分かり、関係者は少々落胆したという。


渡瀬遊水池


渡瀬遊水池での実験風景

また、逆に反射の一番多い場所として霞ヶ関ビルの屋上にレピータを設置し、その下の道を車で走って反射の多い状況での実験が行われた。この実験ではビル等の反射によるマルチパスの影響で通信が途切れてしまい、実用化に前途多難な実験結果となった。事実、委員の中からは使い物にならないとの酷評も出たほどだった。この実験の様子はインターネットでその実況が流されたため、遠く大阪でも運用状況を聞くことができた。

この霞ヶ関ビルの屋上には年末から年始の間、レピータを設置したままにしておき、種々の実験が行われた。ところが、レピータが時々ロックアウトする事態が発生した。こうなってしまった場合は一度電源を落とすか、レピータのリセットボタンを押さないと正常に戻らないことが判明し、担当者が何度も霞ヶ関ビルの屋上まで上るというハプニングもあった。しかし、これらの実験結果はしっかりと検証され、不具合は1つずつ取り除かれて行った。

10GHzバックボーンの通信実験

1.2GHzの通信での不具合が改良された後は、10GHzのバックボーンも使った本格的な実験が行われることになった。東京中心部より約20km離れた西東京市に、地元FM放送やトランキングシステム等、様々な電波を送信する高さ195mの田無タワーがあるが、2002年4月にこの場所と約9km離れた調布市にある電気通信大学(電通大)との間でバックボーンの10GHzの実験が行われた。実験は、パラボラアンテナを対向させ、それぞれの場所にデータ系DD(Digital Data)モードと音声系DV(Digital Voice)モードの1.2GHzのレピータを組み合わせ、関東一円での実験が行われた。最長は富士山の六合目に登った参加者との間で約150kmの通信ができた。その他にも筑波山や東京都内、横浜市等と通信することができた。もちろん当時JARL本部のあった巣鴨とも通信ができた。


田無タワーでの実験

この時期にJARLには別の大問題が持ち上がった。それは電力線搬送、PLC (Power Line Communication)の問題だった。これは、通信線として使用することが考慮されていない電力線(電線)に電波を乗せて構内通信網を構築したり、電力線をそのまま通信インフラとして利用したりする方法で、これが実現すると電力線から不要な電波が輻射されることは明白だった。

PLCを推進したい団体と、これに反対するJARLとが合同でこのPLCの電波の漏れについて実験を行うことになり、実際に様々な条件下で実験が行われた。PLCの問題はアマチュア無線にとって大問題であり、多くの有能な委員が両方の課題に同時に取り組むのは困難なために、その結果としてD-STARの推進が1年近く遅れることになった。

再びD-STARの検討ができるようになったJARLは、免許付与基準のための条件について総務省と協議を始めた。今までFMのレピータはJARLに対してのみ免許されており、D-STARのレピータについても同様になると思われた。D-STARは10GHzの広帯域多重通信、1.2GHz DDモードの広帯域デジタル、DVモードの音声と低速データの多重、インターネット接続、レピータにおける1.2GHzと430MHzのクロスバンド通信等課題が多かった。その中でも、最大の課題は秘話問題だった。インターネットと同じデータは秘話扱いになるのか、あるいは音声通信では変調の都合上スクランブラーをかける必要があるがそれは秘話に当たらないか等の課題だった。総務省はJARLを始め関係者から意見を聞き、2003年4月25日に一般から意見を聞くパブリックコメントを募集した。1ヶ月で締め切りその意見を反映したり、その後の参考にしたりした。

アナログと遜色の無い通信距離

一方、実験局の免許で、実用化に向けた様々な実験が行われた。当初デジタルモードはアナログモードと比べて飛ばないと言われ続けた。その実験のため、国道24号線の10数キロメーターの道路で幾度となく比較実験が行われた。結論的に、ある程度の了解度が確保できるデジタルモードの到達距離が12kmであったのに対し、同じ条件で実験を行った従来のアナログ通信の到達力は12.6kmであり、わずか600m(約5%)の違いがあることが確認された。

デジタル通信では切れてしまうと了解できなくなるため、了解度は5か4しかなく、了解度3はない。しかしアナログでは了解度3なら人間の耳での補完によってまだまだ了解できるため、この5%はその違いよる差であると考える。当初は、デジタルはアナログの半分も飛ばないように言われることもあったが、イグニッションノイズやフェージングによる雑音などが気にならない快適な通信が可能なため、「飛ばない」という噂は無くなっていった。

音声コーデックはSSBより狭帯域にできるAMBEの採用が決まり、音声と同時に低速の画像やデータを送ることを想定した方式が採用されたが、後にはこの低速データにGPSデータを乗せて音声と同時に送る便利な方法に発展して行った。

デジタル音声では当然同期が必要で、音声通信の送信の頭から受信すると同期信号があるため同期するが、途中から受信したり、通信の途中でフェージングなどのため一旦切れたりすると同期が取れず受信できなくなる。これは、開発当初には気付かれず、実験を通して判明したものだが、この対策として音声パケットのデータフレームに周期的な同期信号を入れることで解決された。これは上記の実験道路で何十回も実験して確認され、実用化されたという。

レピータの実用的な改善も行われた。最初はレピータに届いたコールサインのエラーを検出して100点満点のものだけを接続、中継した。ところがコールサインの部分でエラー訂正をかけていても必ずしも100点満点にはならなかった。その結果、音声が途切れることが頻繁に起こってしまい実用的でなかった。そこで最初に取れたコールサインはどこか一字エラーがあっても他の文字が合っていればある確率で繋ぐことにした。その結果、接続が大幅に改善され、現在のような実用的なレピータになった。

デイトンハムペンションで宣伝

実験局での最終実験も終わった頃、D-STARは世界中で評判になったため、2003年5月に開催された、米国のデイトンハムベンション2003に宣伝に行くことになった。JARLの森氏とアイコムの櫻井氏が米国に飛んだ。「思った以上に大歓迎されました」と櫻井氏はそのときの様子を話す。

帰国後の委員会でD-STARを否定しているメーカーの委員から、米国で「アイコムのD-STARと宣伝していた」との非難が上がったが、「JARLの森所長と一緒に行っていてそのようなことを言う訳もなく、全く根拠のない話です」と櫻井氏は否定する。また、「アメリカで色々な人に意見を聞いたところ、JARLで一括管理する管理サーバーの方法は、アメリカでは受け入れられないというのです。アメリカ人は政府であれ誰であれ1人だけで握りしめているような方法は許せないと考えることが判りました」櫻井氏は説明する。


左から櫻井氏、森氏、ARRL会長

デイトンハムベンションでの宣伝後、マルチ管理できる管理サーバーが考えられ、ソフトウェア会社に依頼しプロトコルを作ってもらって実験を行ってみたところ、特に問題なく動作したため、このマルチ管理できる管理サーバーのプロトコルは、米国版として発表された。その結果、米国ではこれが標準方式となり、瞬く間に、日本を除く世界中の標準方式となった。そのため日本はガラパゴス状態になってしまった。しかし、日本の方式はJARLと総務省との間で決まった方式のため、簡単に変更することができないというのが事実である。

2003年8月に三木氏が会長となっていた第46回移動通信研究会が電気通信大学の目黒会で開催され、多くの業務通信の研究発表の中で、櫻井氏により「アマチュア無線高度化の動向」というタイトルでD-STARの発表がなされた。これはD-STARを通信技術者ひいては世に知らしめる絶好の機会となった。

2004年になって間もなくすると、総務省から技術基準改訂の発表があり、これが実施されることになった。それまで課題であった色々な諸問題が整理され、これによってD-STARの免許が正式に許可される目処がついた。それを受け、まずは東名阪にレピータの設置が進められることになった。

<次回予告>

自然公園法の制約、大電力放送局からの抑圧など、レピータを実際に設置するには様々な苦労があった。さらに設置後にも、設置したアシスト局間に障害物の建設や、落雷など様々な障害が発生。D-STARの将来は?

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