2014年6月号

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連載記事

海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~


JA3AER 荒川泰蔵

その15 国際クラブ・JANETクラブ発足 1979年

国際クラブ・JANETクラブ発足

この年の12月にJANETクラブが発足したことを、筆者がCQ ham radio誌に投稿し、1980年3月号の「N2ATTのニューヨーク便り」のコラムに、「NYにJA-NETクラブ誕生」と題して掲載された(写真1)。それには、「クリスマスも間近い去年12月23日の午後、ニュージャージーのN2ATF小林さん宅で、ニューヨーク、ニュージャージー在住の日本人ハムが集まって、JA-NETのミーティングが開かれました。昨年2月にJA1ANG米田さんを迎えて、ニューヨークのN2JA塚本さん宅に集まった(写真2)のが始まりで(本誌5月号で紹介)、今回が2回目ということになります。日本企業の出向員や駐在員が多いだけに、この10カ月間に帰国されたかたもあり、また新しく来られたかたもありました。毎週日曜日にJA-NETでQSOはしているものの、久しぶりのアイボールQSOで夜遅くまでラグチューが続きました。また途中、N2BHY宮城さんが最近完成された15エレ・ログペリアンテナ(ブーム長30m)の見学もしました。約1年間JA-NETをほとんど欠かすことなく運用してきたこと、JA-NET名簿を中心として塚本さんが”Directory of Japanese Hams in the Americas”を発行されたこと、また今回のようなミーティングを持てたこと、JAから来られるハムのお世話をしてきたことなど、一つの集まりとして実績も出てきたので、この日のミーティングではクラブを結成しようという声が上がり、JA-NETクラブが誕生することになりました。名簿には、W以外にもVE, XE, PY, OA, PZなどを含め既に54名が登録されていますWへの出張や旅行のついでに、Wの免許をとってみようというかたは、N2JA塚本さんまでご連絡ください。受験の手引きを用意しています。(以下省略)」


写真1. CQ ham radio誌1980年3月号に掲載の「N2ATTのニューヨーク便り」の記事(筆者のスクラップブックより) (クリックで拡大します)


写真2. (左)1979年2月、JA1ANG米田治雄氏をNYに迎えて、N2JA塚本氏宅へ集まったNY及びNJ在住の日本人ハム達。前列左から、不詳、AK2Q(JA1FML)熊谷氏、N2JA(JA1ANE)塚本氏、JG1NBK辻田氏(JE1WMGのXYL)、N2JA塚本氏のXYL、後列左からWB2ZTB(JA1PTI)山口氏、N2GP(JA1ASC)島津氏、JE1WMG辻田氏、N2BHY(JE3FPX)宮城氏、N2ATT(JA3AER)筆者、JA1ANG(N3AMW)米田氏、N2ATF(JA1BMI)小林氏。 (右)JA1ANG米田治雄氏と歓談する筆者。

今年(2014年)で35周年になるJANETクラブは現在も健在で、毎週日曜日午前7時(JST)からのJANET(ネット)は、W6ZENゼンさんこと山本さんのネットコントロールで続いていて、インターネットによるJANETCLUB MLの参加者数は166人に達している。このMLで、最近参加された方にN2JA塚本さんが、JANETについて次のような趣旨の説明しておられる。「JANETは海外で無線をとの共通の興味から始まったもので、最初は免許もとれず指を加えていた人達が、オンエアを始めて集まってできたグループです。どのような事情で海外にでたにせよ、日本人というidentityを持ちながら、好きな無線をやりたいというチャレンジ好き無線好きのグループだと思っています。言われたことをやるのではなく、やりたいことをやりたいという仲間なのだと思います。会長も規則もないのもそんな理由なのだと思います。まあ年月ばかりたってしまい、惰性というか、ただ怠惰になってきたところもあるので、新しいメンバーに入っていただけるのは良い刺激になります。」

1979年 (米国 N2ATT, N1APF, KA2GOK, N6BLK, KL7GX)

筆者はこの年から借家にビームアンテナを上げて、N2ATTとしてQRVを開始した(写真3)。最初のQSOは1月30日に21MHzのCWで、N2ATF小林氏とであった。このコールサインN2ATTは気に入っており、アップグレードした今でも更新して所有している(写真4)


写真3. (左)N2ATT筆者と、(右)N2ATTの最初のQSLカード。


写真4. アップグレードと更新をしたN2ATT筆者の最近の免許証。

N1APFの免許を取られたJA1BNW廣島孝之氏(写真5)は当時ブラジルに駐在中で、米国の免許を取得した動機を次のように寄せてくれた。「ブラジルと米国の相互運用協定を活用して、ブラジルで運用するために取得した免許(写真6)です。目的は達成され、1980年にPY2ZTHのコ-ルを取得することが出来ました。その後、このFCCの免許はイタリ-でも認められ、I2ZKAを運用することが出来ました。また、4U1UN も運用させて頂きましたが、米国でのN1APFとしての運用はRIとNJで合計100局程度です。(1994年1月記)」 尚、廣島氏は「今月のハム」のコラムにも登場ですのでをご覧ください。


写真5. N2ATF小林氏のシャックで運用する、N1APF廣島孝之氏。(1982年)


写真6. 更新されたN1APF廣島孝之氏の免許証。

KA2GOKの免許を取られた故JA1ESP江崎昌男氏(写真7)は、「1978年11月より2年間の予定で、社用でNY州OSSININGに滞在、LOCAL局W2HV(Henry Volker氏)の助けで局免を得て開局、ハドソン河沿いの丘の上にある鉄筋7階建てアパート住まいで、最上階の室内ダイポール(21MHz用)とTS-120で運用した。約6ケ月で、CW-WASを完成、主にEUとSAで40カントリー(400局)とQSO、実運用期間は1年余りであったが、大変よい思い出となった。現在、仕事の関係でU.S.からJAに来ているHAMが、JA Callでの運用が(クラブ局という変則的方法以外に)ままならず、小生がU.S.でEnjoyした境遇に比べて、我が国の電波行政に対する閉鎖性を痛感している次第。(1985年5月記)」 とアンケートを寄せてくれていた。


写真7. (左)KA2GOK江崎昌男氏のQSLカードと、(右)東京ハムフェアー2000にてKA2GOK江崎昌男氏(中央)、左側はN2ATT筆者、右側はXE1KK。

N6BLKの免許を取得された故JA1VE南波孝昌氏(写真8)は、「1979年1月転勤で渡米、3月にSF市内のFCCで受験、4月にライセンス受領(写真9)、1st QSOは1979年5月30日のJA8STJであった。1984年12月26日に帰国、Last QSOは1984年12月15日のJA5FHPであった。帰国内定後、米人の知人のQTHに変更し、現在1994年10月9日までのライセンスを所持している。(1985年4月記)」 とアンケートを寄せてくれていた。


写真8. (左)N6BLK南波孝昌氏のQSLカードと、(右)職場でのN2BLK南波孝昌氏。(1980年代)


写真9. N6BLK南波孝昌氏の免許証。

この年KL7GXの免許を取得されたJG1BUF酒村伸二氏は、すぐにアップグレードしてNL7Tとなった(写真10)と、次のようにレポートしてくれた。「JA1VE(N6BLK)南波さんからARRLのLICENCE MANUALをいただき、自宅から数マイルの所にFCCのOFFICEがあることがわかり、さっそく受験の予約をとり、受けに行った。最初はGENERALを取り(写真11)、数ケ月後にADVANCED, EXTRAを取得した(写真12)。HOMEからIC-720、MOBILEからTS-120でJANETと、JA, W中心にオペレートした。(1987年5月記)」


写真10. (左)NL7T酒村伸二氏のQSLカードと、(右)KL7GX酒村伸二氏。


写真11. KL7GX酒村伸二氏の免許証。


写真12. NL7T酒村伸二氏の免許証。

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