2014年1月号
連載記事
アマチュア無線への思い
JA1CIN 三木哲也
(公益財団法人 日本無線協会)
第8回 新時代を迎えるアマチュア衛星
1.はじめに
人類最初の人工衛星スプートニックが1957年10月7日に打ち上げられて間もない1961年12月12日に、最初のアマチュア衛星が打ち上げられている。初期の10年間に5機のアマチュア衛星が打ち上げられており、急速にその実用性を高めていった[1]。アマチュア無線バンドで通信する衛星はOSCAR (Orbiting Satellite Carrying Amateur Radio)と称され、OSCAR-nと打ち上げ順の番号nが付されている。これまでに73機が打ち上げられているが、そのうち現在使用できる衛星はJARLが打ち上げたJAS-2 (OSCAR-29)を含めて8機ほどである。
半世紀の歴史において、アマチュア衛星の技術は初期のビーコン・テレメータのみから、間もなく中継通信の時代に入り、1980年代になると中継通信以外の多様なミッションの小型衛星も商業衛星や科学技術衛星との相乗りで打ち上げられるようになった。2000年代に入ると、いわゆるキューブサットに代表される手作りの超小型衛星を大学生や高専生が打ち上げる時代になってきた。最近は、衛星打ち上げコストの低減化が進み、一般の人達にも手の届く料金で衛星打ち上げビジネスを利用できるようになってきた。一方、営利目的でない研究開発や教育用の衛星であれば、JAXAやNASAの公募により無料で打ち上げてもらえる機会が増え、意欲があれば誰でも衛星打ち上げにチャレンジできるようになってきた。今回は、これらアマチュア衛星の変遷を概観し、最近の打ち上げ事例と動向を述べる。
2.これまでのアマチュア衛星
2-1 初期のアマチュア衛星
世界初のアマチュア衛星の開発は、アメリカ西海岸のアマチュア無線家達が立ち上げた「プロジェクトOSCAR」が母体となり1960年から始まった。そしてOSCAR1号が、1961年12月12日にカルフォルニア州のバンデンバーグ空軍基地から打ち上げられた。144.98MHz で送信電力0.1WのCWで単に“HIHI・・・”のビーコンを送信するものであった。また、CWのキーイング速度が衛星内部の温度によって変化するように設計されていた。電源が電池のみであったため1962年1月1日で寿命が尽き、わずか22日間の動作であったが、28カントリーから5,000以上の受信レポートが寄せられたそうである。衛星重量は4.5kgであり、軌道は近地点245km、遠地点474km、傾斜角81.2度で地球周回時間は92分であった[2, 3]。
写真1 OSCAR 1号(提供:Wikimedia Commons)
人工衛星の黎明期で軍や研究機関による研究開発段階であり、打ち上げにも巨額な費用を必要とした当時、このような打ち上げを可能にしたのは多くの賛同者による寄付、ARRLの補助金など民間資金の調達、衛星の製作を行ったアマチュア無線家達の熱意と共に、当時のARRL会長が元国務長官で第31代大統領の息子のフーバー氏だったことも大きな力であったと言われている[1]。OSCAR 1号の衛星打ち上げの成功により自信がついて、続けてOSCAR 2号が翌年1962年6月2日に打ち上げられた。やはりビーコン衛星であり、周波数が144.99MHz、送信電力が0.14Wと若干大きくなったこと以外は1号と同等であった。2011年はアマチュア衛星打ち上げの50周年に当たり、11月5日にサンノゼでAMSAT主催の記念シンポジウムが開催されたが、そこでの関係者へのインタビューや、当時のOSCAR 1号からのビーコン信号の録音がARRLのWebで報じられている[4]。また、当時の裏話などが2012年2月号のQST誌に掲載されている[5]。
2-2 アマチュア無線中継衛星
アマチュア無線通信の中継を可能とするトランスポンダを搭載した衛星は、1965年3月9日に打ち上げられたOSCAR-03であった。この衛星は、電話通信のアナログ中継を可能するために送信出力を1Wとし、太陽電池と二次電池を搭載していた。このため、重量は16.3kgと重くなり、トランスポンダのアップリンクは146MHz、ダウンリンクは144MHz、帯域は50kHzであった。軌道はほぼ円形の874km x 902 kmであり高度も高く、周回時間は102.7分とOSCAR 1号・2号より少し長かった。世界のアマチュア無線家に待望された中継衛星であったが、ビーコンは数ヶ月動作したものの、トランスポンダは18日後の3月27日に動作を停止した。しかし、この間に22カントリーで1,000以上のアマチュア局が衛星通信を経験したそうだ [6]。
その後、同様のトランスポンダを搭載したアマチュア衛星が打ち上げられたが、1974年11月に打ち上げられたOSCAR-07は中継機能が強化され、アップリンク144MHz帯、ダウンリンク28MHz帯の送信出力2W PEPのトランスポンダ(Aモード)と共に、アップリンク430MHz帯、ダウンリンク144MHz帯のトランスポンダを搭載し、後者については送信出力を電源事情が良いときには10W PEP(Bモード)とするが通常は2.5W PEP(Cモード)で運用するようなものであった。また、2,305.1MHzというマイクロ波のビーコンも初めて搭載されていた[7]。衛星は、重量28.6 kgの円筒形(高さ35cm、直径42.5cm)で、ほぼ円形の軌道1440km x 1460 kmを傾斜角101.7度で飛行し続けている。実は、打ち上げから満4年を迎える頃から搭載しているNiCd電池の1個か2個のセルが半短絡状態になり運用がかなり制限されていたところ、1979年4月頃このセルがオープン状態になり太陽電池のみによる動作が可能となり延命したが、6年半後の1981年6月中頃に電池のセルが完全短絡状態となり衛星動作は停止してしまった[8]。ところが、その後2002年に電池が何らかの原因で再度オープン状態となり、現在に至っても太陽電池だけによる動作を続けているようだ[9]。当然、動作は太陽の日射が十分なときに限られるが、約40年前のアマチュアが製作した衛星が動作を続けていることは驚異的である。
続いてOSCAR-08が1978年3月5日に打ち上げられたが、この衛星の製作には日本のアマチュア無線家が携わったことで記念すべきアマチュア衛星である。この衛星は、米国のアマチュア無線衛星団体であるAMSAT (The Radio Amateur Satellite Corporation、1969年にプロジェクトOSCARを引き継いで設立)と対応する日本のJAMSAT (Japan AMSAT、1972年に創設された日本アムサットが母体)、およびカナダと西ドイツの4団体が協力して作り上げたのである。これは、日本のアマチュア無線家が衛星製作を手がけた最初の機会となり、トランスポンダと電源装置を担当した。このトランスポンダは、144MHz帯をアップリンク、430MHz帯をダウンリンクとする初めての組合せ(Bモードとは逆の周波数帯)であり、以降この組合せはJモードと呼ばれるようになった[10]。OSCAR-08ではこれとは別にAモードのトランスポンダも搭載していた。送信電力はどちらのモードも2Wであった。
2-3 JARLによるアマチュア無線中継衛星の打ち上げ[11]
アマチュア衛星の打ち上げは、OSCARとは別にソ連でも始まり1978年10月26日にRS-1とRS-2と称する2つの衛星が、いずれもAモードのトランスポンダを搭載して打ち上げられた。1980年代に入ると、1981年にソ連はRS-3~RS-8の6機の衛星を同時に打ち上げた。さらに、英国のUoSATをはじめ、ドイツ、フランスでも打ち上げを計画する状況になってきたことから、これらの衛星を利用するだけの日本への風当たりが強くなってきた。そのような状況を背景に、日本では民間の衛星打ち上げ例が未だ無かった時代、JARL関係者による日の丸アマチュア衛星打ち上げへの地道な努力が1980年代初頭から始まった。電波技術審議会答申の中にアマチュア衛星計画を盛り込んだり、当時の郵政大臣、科学技術庁長官への働き掛けを行い、1981年6月10日付けで電波監理局長宛にJARLの正式な要望書が提出された。それらの努力の結果、1983年3月に宇宙開発委員会において、1985年度冬期に打ち上げ予定のH-Iロケット試験機により複数衛星打ち上げ実験の一環としてアマチュア衛星を含めることが決まった。これによりアマチュア衛星計画はJARLのJAS-1プロジェクトとして動き出し、衛星製作や経費の検討がスタートした。JAS-1の製作については、トランスポンダはJARLが製作し、衛星の構造体の製作はNECに依頼された。必要な経費は4~5億円が必要と見込まれ、その一部として2億円を目標にJARLによる募金が行われた[12]。
JAS-1の打ち上げは、予定より遅れたが1986年8月13日に種子島宇宙センターからH-1ロケット試験機1号によって、ほぼ所期の計画である1479km x 1497 kmの円軌道、傾斜角50度の軌道に投入され、周回時間は115.7分であった。JAS-1はOSCAR-12にあたり、愛称は「ふじ」と命名され、コールサインは8J1JASが付与された。写真2はJAS-1の写真を配したベリカードである。形状はこの写真のような26面体で重量は50 kgであり、トランスポンダはJモードのアナログ通信中継用とデジタル通信中継用が搭載された。アナログ用はアップリンク145.9-146.0MHz、ダウンリンク435.9-435.8MHz、送信出力 1Wであり、デジタル用はAX.25、1,200bpsに対応しアップリンクは145.85MHz、145.87MHz、145.89MHz、145.91MHzの4周波数、ダウンリンクは435.91MHz PSKで送信出力1Wであった。また、ビーコンは435.795MHz 送信電力0.1W、テレメータは435.91MHz送信電力1Wで行われた。JAS-1は順調に動作していたが、3年ほどで太陽電池が劣化したため1989年11月5日に運用が停止された。
写真2 最初に打ち上げられたJAS-1「ふじ」のベリカード〔提供:JARL〕
JAS-1の運用を停止せざるを得なくなったことから、JAS-1の予備機として地上に保管されていたフライトモデルを改修してJAS-1bとして打ち上げられることになり、1990年2月7日にH-Iロケット6号機によって無事に地上912km x 1741 km、傾斜角99.1度の軌道に投入されOSCAR-20となった。この衛星は「ふじ2号」と命名され、コールサインは8J1JBSが付与された。JAS-1bは10年ほどのあいだ順調に動作したが、2000年8月頃より充電不足によるアナログ中継器の停止頻度が増してきた。さらに劣化が進んだため2008年4月末には運用停止となった[13]。
JARLではJAS-1およびJAS-1bに続く衛星として、NECに依頼してJAS-2衛星の開発を進めていたが、これが1996年8月17日にH-Ⅱロケット4号機によって打ち上げられ、地上797km x 1317 km、傾斜角98.7度の軌道に乗った。これはOSCAR-29「ふじ3号」となり、コールサインは8J1JCSが付与された。JAS-2のトランスポンダはJAS-1の構成を継承したものであったが、デジタル通信には1,200bps PSKに加えて9,600bps FSKモデムが搭載された。ただし、アップリンクとダウンリンクの周波数および送信電力はJAS-1と基本的に同一であった。新機能として、地上のFMハンディ機でも簡易なアンテナで受信可能なデジトーカ(デジタル録音された30秒ほどの短い音声をFM変調信号として繰り返し送信する機能)が搭載された。また、磁気トルカ(搭載された磁石により衛星にトルクを発生)により衛星の姿勢を安定化した交信を可能にしている[14]。JAS-2は打ち上げ後13年ほど経過した2009年11月上旬にバッテリー充電が正常ではないことなどが確認されたことから、連続運用を中止してスケジュール運用が行われているが、現在でも動作している[15]。