2014年1月号

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連載記事

アマチュア無線への思い

JA1CIN 三木哲也
(公益財団法人 日本無線協会)

第8回 新時代を迎えるアマチュア衛星

3.大学等によるアマチュア衛星の打ち上げ

3-1 研究教育用衛星
アマチュア衛星の打ち上げは、はじめ20年間ほどはアマチュア無線の中継通信用がほとんどであったが、1980年代に入ると海外では先進的な大学による多様な研究や教育をミッションとする事例が出始めた。有名なのは、英国サレー大学が1981年10月6日に打ち上げたUoSAT-1(OSCAR-09)、および1984年3月1日に打ち上げたUoSAT-2(OSCAR-11)である。主なミッションは電離層伝搬特性測定であったが、衛星からの写真撮影や音声合成信号の送信などの機能も有する衛星であった。重量はそれぞれ52kg、および60kgであり、3軸制御による姿勢制御機能も備えていた。衛星からはアマチュア無線バンドの7, 14, 21, 28MHzでビーコン電波を発射し、それにより電離層の伝搬特性を測定し、CCDカメラによる撮影写真と音声合成信号(150字)は145.825 MHzでのデータ伝送によって行われた。UoSAT-1は1989年10月まで、UoSAT-2は2009年12月まで動作していたようだ。

3-2 衛星設計コンテスト
日本では手作り衛星の打ち上げへのハードルは高く、JARLによるJAS-1の打ち上げは実現したが、それに続く大学などによる研究教育用の打ち上げは長く閉ざされていた。そのような中で、大型衛星に相乗りできる低コストの小型衛星を使って小回りのきく実験を計画するために電子情報通信学会、日本機械学会、日本航空宇宙学会の専門家が行っていた小型衛星研究会において、大学等の学生たちに宇宙に係わる基礎・応用研究を積極化する機会を提供し、宇宙開発のすそ野を拡げることを目的に「衛星設計コンテスト」が提案され、1993年に始まった。現在の主催団体は上記3学会に加えて、地球電磁気・地球惑星圏学会、日本天文学会、JAXA、宇宙科学振興会、日本宇宙フォーラムが加わっており、文科省と総務省が後援する広範な活動となっている[16]。参加者も大学院生、大学生、高専生、専門学校生、高校生までを対象とし、作品の審査を通して学会、大学、JAXA、企業の宇宙開発の専門家が学生を指導する特色ある教育プログラムとして発展している。

募集区分は、衛星のみならず月・惑星探索、衛星搭載機器、国際宇宙ステーション等、宇宙を舞台とするミッションについて、アイデアを競う「アイデアの部」と、それを実現する衛星(重量50kg以内、50cm立方以内)の設計を競う「設計の部」、さらに高校生の自由な発想を競う「ジュニアの部」に分かれている。毎年、4~5月に参加登録、7月中旬に提出された書類による一次審査で選ばれた10~15件について11月上旬に発表と最終審査の会となる。この発表・審査会は公開で行われるので、衛星に関心をもつ学生や一般の参加者も多い。発表はプレゼンテーションだけではなく、衛星の模型(概念モデル)を持ち込んでの説明であり、とても楽しめる。審査会では、着想点、創意工夫、基礎的な技術知識、将来性などにおいて優れた作品が選ばれるが、すべての発表に対して学生の意欲の継続と将来へのステップアップに向けたアドバイスが行われ、最後に優秀作品に対して各種の表彰が行われる。

第1回衛星設計コンテストは1993年に開催され、大学、高専の21グループから応募があり最終審査には12グループが臨み、その中で千葉工大学生グループの「鯨生態観測用小型衛星システムWEOS (Whale Ecology Observation Satellite)」は電子情報通信学会賞を受賞した。この衛星は、一辺50cm の立方体で重さ50kgであり、後に宇宙開発事業団(JAXAの前身)のH-IIA-4号ロケットによって環境観測技術衛星「みどりII」の相乗り衛星として2002年12月14日に打ち上げられ、狙い通り高度800km の極軌道に乗った。この衛星システムの計画は、ブローブ(発信機)を装着させた鯨の行動記録を衛星により収集するものであった。ブローブによって記録した鯨の潜水時の圧力、温度、音響などを浮上時にGPS位置情報と共に400MHz帯で送信、衛星で受信・蓄積し、日本上空を通過する際に地上局にデータ送信を行う予定であった[17]。しかし、実際には鯨にプローブを取り付けることができず、代わりにツキノワグマ、モンゴルの草原を走る馬など陸上動物の観測が行われた。5年後の2008年春に運用を終了している。

昨年の第21回コンテストでは、47作品(設計の部8、アイデアの部23、ジュニアの部16)の応募の中から一次審査を勝ち抜いた16作品(設計の部4、アイデアの部6、ジュニアの部6)が最終審査へ向けて競った。2013年11月9日(土)に相模原市立博物館(JAXA宇宙科学研究所相模原キャンパスに隣接)の講堂で発表・審査会が開催され、そこで設計大賞に選ばれたのは海外から参加の台湾國立成功大學グループによる「大気・電離圏結合の探索衛星(AICE : Atmosphere-Ionosphere Coupling Explorer)であった(写真3)。これは、電離層の地震前兆現象を観測することをミッションとしているが、同様に電離層観測をミッションとする「地上電波利用電離圏リモートセンシング衛星」が電気通信大学グループによりアイデアの部で発表され、こちらには電子情報通信学会賞が授与された。また、高校生によるジュニアの部では、極軌道のアマチュア無線バンド中継衛星により遠隔地の各種観測データを収集する衛星システム(写真4)の提案が長野県立長野工業高等学校と長崎県立長崎西高等学校の2つのグループからあり、宇宙科学振興会賞をジョイント受賞した。


写真3 設計大賞を受賞した台湾國立成功大學グループのAICE衛星模型


写真4 ジュニアの部の発表パネル

3-3 JAXA公募による相乗り衛星
日本での相乗り衛星の打ち上げの公募は2006年になって実現した。JAXAでは、2006年5月にH-ⅡAに相乗りする小型衛星の公募を開始して同年8月に締切り、21件の応募のうち19件が書類審査を経て打上げ候補としてリスト化された。2007年5月に第一陣として相乗りを希望した13件のうち6件が選定され、2009年1月23日のJAXA H-ⅡAロケットによる打ち上げに至った。この6件の中には、第3回の衛星設計コンテストでアイデア大賞を受賞した都立航空高専(現在、都立産業技術高専)学生による「首都圏防災活動支援複合衛星システム」の発表をベースに製作された「航空高専衛星KKS-1(輝汐)」が含まれていた。さらに、JAXAでは2008年4月23日には、相乗り衛星の通年公募を開始することをアナウンスしている。同時にPLANET-C(金星探索衛星)の打ち上げに相乗りする衛星の募集も行われ、2010年5月21日に4つの小型衛星が打ち上げられた。この中の一つは大学宇宙工学コンソーシアム〔注〕によるUNISEC-1であり、世界で初めて地球圏外を目指したアマチュア衛星であった。UNITEC-1の開発は全国22の大学研究室や高専により行われ、多くのアマチュア無線家の協力のもとに実現した衛星であった。

〔注〕 大学宇宙工学コンソーシアムは、現在41の大学・高専から60団体が参加しており、大学・高専学生による手作り衛星(超小型衛星)や缶サット(超小型の模擬人工衛星)、ロケットなど宇宙工学の分野で、実践的な教育活動の実現を支援することを目的とするNPOである[18]

KKS-1:Kouku Kosen Satellite-1(輝汐)は、都立航空高専の学生(15歳~20歳)により、2004年から2008年まで5年間をかけて開発された超小型衛星であり、高専生が製作した世界的にも特筆すべき事例であろう。一辺15cmの立方体であり、重量6kg(衛星2.5kg,衛星分離機構3.5kg)の衛星である。主なミッションは、市販の小型モータによる3軸姿勢制御、マイクロスラスタ実験(宇宙移動するための火薬エンジン)、地球の写真撮影であった。JAXAによる初期の相乗り衛星であったため、審査やフライトモデルに対する各種の厳しい試験など、多くの苦労があったとのことである[19]。衛星は、現在も高度680km、傾斜角98度の軌道を周回しておりテレメトリデータを送信し続けているが、打ち上げ後まもなく搭載コンピュータの障害により所期の実験は残念ながら実施できていないそうだ。KKS-1の通信仕様を表1に、衛星本体を写真5に、また開発した高専生グループを写真6に示す。この衛星の開発を指導したのは、当時同高専の教授、校長であった島田一雄氏である。


表1  KKS-1の通信仕様


写真5 航空高専衛星KKS-1(輝汐)〔提供:島田一雄氏〕


写真6 KKS-1の開発グループ〔提供:島田一雄氏〕

3-4 キューブサット
キューブサットとは超小型衛星のことであるが、厳密には一辺10cmの立方体大の衛星のことである。キューブサットの呼称のいきさつは、その前段として1998年にハワイで開催されたUSSS (大学生による衛星シンポジウム)において、スタンフォード大学教授Robert Twiggs氏が提唱した缶サット(CanSat)の活動がベースとなっている。缶サットは、ジュースなどの350ミリリットル缶サイズの模擬人工衛星を、小型ロケットで地上4km程度まで打ち上げ、ロケットから放出した後パラシュートで地上に落下するまでの30分程度の間に擬似的に衛星のミッションを行わせるというイベントである。このイベントは、ARLISS(A Rocket Launch for International Student Satellites)と呼ばれ、1999年から毎年9月上旬に各国の大学生が参加して米国ネバダ州ブラックロック砂漠で行われている[20, 21]。そこでは、衛星のミッション競技と共にカンバック競技と言い、打ち上げた缶サットの落下地点または落下後の移動地点として数km先の指定されたゴールにいかに近づけるかを競うことも行われている。昨年は、9月9日~13日に日本の大学20団体、海外の大学8団体が参加して競技が行われた。カンバック競技では日本から参加した電気通信大学高玉研究室の学生グループが優勝している(写真7)


写真7 2013年ARLISSの缶サット・カンバック競技で優勝した電通大グループ〔提供:高玉圭樹氏〕

1999年のUSSSにおいてTwiggs氏は、缶サットにつづく新たなアイデアとして一辺10cmの超小型衛星を実際に2年後に宇宙に打ち上げることを提唱した。当初は、Student Space Study Satelliteと呼ばれていたが、その後Cube Satelliteの方がすっきりしているということでキューブサットと呼ばれるようになったようだ。この提唱に触発されて、日本では東京大学中須賀研究室の学生グループと東京工業大学松永研究室の学生グループによりキューブサットの製作が競って開始された。しかし、当時の宇宙開発事業団には学生の手作り衛星を相乗り衛星として打ち上げる考えが無かったため、衛星打ち上げをビジネスとしているロシアの会社に斡旋会社を通して打ち上げが依頼された。間接的な交渉による行き違いなどにより予定が何回も変更されたため、実際の打ち上げは前述した千葉工大のWEOS衛星(宇宙開発事業団H-IIAロケットによる打ち上げ)よりも遅れることになったようだ。しかし、結果として東大グループのXI-IV (サイ・フォー) 衛星(コールサインJQ1YCW)と東工大グループのCUTE-I衛星(コールサインJQ1YCY)が2003年6月30日に打ち上げられて、いずれも成功した。それぞれ、OSCAR-57およびOSCAR-55として登録されている。これらの衛星開発には、JARL技術研究所が種々の支援をしており、学内のアマチュア無線家も惜しまず協力したそうだ[22]

これら手作り超小型衛星の打ち上げが低コストで可能になったことから、最近は日本の多くの大学などでのアマチュア衛星の製作・打ち上げが盛んになってきた。特に2012年には、国際宇宙ステーション(ISS)から超小型衛星を軌道上に放出するといった、相乗り衛星とはまったく異なる方式が実現したことから、衛星打ち上げのハードルが一段と低くなった。この新しい方式は「小型衛星放出技術実証ミッション」として5機の超小型衛星(JAXAが公募した3機とNASAが公募した2機)を、まず宇宙ステーション補給機「こうのとり」3号機(HTV-3、2012年7月21日種子島宇宙センターから打ち上げ)によってISSへ運搬し7月28日に到着した。その後、2012年10月4日および5日に2回に分けてISSの日本実験棟「きぼう」からロボットアームと小型衛星放出機構(J-SSOD)を使って軌道へ投入された[23]

この方式の第一陣で軌道投入された日本の超小型衛星は、和歌山大学と東北大学のグループによるRAIKO衛星、福岡工業大学のグループによるFITSAT-1衛星および明星電気によるWE WISH衛星の3機であった。また海外の超小型衛星は、NanoRacks社とベトナムFPT大学によるF-1衛星、サンノゼ大学とNASAエームズ研究所によるTecEdSat衛星の2機であった。このうちの一つであるFITSAT-1衛星(コールサインJG6YEW)は、電波による通信以外にLED光によってモールス符号を送信し可視光通信を行うというユニークなミッションを持つ衛星であり、愛称を「にわか」衛星と称している。ISSから放出する超小型衛星は、一辺10cmの立方体を1Uとして、この直列2個分を2U、3個分を3Uとしてこのいずれかの形状とすること、1Uの重量制限は1.33kg、重心は機械的中心から1cm以内にあることと規定されている。FITSAT-1は1Uの衛星として、この規定に合致するように製作された。衛星の上面に定格3Wの緑色LEDが50個、反対側の面に赤色LEDが32個取り付けられており、これらを10Hzで点滅させるモードまたはモールス符号送出モードで送信するようにしている。別のミッションとして、衛星で撮影した写真を地上へ高速伝送するために、アマチュア衛星では初めての5.84GHzの115.2kbps FSK送信機を搭載している[24]。FITSAT-1のISSからの放出は、10月5日00:44JSTにハワイ沖上空で行われ、高度420kmの円軌道に投入された。最初のLED光送信実験は、2012年11月21日に10Hz点滅モードで行われ、大分県湯布院で福岡工大チームが望遠鏡に取り付けたフォトマルチプライヤでこの信号を受信することに成功したと言う。その後、多くのアマチュア天文家によってLED光が観測されたそうだ。写真8にFITSAT-1衛星(上面にLED)を、写真9にFITSAT-1が放出直後にISSを撮影し地上に送られてきた写真を、また写真10に海老名市の渡部剛氏が撮影したLED点滅の観測写真を示す。この衛星の寿命は、当初100日ほどと予測されていたが、実際には270日ほど動作し続け昨年7月始めに大気に突入したようだ[25]。この衛星の開発を指導したのは、同大学教授でアマチュア無線家の田中卓史氏(JA6AVG)である。


写真8 FITSAT-1「にわか」衛星〔提供:田中卓史氏〕


写真9 FITSAT-1衛星が撮影した国際宇宙ステーション〔提供:田中卓史氏〕


写真10 FITSAT-1からのLED光送信の観測〔提供:渡部剛氏〕

昨年2013年11月19日および20日には、ISSからの第2回目の超小型衛星放出(4機)が若田宇宙飛行士によって実施され、その1機がJAXA公募の衛星である東京大学・ベトナム国家衛星センター・(株)IHIエアロスペースが共同開発したPicoDragon衛星である。2012年の衛星放出の成功により、JAXAは2013年1月31日よりISS日本実験棟「きぼう」からの超小型衛星放出の通年公募を開始した。このような環境となり、アマチュア衛星の打ち上げは新時代に突入したと言えよう。

4.あとがき

1961年12月12日に最初のアマチュア衛星OSCAR1号が打ち上げられて以来、50年以上が経過しアマチュア衛星は衛星製作技術と打ち上げ技術の進歩によって、低コスト化すると共に打ち上げ機会が大幅に増大してきた。ただし、これらの機会は公募制であるため提案する衛星のミッションの優位性を十分明確にして、設計・製作の技術も習得する必要があることは言うまでもない。そのため、まず衛星設計コンテスなどに応募して審査を経て改良していくことは有効な方法であろう。衛星設計コンテスで優秀と認められた作品は、提案者が希望すればJAXAの公募に対して推薦される道も用意されている。このようにアマチュア衛星打ち上げへの環境が良く整備されてきたことから、意欲さえあれば、大学・高専のみならずアマチュア無線クラブでも意欲さえあれば誰でもチャレンジできる状況になってきたと言えよう[26]。特に超小型衛星(キューブサット)は、ISSからの放出という新たな手段の実用化によって、衛星本体への機械的条件などが緩和され従来に比べれば衛星製作はずっと容易になったと言える。アマチュア無線中継用のキューブサットについては、英国のAMSAT-UKが2013年11月21日にロシアから打ち上げたFUNcube-1衛星(OSCAR-73)がBモード送信電力0.3Wで運用されている[27]。近い将来に、日本からもアマチュア無線中継用キューブサットの打ち上げられることを期待する。

参考資料
[1] 日本AMSAT編, “アマチュアの衛星通信”, CQ出版社 (1974).
[2] Project OSCAR,
http://www.projectoscar.net/
[3] オスカー1号, WIKIPEDIA,
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%BC1%E5%8F%B7
[4] 50th Anniversary of OSCAR 1, ARRL Web,
http://www.arrl.org/news/50th-anniversary-of-oscar-1
[5] Bob Allison WB1GCM, “Project OSCAR―A celebration of 50 years of amateur satellites”, QST, February 2012, pp.80-81.
[6] OSCAR 3, WIKIPEDIA,
http://en.wikipedia.org/wiki/OSCAR_3
[7] Joe Rasser G3ZCZ/W3 and Han King W3GEY, “Oscar 7 and Its Capabilities”, QST, Eburuary 1974, pp.56-60.
[8] 小室圭五, “アマチュアの通信衛星とその歴史”, Ham Journal, No.47, pp.22-45 (1986).
[9] AMSAT-OSCAR 7, WIKIPEDIA,
http://en.wikipedia.org/wiki/AMSAT-OSCAR_7
[10] “日本のアマチュアが協力したオスカー8号が誕生”, アマチュア無線のあゆみ(続), 日本アマチュア無線連盟, pp.57-59 (1987).
[11] “ふじ誕生までの記録”, アマチュア無線のあゆみ(続), 日本アマチュア無線連盟, pp.217- 245 (1987).
[12] “徹底特集ふじ(JAS-1)とアマチュアの衛星通信”, HAM Journal, No.47, CQ出版社 (1986).
[13] “JAS-1b打ち上げ成功「ふじ2号」誕生”, アマチュア無線のあゆみ(Ⅲ),日本アマチュア無線連盟,  pp.66-72 (1997).
[14] “JAS-2打ち上げ成功「ふじ3号」誕生”, アマチュア無線のあゆみ(Ⅲ), 日本アマチュア無線連盟, pp.193-198 (1997).
[15] アマチュア衛星「ふじ3号」を楽しもう!, JARL,
http://www.jarl.org/Japanese/3_Fuji/jasmenu.htm
[16] “衛星設計コンテスト”, http://www.satcon.jp/
[17] 横山幸嗣, “鯨生態観測衛星(WEOS)”, Space Japan Review, No.32, December 2003 / January 2004,
http://satcom.jp/32/smallsatellite1j.pdf
[18] UNISEC-University Space Engineering Consortium,
http://www.unisec.jp/about/index.html
[19] 石川智浩, 中野正勝, 若林良二, 島田一雄, “世界最年少の学生による衛星開発―HⅡAロケット相乗り打ち上げまでの道のり”, 電波技術協会報FORN, No.279, pp.28-31 (2011).
[20] ARLISS, WIKIPEDIA,
http://ja.wikipedia.org/wiki/ARLISS
[21] 川島レイ, “上がれ空き缶衛星”, 新潮社 (2004).
[22] 川島レイ, “キューブサット物語―超小型手作り衛星、宇宙へ―”, エクスナレッジ (2005).
[23] “「きぼう」から小型衛星を放出”, JAXA,
http://iss.jaxa.jp/kiboexp/equipment/ef/jssod/121005_cubesat.html
[24] 田中崇和, 田中卓史, “超小型衛星FITSAT-1「にわか」と無線システム”, RFワールド, No.22, pp.77-103 (2013).
[25] 福岡工業大学人工衛星プロジェクトFITSAT,
http://www.fit.ac.jp/~fitsat/index.php
[26] 宮崎康行, “人工衛星をつくる―設計から打ち上げまで―”, オーム社 (2011).
[27] “FUNcube Satellite”, AMSAT-UK,
http://amsat-uk.org/funcube/funcube-cubesat/

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