2014年1月号

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連載記事

海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~


JA3AER 荒川泰蔵

その10 戦後初のマイナス成長 1974年

戦後初のマイナス成長

前年の変動為替相場制への移行による円高と、石油価格が高騰する石油ショックで、この年の日本経済はマイナス成長の苦しい時であった。ちょうど今から40年前のことである。この頃社会に出て就職した人達は定年退職の時期を迎えようとしているのではないかと思う。CQ ham radio誌の2013年12月号が「カムバック・ハム応援企画」として「ふたたび始めるアマチュア無線」を特集した。筆者も「定年後の趣味としてのアマチュア無線」と題して寄稿しているが、サブタイトル「国際交流の勧め」で海外のハムとの交流にも触れているのでご覧頂ければ幸いである。

さて、この「海外運用の先駆者達」も今回で10回目を迎え、読者からコメントを頂くことも増えてきた。「自分もその頃海外で運用した」とか、「掲載されたがその後さらに新しい資料が見つかった」などという事もある。この連載は創刊号の「はじめに」で述べた通り、CQ ham radio誌の「日本人による海外アマチュア無線局の記録」のために集めた資料から記事を起こすことにしていたが、読者からの新しいレポートや、内容の追加/修正、写真や資料の追加などにも可能な限り応じている。既に投稿済みで編集中である場合や掲載済みである場合は、編集部にも協力願わねばならないが、公開されながら蓄積していくこれらの記事は、公共性を帯び歴史的な資料になることもありうることから、出来る限り正確で差別のないものにすることが、筆者や発行者の責務であると考えるからである。読者にとっては知らぬうちに内容が変わっているという事になるが、それは上記の趣旨からご了解願いたい。

1974年 (マレーシア 9M2AX)

マレーシアに滞在中のJA6FBQ田中悦男氏から、9M2AXのQSLカード(写真1)と、免許状のコピー(写真2)と共にレポートを頂いた。「1973年10月に9M2のクアラルンプールにて、9M2LF, Mr. Leeの紹介でライセンスを申請、ライセンス受給まで8ヶ月くらいかかり、1974年に9M2AXのコールをもらい、当時のリグFTDX-401でQRV。JAから9M2に行く前から160mにQRVして欲しい旨のリクエストがありましたが、リグの関係でローカルのFT-101Bを借りて160mにQRV、1975年から160mに熱中し、1986年前期に160mWAC 及び6バンドWACを完成、数年のブランクがありましたが、現在160mで世界中にサービス中。滞在期間は1973 - 76年9M2, 1977 - 81年9V1, 1981 - 87年 9M2と、あとどの位いられるかは不明ですが、いる限り160mに精を出してQRVします。(1987年4月記)」


写真1. 9M2AX田中悦男氏のQSLカード


写真2. 9M2AX田中悦男氏の免許状

1974年 (デンマーク JA4WNR/OZ)

学生時代の経験をJA4WNR/JA4-4665杉原多二雄氏が、CQ ham radio編集部経由でレポートしてくれた。「大学在学中の1974年3月-1975年1月の間デンマークに遊学しました(専攻がデンマーク語でした)。当国ではその前年の1973年に法改正があり、全ての外国人にも免許を与えることになったとCQ誌でも報じられていましたので、OZ1LO, Leif Ottosenのアドバイスを受け、申請書等を取り寄せ、電監から国内免許の所持証明も発行していただき、書類関係を準備して出発しました。OZ1LOのシャックから1回でもQRV出来ればと思って行ったのですが、春から夏の最初の留学先の学校に、ナント、当時コンテストで有名だったOZ5KF, Kristian Soholmが教師として勤務しており、JA4WNR/OZを彼の自宅のシャックからSSBのみ何回かオペレートさせてもらいました。放送局からの払い下げという約50m高のタワーに4エレCQ2段(40mは2エレCQシングル)の威力は素晴らしいもので、サンスポットサイクルの谷の頃でしたが、JA中心にかなりのQSOが出来ました。ここからはJA3DHZ/SM0(現SM0HEG)ともコンタクトが取れましたが尻切れで終わっています。今でも鮮明に憶えている一つです。

国内では電信級、電話級しか持たない私ですが、デンマークではB級が免許になり(写真3)、オールバンド、オールモード、100Wが許可になりましたHi。数局にその話をしたところ、電信が出来るからOKになったのだろうという話でした。尚、スウェーデンでもB級の免許でしたが、スウェーデンのB級は、HFは電信のみの免許でした。秋から冬は別の学校に移りましたが、隣駅にいたOZ7MA, Arne Pedersen宅でScandinavian Activity Contest CW部門をやらせてもらいました。この時は欧州内のみのコンタクトでした。(1994年10月記)」


写真3. (左) JA4WNR/OZ杉原多二雄氏の免許状と、(右) その英訳 (クリックで拡大します)

1974年 (スウェーデン JA4WNR/SM7)

上記、JA4WNR/JA4-4665杉原多二雄氏が、スウェーデンでの経験もレポートしてくれた。「1974年デンマークに滞在中、スウェーデンからも電波を出してみたいと思い、当時メンバーだったISWLのスウェーデンのメンバーの助力を得て、免許取得できました(写真4の左)。短期のゲストライセンスと呼ばれるものです。日本から書類を取り寄せるのは面倒で、デンマークのライセンスのコピーを添付して申請しました。結局1974年中には運用の機会がなく、翌1975年夏に旅行した際、再度ライセンスを取り、OrebroのSM4DHF, Goran Ostmanの助力で、彼の所属していた同市のクラブ局SK4BXのシャックからJA4WNR/SM4で運用することが出来ました。1時間弱14MHzでCQを出しましたが、コンディションも良くなかったようで、Uゾーンの5, 6局のみのQSOで終わりました。尚、SMからは1974年既にJA3DHZ/SM0が電波を出されており、日本人の第1号ではなかったかと思います。私もJA4WNR/OZで14MHz, SSBでコールいただきましたが尻切れで、ほとんどお話出来なかったのですが、印象に残っています。(1994年10月記)」 と、ここでも出てくるJA3DHZ/SM0笠松善男氏は現在SM0HEGであるが、1972年6月にJA3DHZ/SM0でAクラスの臨時免許を得ておられ(写真4の右)、1975年9月にBクラスの資格試験に合格し、1975年10月にSM0HEGで免許されている。この笠松氏のレポートは次号で紹介の予定。


写真4. (左) JA4WNR/SM7杉原多二雄氏の免許状と、
(右) JA3DHZ/SM0笠松善男氏の免許状 (クリックで拡大します)

1974年 (米国 K2VZ)

米国在住だった故JA1GTM岩瀬有増氏(写真5)からレポートを頂いた。「あれは確か1974年11月だったと思いますが、米国内において外国人にもアマチュア免許が取得できるという、実に活気のあるニュースが、その頃ドイツ人の友人から誕生日のギフトにもらったBC-794から流れてきたのは早11年前になります。すぐ免許を取って懐かしの母国とCWで交信。アパート裏の18m位の木に14MHz帯5/8λの自作バーチカル、7MHz帯のVビーム、今や矢のように過ぎ去った昔話となりつつあります。しかし、今でも思い出になるのはCWオペでJAと交信していると、いつも同じようにJAを探していたもう一人の日本人でありました。最初のブレークでは、彼からQRXと返って来たのみ。いつまでたってもこちらに番を廻してくれない。次回にブレークを入れても、又もや同じQRX、3度、4度、何度ブレークすれどもQRX。JAとの交信に忙しい彼をキャッチできたのは半年後。Wとの交信ではその名をMike、QSOではその名も皆様御存知のMamoru、コールサインN2JAでありました。(1985年10月記)」 という事で、JA1ANE (N2JA)塚本葵氏も既にこの頃からWB2ZRQでQRVしておられたようなのでメールで尋ねてみると、確か1975年にそのようなことがあったとの事で、岩瀬氏の免許取得と運用は1975年に入ってからと思われるが、次号でWB2ZRQ塚本氏のレポートを含めて、同時期に米国で免許を取られた方々を紹介する。


写真5. (左) K2VZ岩瀬有増氏(1980年代)と、(右) K2VZのQSLカード

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