2014年8月号

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連載記事

海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~


JA3AER 荒川泰蔵

その17 日本人によるDXツアーが始まる 1980年 (2)

日本人によるDXツアーが始まる

先月号に続き1980年であるが、サイクル21のピークの時期ともあって、JA1BK溝口皖司氏の南太平洋ツアーと、JA7SGV鈴木進一氏によるインド洋・太平洋ツアーが始まった。 今回はこの両氏のツアー(DX-Pedition)を紹介する。

1980年 (JA1BK溝口氏による太平洋ツアー 3D2DB, N6DX/NH8, 3D2MK, T2AAE, 9M6MA)

JA1BK溝口皖司氏からは、この年(1980年)、「The 1980 South Pacific DX-Pedition」として4ケ国から運用したレポートを頂いた。 先ず、フィジー共和国 3D2DBについては4月15日からの運用で、「6mでJAと2,600局QSOした。160mでWのEast Coastと59+でQSO出来た。W2BBとCWでQSO出来た。 (1986年4月記)」とのことで、レポートと共に送ってくれたQSLカード(写真1)には「1979 SOUTH PACIFIC DXPEDITION」とあり、前年からのN6DXの免許局3D2DBのゲストオペとしての運用であったと思われる。


写真1. JA1BK溝口皖司氏が運用した3D2DBのQSLカード。

米領サモア N6DX/NH8については4月23日からの運用で(写真2)、「史上最初の50MHzのQRV。 ホテルよりだと北側に山があり、JAとオ-プンしないので、毎日車で山に登り、山頂よりQRVした。JAと400局位 6mで出来た。(1986年4月記)」とのこと。


写真2. N6DX/NH8溝口皖司氏のQSLカード。

再度のフィジー共和国 3D2MKについては10月14日からの運用で(写真3)、「免許は3D2に居る人2名の推薦が必要。T2へ行く途中にQRVしたが、意味はあまりない。 日本人では初めてのコール取得か?(1986年4月記)」とのことであったが、免許状(写真4)にある日付は1980年7月7日であり、後述のJA7SGV鈴木進一氏の3D2FJの免許の方が1980年5月1日で約2ヶ月早い。


写真3. 3D2MK溝口皖司氏のQSLカード。


写真4. 3D2MK溝口皖司氏の免許状。 (クリックで拡大します)

ツバル T2AAEについては10月17日からの運用で(写真5)、「手紙で免許を申請した。 この国での最初の50MHzでのQRVだった。50MHzではこの時のQRVしか歴史にない。(1986年4月記)」とのこと。


写真5. (左)T2AAE溝口皖司氏の免許状(クリックで拡大します)と、(右)T2AAE溝口皖司氏のQSLカード。

東マレーシア 9M6MAのゲストオペは12月で、「東マレーシアから史上初の50MHzのQRVでした。(1986年4月記)」とのことであったが、そのQSLカード(写真6)の裏面には、 JA1RJU小笠原一夫氏と一緒に、特別に6mとRTTYを運用した旨記されている。


写真6. JA1BK溝口皖司氏が運用した9M6MAのQSLカード。

1980年 (JA7GSV鈴木氏によるインド洋・太平洋ツアー DX82P, VS5SI, 4S7SG, 8Q7BB, VK8SS, P29SU, JA7SGV/H44, 3D2FJ, 5W1CY, YJ8SS, A35FB, T2AAF, T3AF, C21NI)

JA7SGV鈴木進一氏からは、この年(1980年)、「1980 Indian & Pacific Ocean DX-Pedition」として、8月から11月にかけて14ヶ国から運用したとレポートを頂いた。 先ず、フィリピン共和国 DX82Pは8月にマニラ郊外の山頂からQRVしたようで、アンケートは先月号のDU1MRCと一緒に、QSLカードと運用時の写真を添えて送ってくれた(写真7)。 「日本人としては、相互運用協定がないので個人へのライセンスは全く不可能です。私も、農林大臣や、軍当局からの紹介を頂き、あらゆる方向から攻めましたが結局NGでした。 フィリピン人ハムにお願いしてコールを取って頂き、2ndオペとして運用する方法しかありません。(1985年7月記)」


写真7. (左)DX82Pを運用する鈴木進一氏。
(中央)マニラ郊外の山頂近くの家屋の屋上にアンテナを立てる鈴木進一氏。(右)DX82PのQSLカード。

ブルネイ・ダルサラ-ム国 VS5SIは9月4日からで(写真8)、「JAのオペとしては最初かと思います。 ライセンス取得には特に問題ありませんが、ブルネイでの保証人が必要です(写真9)。 JAではビザ取得が最大の難関でしたが、独立後は・・・? 機器は一度空港にトランジットして、ライセンスを集めてから、ようやく入国(機器)できます。なお、無線で使用する言語はマレー語か英語でした。 (1985年7月記)」とのこと。


写真8. (左)左からVS5SI鈴木進一氏、VS5DD氏、VS5TX氏。(中央)VS5SIを運用する鈴木進一氏。(右)VS5SIのQSLカード。


写真9. VS5SI鈴木進一氏の免許状。(クリックで拡大します)

スリランカ民主社会主義共和国 4S7SGは9月8日からで(写真10)、「以前は局免の他、軍の許可も必要で、長い時間を要しましたが、 現在は、自分のコールサイン/4S7でよく、ライセンスは取得しやすくなっているようです(写真11)。なお、ライセンスの原本を持参しなければなりません。(1985年7月記)」とのこと。


写真10. (左)4S7SGを運用する鈴木進一氏。(右)4S7SGのQSLカード。


写真11. (左)4S7SG鈴木進一氏の免許状。(クリックで拡大します) (右)4S7SGが使用した4S7EAのアンテナ。

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