2014年8月号
連載記事
海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~
JA3AER 荒川泰蔵
その17 日本人によるDXツアーが始まる 1980年 (2)
モルディブ共和国 8Q7BBは9月10日からで(写真12及び13)、「免許、運用とも、全く問題なし。(1985年7月記)」とのこと。
写真12. (左)8Q7BB鈴木進一氏の免許状。(クリックで拡大します) (右)8Q7BBを運用する鈴木進一氏。
写真13. (左)8Q7BB鈴木進一氏の運用場所と椰子の木に設置したローバンド用のアンテナ。
(右)鈴木氏とのローカルの8Q7AV, 8Q7AZとその家族。
オーストラリア VK8SSは9月20日からで(写真14)、「長期滞在の場合は政府の試験を受けなければなりませんでした。この国のライセンス取得か否かで、 他のライセンス取得に影響を少なからずとも与えたと思います。VK Hamの協力によるところが大きい。(1985年7月記)」とのことで、多分このオーストラリアの免許(写真15)を、 以下の南太平洋の国々で見せることで信用が得られたのだろう。
写真14. VK8SS鈴木進一氏のQSLカード。
写真15. (左と中央)VKの免許申請書。(右)VK8SS鈴木進一氏の免許状。 (クリックで拡大します)
パプアニュ-ギニア P29SUは9月28日からで(写真16)、「Port Moresbyから3.5-50MHzでQRVしました。 ライセンス(写真17)の取得は比較的容易でした。(1985年7月記)」とのこと。
写真16. (左)P29SUを運用する鈴木進一氏。(右)P29SUのQSLカード。
写真17. (左)P29SU鈴木進一氏の免許状。(クリックで拡大します) (右)屋上にアンテナを立てる鈴木進一氏。
ソロモン諸島 JA7SGV/H44は9月30日からで(写真18及び19)、「ちょうどソロモン政府が誕生間もない頃で、法律関係もたびたび変動していた頃でした。 1979年までは何ら問題なくH44・・が与えられましたが、1980年1月1日以降は短期間滞在者には発給しなくなりました。私の場合、以前から申請していたのと、 H44DXの強力なバックアップがあってOKとなりましたが、本当の滞在期間中だけのライセンスです(写真20)。(1985年7月記)」とのこと。
写真18. (左)JA7SGV/H44のQSLカード。(右)JA7SGV/H44を運用する鈴木進一氏。
写真19. (左)空港前にてH44DX氏と鈴木進一氏。(右)JA7SGV/H44を運用したホテル(Mendana Hotel)。
写真20. (左)JA7SGV/H44鈴木進一氏の免許申請書と、(右)その免許状。 (クリックで拡大します)
フィジー共和国 3D2FJは10月7日からと11月6日からの2度の運用で(写真21)、「ライセンス申請時に2人以上の推薦が必要でしたので、フィリピンの偉い人に書いて頂きました。 他のJAで3D2へ行かれた方は、3D2のハムにお願いしたそうです。あまり難しくはありません(写真22及び23)。運用場所はHotelコーテージインを利用するPeditionarが多いようです。(1985年7月記)」とのこと。
写真21. (左)3D2FJのアンテナを立てる鈴木進一氏とヘルパー。(右)3D2FJのQSLカード。
写真22. 3D2FJ鈴木進一氏への無線機輸入許可書。 (クリックで拡大します)
写真23. 3D2FJ鈴木進一氏の免許状。 (クリックで拡大します)
西サモア 5W1CYは10月15日からで(写真24)、「先ず、元青年海外協力隊員(JOCV)ということで、特例としてライセンスを認めて頂きました(写真25)。 ただ、JA5DQHさんのように青年の船などで行かれた方も同じように取得されています・・・? 特に5W1BZが居た頃でしたので助かったのかも知れません。 首都Apiaにはハムをやるのに良いロケーションがなく(ホテルがすべて1階建)困ったものです。 (1985年7月記)」とのこと。
写真24. (左) 5W1CYのQSLカード。(右) 5W1CYを運用したJOCV(青年海外協力隊)西サモア事務所前で鈴木進一氏。
写真25. (左) 5W1CYの免許状に添えられた手紙、相互運用協定がないが例外的な許可と記されている。
(右)5W1CY鈴木進一氏の免許状。 (クリックで拡大します)