2014年8月号
連載記事
海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~
JA3AER 荒川泰蔵
その17 日本人によるDXツアーが始まる 1980年 (2)
バヌアツ共和国 YJ8SSは10月22日からで(写真26)、「バヌアツ政府が誕生し、内部紛争の激しい頃でした。 手紙のやりとりではライセンス(写真27)のコピーも同封され、持ち込み許可証を持っていたにもかかわらず、空港でトラブルが起き、YJ8NPS(写真28)に助けて頂きました。 (1985年7月記)」 とのこと。
写真26. (左)YJ8SSのQSLカードと、(右)YJ8SSを運用する鈴木進一氏。
写真27. (左)YJ8SS鈴木進一氏の免許申請書と、(右)その免許状。(クリックで拡大します)
写真28. YJ8SS鈴木進一氏を空港に迎えに来てくれたYJ8NPS氏。
トンガ王国 A35FBは10月23日からで(写真29及び30)、「8Q7同様で、一切難しい事はありませんでした(写真31)。 申請書にサインするくらいです。Nukualofaも高層建築物は全くなく、私は民宿に泊まってサービスしました。(1985年7月記)」 とのこと。
写真29. (左)A35FBを運用する鈴木進一氏と、(右)A35FBのQSLカード。
写真30. (左)A35FBを運用したシャックと、(右)A35FBのビームアンテナ。
写真31. A35FB鈴木進一氏の免許状。 (クリックで拡大します)
ツバル T2AAFは11月10日からで(写真32及び33)、「ここもライセンス取得には全く問題なし(写真34及び35)、ハムの免許を持っていなくともOKになるのでは・・・? 一番の難関はホテルの予約でしょう Hi。 Suoa ⇔ Funafuti ⇔ Tarama は週1回、10人乗りのセスナ機が飛んでいました。ホテル、官庁、空港、全て歩いて1分ですHi。(1985年7月記)」 とのこと。
写真32. (左)T2AAFのQSLカードと、(右)T2AAFを運用する鈴木進一氏。
写真33. (左)ツバルの空港での鈴木進一氏(右側)と、
(右)T2AAFのビームアンテナ(T2AAE溝口氏が置いて行った50MHz用6エレ八木)。
写真34. T2AAF鈴木進一氏の免許申請書。 (クリックで拡大します)
写真35. T2AAF鈴木進一氏の免許状。 (クリックで拡大します)
キリバス共和国 T3AFは11月18日からで(写真36及び37)、「ホテルの予約に注意! 官庁は別の島にあるため船で行かねばなりません(30分)。 空港からホテル(一軒のみ)までは交通機関が期待できませんので、回りの人に頼んで乗せて行ってもらうより手はありませんでした。(1985年7月記)」 とのこと。
写真36. (左)T3AFを運用する鈴木進一氏と、(右)T3AFのQSLカード。
写真37. T3AF鈴木進一氏の免許状。 (クリックで拡大します)
ナウル共和国 C21NIは11月27日からの運用で(写真38及び39)、「あるJAのOMがインターフェアを出したのが、ライセンス発給しなくなった原因と聞いています。 長期に滞在する場合は試験を受ければOKです。DX Pediなどの場合は、全てNauru Island Amateur Radio Club のコール(C21NI)での運用となります。 ただ、C21AA(Bob)の承認を頂くのがまた大変です。ホテルからの運用は一切認められません。C21NIのシャックでの運用となります。私は寝るときだけホテルに帰りました。 (1985年7月記)」とのことで、4ケ月で実に14ケ国から精力的に運用された。
写真38. JA7SGV鈴木進一氏がゲストオペしたC21NIのQSLカード。
写真39. (左)C21NIにて鈴木氏が世話になったC21BS氏。(右)C21NIのシャックとアンテナタワー。
海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~ バックナンバー
- その45 タイで第16回SEANETコンベンションを開催 1988年 (1)
- その44 CQ誌の「N2ATTのニューヨーク便り」 1987年 (6)
- その43 記事執筆を励まされるもの 1987年 (5)
- その42 相互運用協定の恩恵 1987年 (4)
- その41 海外運用の後方支援 1987年 (3)
- その40 CEPTその後 1987年 (2)
- その39 相互運用協定が拡大 1987年 (1)
- その38 当連載では日系人も紹介 1986年 (4)
- その37 国際平和年 1986年 (3)
- その36 大学のラジオクラブが活躍 1986年 (2)
- その35 多様な国々からQRV 1986年 (1)
- その34 日本人による海外運用の記録をCQ誌に連載開始 1985年 (7)
- その33 IARU第3地域国際会議 1985年 (6)
- その32 中近東地域へも進出 1985年 (5)
- その31 中国への支援や指導での友好関係が延々と今に続く 1985年 (4)
- その30 JLRSのYL達が活躍 1985年 (3)
- その29 国際連合創設40周年 1985年 (2)
- その28 米国で日本との相互協定による運用許可開始 1985年 (1)
- その27 アマチュア衛星通信が盛んに 1984年 (3)
- その26 肩身の狭い海外運用 1984年 (2)
- その25 免許状 1984年 (1)
- その24 FCC 1983年 (3)
- その23 CEPT 1983年 (2)
- その22 世界コミュニケーション年 1983年 (1)
- その21 ユニセフアマチュア無線クラブの活躍 1982年 (2)
- その20 米国で日本の経営や品質が見直された時代 1982年 (1)
- その19 青年海外協力隊員が海外運用でも活躍した時代 1981年 (2)
- その18 相互運用協定への聴問会が開かれる 1981年 (1)
- その17 日本人によるDXツアーが始まる 1980年 (2)
- その16 1980年代の概観 1980年(1)
- その15 国際クラブ・JANETクラブ発足 1979年
- その14 海外運用のグローバル化・筆者米国へ赴任 1978年
- その13 バンコクでSEANETコンベンション開催 1977年
- その12 国連無線クラブ局K2UNの活性化 1976年
- その11 米国で日本人にも免許 1975年
- その10 戦後初のマイナス成長 1974年
- その9 変動為替相場制に移行 1973年
- その8 企業の海外進出 1972年
- その7 初回SEANETコンベンション開催 1971年
- その6 大阪万博の年1970年
- その5 海外運用の黎明期(3)1969年
- その4 海外運用の黎明期(2)1968年
- その3 海外運用の黎明期(1)1965~1967年
- その2 20世紀後半の概観
- その1 プロローグ