2014年12月号

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連載記事

アイコム50年史

JA3FMP櫻井紀佳

第3回 マイコン時代

マイコン時代に入り、8ビットマイコンの8080が大きな話題になりました。私も喜んでこのCPUと少量のRAMを買いましたが、その直後にこの8080は内部のアース側の抵抗が高くて誤動作するという理由で改良型の8080Aになりました。そのため元祖8080 CPUチップは今も私の引き出しの底に眠っています。

■ マイコン搭載無線機

そんなマイコン時代に、最初に本格的に取り組んだマイコン制御の製品がIC-270で、採用したマイコンはTIのワンチップマイコンTMS-1000シリーズでした。しかし、このマイコンはPMOSの9V動作だったため実は使いづらかったのです。IC-270は車載機のため、車に搭載して冬の朝エンジンをかけるとバッテリーが9V以下まで下がることがあり誤動作してしまうのです。この時だけ補償する電源を積むわけにも行かず、「無線機の電源コードをバッテリーに直接接続してください」とお願いして何とかしのぎました。

この機種にはもう一つ苦い思い出があります。受信部の低周波数増幅にモトローラから新しく出たキャラメル型の5本足のICを使ったのですが、この機種の量産直前になってこのICの出荷が間に合わないという連絡が来たのです。すでにプリント基板も何もかも段取りされており変更が効かず、悩みがピークに達した時、NECからコンパチのICが発売され、なんとか間に合ったのです。

IC-270はコントローラーと本体の分離型のため、多芯のケーブルで引き回すとどうしてもノイズが入ることがあります。発売後にこのクレームが結構あり、分離型の難しさを経験しました。なお、同じ筐体で430MHz帯のIC-370も同時にシリーズとして販売しました。

■ 高周波高出力モジュール

今では高周波高出力のトランジスターは430MHz帯でも随分ゲインがありますが、当初は終段に使う10W出力のトランジスターでもわずか3dB程度のゲインしかなく、安定した出力10Wを確保するのにはマージンとして12Wが必要なため、その前のドライブが6W、その前が3W、またその前が1Wというように、多くのパワートランジスターが必要でした。さらに調整用の大型のセラミックトリマーがたくさん必要となり調整にも時間がかかりました。

そんな時、三菱電機にその部分の部品代の合計でモジュールにしてくれるならこちらは調整代が助かるので購入する、と約束してパワーモジュールが誕生したのです。その後は各社とも出力段にはパワーモジュールを使うのが一般的になりましたが、この高周波高出力モジュールを最初に採用したのがIC-270でした。

■ アイコムアメリカ

海外の売上げが段々増え、その中でもアメリカの売上げの比率が大きくなっていきました。それまでアメリカには西と東に2つの販売会社がありましたが、1979年、2社を統合したアイコムの子会社として新たに新会社を設立してスタートすることになりました。場所はワシントン州シアトルの隣のベルビューで、これが北米での販売拠点「Icom America Inc.」です。シアトルは、緯度は北海道より北でカナダに接する所ですが海流の関係で穏やかな気候の場所です。(参考: 2014年、アイコムアメリカはベルビューの北隣に位置するカークランドに移設)

■ 縦型機種 IC-502/202/302

それまで、ほとんどの無線機は横型のデザインを採用していましたが、机の上に並べるには縦型も良いのではないかとデザインされたのがこの機種で、結構人気がありました。50MHzのIC-502はVFOを搭載しましたが、144MHzのIC-202は、SSB運用のため水晶発振器を可変するVXOを採用しました。また同じデザインのIC-212は144MHzのFM機でこのシリーズにラインナップされました。さらに少し遅れて430MHzのSSB機IC-302も発売しました。さらにその後、CWのサイドトーン機能も組み込まれた改良型のIC-502A、IC-202Aも発売し、当時この縦型デザインの無線機がユーザーに受け入れられていたことが分かります。

■ 社名変更 アイコム株式会社へ

商標「ICOM」の使用期間も長くなったため、1978年6月、社名もアイコム株式会社に変更することになりました。社名を変えるには実は相当な経費がかかるのです。まず世界中の看板を変えなければなりません。また各機種のカタログや取扱説明書、便箋や封筒に至るまですべて作り替える必要があります。事前には気がつかなかったのですが、特許や商標の登録されたものも変更しなければならず、印紙代も随分かかりました。その他にも役所に登録されたものの変更などが必要でしたが、この時をもって社名が「アイコム株式会社」、「Icom Inc.」となりました。この前後に国内営業拠点も、従来の大阪営業所、東京営業所以外に、1982年までに九州営業所、名古屋営業所、北海道営業所、広島営業所、仙台営業所、四国営業所と充実されました。

■ 長年の夢オートワッチャー

マイコンを使ったIC-551には私の長い思いも込められていました。1956年JA6FR大島さんが50MHzで当時世界最長となった南米との交信を達成されたのですが、その時使われたのがモーターで受信機のバリコンをゆっくり回すオートワッチャーでした。私はそれ以来、モーターではなく電子的にオートワッチャーができないかとずっと考え続け、やっと21年目にこれができたのです。これはスキャンする両端の周波数を設定したプログラマブルスキャンです。電子的に受信周波数を可変させ、受信信号でスキャンが止まった時には感無量でした。

余談ですが、大阪にはそれ以前から「551難波蓬莱」(現在は551蓬莱)という有名な中華料理の店があり、当時から今でもテレビで宣伝されています。IC-551で電波を出すと「難波蓬莱」よくいわれましたが特に何の関係もありませんし、また意味もありません。

■ マリーン

アイコムではアマチュア無線以外にも、以前から海洋関係と航空関係の無線機を開発していました。海洋関係は通称マリーンといわれ、国際VHFの無線機が知られています。船舶は世界中同じ通信システムでないと通信できないので、国際VHFでは16CHに設定しておくと世界中どこの港でも通信できます。このような国際VHF無線機とレーダーや魚群探知機も開発し、販売しています。

また同様に航空無線も世界中同じ周波数帯のAM変調を使っています。外国ではレンタル飛行機があって、マイ無線機を持って乗ることがよくあるようです。航空用無線機は国内ではほとんど販売していませんが輸出向けとして出荷しています。

■ マイコンの開発

今でいうパソコンがまだマイコンと呼ばれていた時代にアメリカではALTAIRという組み立てキットが人気でした。さらにAPPLEⅡが有名になってきた頃、国内ではコモドールが人気でしたが、実はアイコムでもマイコンの開発を進めていたのです。それまでに社長がアメリカの出張土産として、タイニーベーシック(Tiny Basic)のソフトが入った紙テープを買ってきたこともありました。このタイニーベーシックは素晴らしいもので、わずか2kバイトのインタープリターでBasicが使えるというものです。これは今でも記念においています。ソフトがまだ紙テープで売られていた時代です。

その頃は、まだWindowsはもちろん、MS-DOSすらなく、OSまがいのBasicに近いものでソフトを開発していました。ハード的にはTIの新しいTMS-9000シリーズのCPUを使っていました。このCPUはメモリー空間に区切りがなく、動作メモリーとしてどこでも指定できる素晴らしいものでした。ヒースキットを買ってきたり、8インチのフロッピーディスクドライブが100万円以上だったり、プリンターの機構だけで80万円もかかったりと大変な時代でした。

アイコムではNECのPC-9800やMS-DOSが出る少し前にマイコン開発をやめてしまったのが正解でした。もしそのまま続けていたらその後大変な目に合ったのではないかと思いますが、良い経験はしたと思います。この時の試作のマイコンはデモ用などで何回か使いました。

■ IC-720 メモリーの容量不足で苦労

マイコン搭載型の無線機が一般的になるとともに新しい機能も次々に要求され、その対応はソフトで行うようになっていきました。IC-720(HFオールバンド100Wトランシーバー)の開発に当たっては、それまでの1kバイトのメモリーでは容量が足りず、同じTIの2kバイトのマイコンを使って開発を進めていましたが、これでも容量が足らなくなりました。当時はそれ以上の容量のものがなく、2kバイトのCPUを2個使って処理しようとしました。

当時はソフトの開発環境が悪く、プログラムを2F、42、E8というようにいきなり機械語(マシン語)で書ける人間アセンブラーという技術屋が社内にいたのです。デバッグも機械的なチェックは一切なく紙に書いたプログラムを一生懸命確認した後、紙テープに穴開けしてマイコンメーカーに発注していました。どこか1ヶ所でも間違うとやり直しになり数10万円が飛んで行く時代でした。なんとか2個に分割したマイコンができあがったので動作させてみると、使い物にならない位遅いのです。両方のクロックが別々で、信号のやりとりのタイミングに時間がかかることがわかり完全な失敗になってしまいました。結局、その後に出てきた4kバイトのCPUに書き直して対応したため開発がものすごく遅れてしまいました。

しかしこの機種では、バンドの切り替えにロータリースイッチではなく、UP/DOWNスイッチをフロントパネルに取り付け、デザイン的に一新しました。また、内部回路のバンド切り替えには、前モデルIC-710で実績のあったロータリーリレーを使いました。しかしこれは一方向にしか回らないため、バンドを1つ下げるとリレーが一周近く回り、カッチャン、カッチャンというけたたましい音がしました。アパートでは使えないといわれたこともありましたが、外部リモコンでコントロールできるメリットもありました。その後、新しい機能を沢山入れた、改良型のIC-720Aを発売しました。

その後、無線機組み込み型のマイコンは8ビットになり、またメモリー容量も4kから8kにさらに16kと無線機の機能の増加に伴って増えていきました。また内部のメモリーもその場で書き込みできるタイプになり即試験できるため、試作品ができあがってバグのために大失敗というようなこともなくなりました。さらにソフトの開発がパソコンでできる様になり、人間アセンブラーが懐かしい昔の話になりました。

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