2015年1月号

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連載記事

アイコム50年史

JA3FMP櫻井紀佳

第4回 デジタルの時代へ

ロジック回路やマイコンの導入などで無線機の機能のコントロールにもデジタルが使われるようになりましたが、1980年代後半からは通信そのものにデジタル化が現れてくるようになりました。通常の無線機の新機種開発も行いながら、この頃は新しいシステムや機器などの開発にも積極的に取り組みました。

■ 大阪証券取引所へ上場

大阪証券取引所に上場することになり1989年よりその段取りを始めました。その作業は想像以上に準備する書類が多く、一番提出書類が少ないと思われた技術関係の私でもワープロを打ちすぎて腱鞘炎になる程でした。関係者全員の努力で1990年に大阪証券取引所に上場することができ、晴れてパブリックカンパニーとなりました。上場した資金で会社の経営も安定し、2001年にはさらに東京証券取引所にも上場することができ、新聞の株式欄には、前日の取引状況が毎日掲載され、一人前の東証1部上場会社として誇りが持てるようになりました。

■ GPSの開発

無線機以外の製品ジャンルで幅を広げようとしていたことから海洋機器関係でナビゲーション機器が市場から求められるようになりました。1980年代後半にはロランCの開発を検討しましたが、その頃からGPSが話題になったことから、GPSの開発の検討を始めました。

GPSは完全なデジタル通信で最初は分からないことばかりでしたが、色々研究した結果、ハード的に何とかなるかというところまで来ました。最初のソフトはアメリカで作って貰い、動作するものがやっとできました。この元祖GPSユニットの筐体の大きさは、228mm×102mm×110mmと、今では考えられない大きなものとなりましたが、これでも200台位は売れました。

GPSの衛星から送られてくる情報の中にSA(Service Availability)というコマンドがあり、これは米軍がわざわざ位置情報の精度を落とすために挿入しているものです。戦争が始まると精度を上げるのだといわれ、毎日GPSをモニターしていました。その平均精度は30~50m位でした。それが1991年1月16日に精度が急に7~9m位の1桁になったのです。「明日から戦争か」と思ったとおり、翌日より第1次湾岸戦争が始まりました。その後SAは最良状態に固定され、元に戻す予定はなく精度が維持されています。

その後GPSの開発競争が激化し、あっという間に1~2チップ構成になり、手出しができない状況になりました。アンテナも自社開発していましたがセラミックタイプの小型の性能の良いものができ、今ではハンディ無線機に内蔵するまでになってしまいました。

■ 花博システム

1990年に大阪市鶴見区で「国際花と緑の博覧会」(花博)が開かれました。その際アイコムではNTTから実験的システムを受注し、システムの設置と実験およびそのメインテナンスを行いました。システムの概要は、当初は子供に端末を貸し出して迷子になるとそれを見つけるシステムでしたが、実験している間に体調の悪い人に端末を貸し出し、体調が悪くなると端末のボタンを押してその救助に行くシステムに変わっていきました。つまり人命がかかるように変わってしまったのです。

会場には全部で50数ヶ所のサインポストという位置情報を発する特定小電力の送信機を設置しました。小型の端末で、会場を移動するとサインポストからその位置情報を受信し、端末のボタンを押すとその位置情報とその端末のIDが送信され、それが本部のパソコン上に表示されることで、その位置に救助に行くというものです。ところがサインポストの隣同士で電波が重なるとどちらの位置か判別できず、また届かない場所があると検知できないのでぎりぎりの調整に随分苦労しました。結局半年間183日の開催中、調整や点検のために165日も現地に赴くことになったのです。エラーは沢山ありましたが、1人救急車で運ばれる救助に貢献しました。

■ ならやま研究所

1994年、奈良県の誘致で「関西文化学術研究都市」のJR平城山駅の近くに研究所を開設することになりました。この研究パークは大和ハウス工業が最大手の企業で合計8社が研究所を開きました。アイコムではここで基本的には設計より少し前の技術の開発をしようと決まり、色々なものを手がけてきました。D-STARもここで開発しました。また、この場所はアマチュア無線の色々な行事や催しにも利用して頂いています。

■ ならやま研究所で開発したシステム

ならやま研究所で開発したシステムの中で結果的に失敗したものもありました。

・ご隠居コール
現在も認知症の介護で困っている人が多くいるようですが、ならやま研究所では先取りしたシステムを開発していました。微弱電波を使った端末を認知症の人に持たせて家から離れて電波が途切れると家では警報が鳴り、認知症本人にはスピーカーより本人の一番言うことを聞く人の声で帰宅を促し、更に時間が経てば周りの人に「この人は迷子です****番まで連絡ください。」と発するシステムでした。「ご隠居コール」の商標まで取りました。

実験の結果もうまく行き、関係の施設に売り込みに行ったところ、「あなたは現状を知らない」といわれショックを受けました。認知症の人は邪魔なものは一切身につけないので端末などはすぐに捨ててしまうこと、真冬に凍死する認知症の人が少なくないのは服まで脱いでほってしまうのが原因だそうで、こちらが頭で考えたのと現場での違いを思い知らされました。

・駐車場システム
大手の電機メーカーからの要請で駐車場の空きスペースを表示するシステムを開発していました。ディズニーランド程度を想定し5,000台までのもので、特定小電力の無線機を使い情報はポーリングで順次送るものです。近くのそごう百貨店の駐車場での実験で、販売できる程度の完成度になりました。

しかし問題のあることが分かりました。既にできてしまった駐車場に大掛かりな工事をしてまで導入して貰える所がないのです。設備の企画段階で売り込みに行かなければ駄目なことが分かりましたが、その大手電機メーカーもアイコムもゼネコンのような建設会社にコネがなく販売の見通しが立たず中止になってしまいました。

■ テレターミナルシステム

1990年の前半頃、データ通信専門の双方向通信のテレターミナルシステムが稼働を始めました。周波数は900MHzのすぐ下で、変調は4値FSKになっていました。大手ガス会社や電力会社等が導入を始め、アイコムでも数1,000台の納入実績があります。ガス会社では将来的に各戸のガスメータに取り付けてポーリングで検針する計画がありました。しかしこのシステムはデータ通信だけだったため、後から追い上げてきたデジタル携帯電話等の音声でも画像でもデータでも送れるシステムに負けてしまい、その周波数を携帯電話に譲ることになってしまいました。現在アマチュア無線のデジタルでGMSKの変調が古くて4値FSKが新しい技術だと盛んに宣伝しているメーカーがいますが、この事実を知らないのでしょうか。

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