今更聞けない無線と回路設計の話
第7話では、DBMの動作原理について表計算による簡易シミュレーションを用いて解説しました。第8話では引き続き、回路シミュレータによるDBMの動作解析を行います。
解析に用いた回路を図1に示します。使用する回路シミュレータは、これまでと同じくMicro-Cap12(以下、MC12)※1です。
(1) ダイオードの選定
DBMを構成するダイオード(D1~D4)にはMC12のライブラリに標準で収録されているデバイスから、2022/9現在入手可能と思われるものとして、日立(現・ルネサステクノロジー)社製のショットキーバリアダイオード1SS87を選択しました。データシートを検索してもCQ出版社のダイオード規格表の抜粋(図2)しか見つからなかったので、あまり良い題材ではなかったかもしれませんが、今回はこのダイオードで進めてしまったので、何卒ご了承ください。
(2) 入出力トランスの選定
入出力トランス(X1、X2)については同ライブラリのAnalog Primitivesに登録されているCentap(Center tap)トランスの諸元を調整して使用しました。このモデルは各端子間の巻き数比が1固定で、各巻線の自己インダクタンスのみパラメータ変更が可能になっています。また結合度kも固定値のようですが、モデルから読み取れませんでした。そこで、図3に示す回路でAC解析を行い、周波数特性と結合度を確認して適用する事にしました。各巻線の自己インダクタンスについては、入力側(図1のX1)は100μH、出力側(図1のX2)は10μHとしました。
全ての巻線のインダクタンスを同値にしたので、X1は入力:ダイオードリングの変圧比が1:2、X2はダイオードリング:出力の変圧比が2:1の電圧比になります。DBM全体でみれば、入出力間の変圧比は1:1になりますので、ダイオードリングを理想スイッチと捉えれば、DBMの動作中は入力端子から負荷インピーダンスがそのまま見える事になります。厳密にはダイオードの動作時のインピーダンスに合わせて巻数比を調整した方が良いのだと思いますが、「LOの電力でスイッチングされている」という条件が崩れなければ、ダイオードのインピーダンスは殆ど見えないはずなので、この程度の設計でもそこそこ動作すると思います。
(3) LO端子の設計
一般的なDBMはLO端子に+10dBm程度の電力を給電します。供給電力がDBMの飽和特性を決定するので、LOとダイオードリングの間はインピーダンス整合を行った方が良いのですが、ダイオードは端子電圧に応じてON/OFF動作をするので、実効的な動作インピーダンスは端子に印加する電圧値で大きく変化します。そこで図4に示すようにLO電圧V1を変化させながら、入力トランスX1のセンタータップの電圧と、センタータップに流れ込む電流を計算した結果、図5に示す結果を得ました。
図4 LO電圧源V1の端子電圧とLO供給電力の関係を調べる
このグラフからダイオードリングD1~D4に+10dBm給電するために必要なV1の電圧振幅は約1.5V、このときLO端子から見たダイオードリングのインピーダンスは47Ωで、ほぼインピーダンス整合がとれた状態にあることが判ります。
図5 LO電圧源V1の端子電圧とLO供給電力、ダイオードリングのインピーダンスの関係
なるほど、市販のDBMの定格LO入力電力は横並びで+8~+10dBmが多い訳です。ちなみに図2に記載の通り、1SS87の許容最大電力Pmax=150mW、最大逆方向電圧VRmax=3Vなので、図5から導出した動作点での使用は問題ないですが、図5と同じ結果(グラフの端から端までの結果)を実験で得ようとするとデバイスを壊してしまう可能性があります。
第6話のトランジスタミキサと同様、図1のDBMについてMC12のトランジェント解析機能を用いてシミュレートすることにします。
(1) シミュレーションの条件
トランジェント解析を行う際の条件(回路の動作条件と計算条件)は表1の通りです。No1~No6に示す通り、ダイオードリングを周波数10MHz、電力PLO=10dBmの搬送波信号でスイッチング駆動させて、2波の伝送信号(300kHzと900kHz)を同レベル(変化範囲0.02~1.28Vpeak)で入力し、出力に9.1MHz、9.7MHz、10.3MHz、10.9MHzの4波を取り出す想定です。第7話では伝送信号周波数を1MHzと3MHzとして解説しましたが、実際にこの周波数構成でシミュレートすると、LO、入力それぞれで発生する高次の歪み成分が重なり合ってしまって説明しづらいため、第6話と同じ周波数構成で解説を進めます。DBMはトランジスタミキサと比べて広帯域動作が可能なので、1MHzと3MHzの伝送信号でも動作させる事は可能です。
No7 計算範囲とNo8 計算ステップは、FFT解析を行ったときの周波数範囲と周波数間隔(分解能)を決めるパラメータです。表1のパラメータの場合、計算ステップが0.6nSなので上限周波数1.6GHz、計算範囲が10μSなので最小周波数間隔(分解能)が約100kHzとなります。
表1 シミュレーション条件
※実際の計算ステップはMC12が自動的に設定するため、おおよその値を記載。
(2) 入出力特性の導出
第6話 3章と同様の手順で設計したDBMの入出力特性を計算した結果を図6に示します。
このグラフの横軸Pinは300kHz、600kHz 1波あたりの入力電力をPLOで正規化した値、縦軸は生成された各スペクトルの電力Pout(絶対値)です。PLOに対してPinが大きくなるとIM3(三次歪み成分)やIM5(五次歪み成分)が上昇してくる様子はトランジスタミキサと同じです。
図6 設計したDBMの入力電力対出電力、ならびに歪み特性
興味深いのはPin=-13dB付近にIM3の棚(IM3とIM5の周波数が一致しているスペクトルがたまたま逆相関係になって相殺し、スポット的に歪みが低い領域)が生じている事です。この特性はデバイスの特性や動作点に依存するため、常に生じるものではありません。IM3成分については図6にグレーの破線で示したような特性になるのが一般的です。
図6の赤丸A~Dの入力レベルにおける各端子の時間応答波形と周波数スペクトルを図7~10に示します。
図7 DBM各端子の電圧波形(左: 時間応答波形、右: 周波数スペクトルPin=-25.4dB)
図8 DBM各端子の電圧波形(左: 時間応答波形、右: 周波数スペクトルPin=-13.3dB)
図9 DBM各端子の電圧波形(左: 時間応答波形、右: 周波数スペクトルPin=-7.3dB)
図10 DBM各端子の電圧波形(左: 時間応答波形、右: 周波数スペクトルPin=-2dB)
図7、図8の時間応答波形のように、LOの振幅に対して入力振幅が小さい場合は出力信号のエンベロープと入力信号波形は概ね一致しています。従って出力の周波数スペクトルを見ても、LOと伝送信号(入力信号)との積の成分以外は確認されません。これに対して図9、図10では、出力信号がLOの振幅で頭打ちになってエンベロープが入力信号と一致しなくなっています。この結果出力信号のスペクトルには三次・五次の歪み成分が発生し、さらにLO波形にも歪みが確認されます。シミュレーションしてみて気づいたことですが、伝送信号電圧(Vin)が大きくなってVLO≫Vinの関係が崩れてVLO < Vin の状態が生じると、ダイオードリングD1~D4は図11に示すようにVinでスイッチングし始めます。この結果、D1とD4、またはD2とD3が同時にONするようになり、この間は伝送信号電圧Vinが短絡される事になるので、DBMの出力電圧VoutはLO電圧VLOを超える事ができません。この結果、図6のグラフのDBMの出力電圧Voutには増幅器と同様の飽和特性が観測される事になります。また、この時D1(またはD3)を流れる電流とD2(またはD4)を流れる電流がアンバランスになる事が、LO波形の振幅を変動させる理由と考えます。
図11 ダイオードに印加されるバイアス電圧(第7話 図6参照)
最後に図7にコメントしましたが、入力端子に2×LOで周波数変換された波形が現れています。DBMは原理的にfLOの偶数倍の成分は発生しにくく、かつ、この波形はLO端子、出力端子には現れていないので、何処で発生しているのか不明です。時間波形を詳しく見ると出力波形の微分応答のようにも見えるので、とひょっとするとダイオードのデバイスモデル内にスイッチング応答にばらつきを生じさせるパラメータが何か存在するのかもしれません。
第8話ではダイオードを用いたDBMを設計し、回路シミュレータMC12を使ってシミュレーションしてみました。筆者自身、このようにDBMの動作を細かく分析したのは初めてで、色々発見もありました。特に前回、「DBMは入力信号の振幅がLOの振幅に近づいて、スイッチングのタイミングに暴れが生じても、エンベロープが大崩れしない」と述べましたが、実は筆者の誤解で、ダイオードリングが伝送信号を短絡する動作を始めるので、増幅器同様に飽和特性を示していました。お詫びして訂正させて頂きます。次回はIC乗算器、ICミキサの主流であるギルバートセルについて解説します。
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