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大阪そぞろ歩き

シルクロードの最東端は、今やブドウの産地だ

スタッフY


大阪側から二上山を望む

7月15日公開のFB NEWSに「大阪府内の13号線の謎」という超ローカルな話が掲載されました。その話の中に熊野街道あるいは小栗街道とも呼ばれる歴史に名高い街道が登場します。両街道は2004年にユネスコの世界遺産に登録された熊野古道につながる古道で、熊野参詣が盛んであった今からおよそ1000年前の平安時代後期から鎌倉時代にかけて整備された街道であると書物の記述で知ることができます。

その時代からさらに400年ほど遡ること西暦613年(推古21年)、「自難波至京置大道」(日本書紀)と記録された「大道」が今回のそぞろ歩きのポイントです。その大道とは諸説ありますが、今でいう「竹内街道」(たけのうちかいどう)であり、大和(飛鳥京)と河内平野を経由して大陸との往来が盛んにおこなわれた街道です。現在では国道166号線として大阪南東部と奈良県を結んでいます。

シルクロードと竹内街道

かつて米国を旅行したとき、米国で一番長い国道を車で走行したことがあります。Interstate 90、通称I-Ninety(I90)と呼ばれ、日本語では国道90号線とも呼ぶのでしょうか。西はワシントン州シアトルから東はマサチューセッツ州ボストンまで実に5000kmもあり、米国では有数の国道です。その国道も起点・終点に行きますと知らぬ間に普通の一般道に入ります。有名な国道であるのに起点・終点は何の飾り気もなく正直気が抜けたような気がします。よく考えると日本の国道1号線でも同じかと考えると納得できたりします。

そのI90より、はるかに悠久の歴史に名高いシルクロードを考えますと、車こそ走れるハイウェイではありませんが、西はローマから東は長安(今の西安)あるいは洛陽まで実に8700kmに及びます。シルクロードは紀元前2世紀から18世紀の間、東洋と西洋を結ぶ歴史的な交易路と説明されており、そのルートは複数存在するようですが、主要なルートを地図に表すと西はローマから東は大陸の東端の地洛陽と記述された説明が多く、シルクロードはユーラシア大陸内で完結していたように考えられています。


聖徳太子が活躍した時代、西暦600年頃には小野妹子や犬上御田鍬が大陸から技術や制度を学ぶために遣隋使あるいはその後の遣唐使として派遣されています。彼らはそこで技術や制度、あるいは学問の習得のみならず、遥か西の彼方のローマから伝えられた珍しいものを見聞きしたはずです。それらが大陸から玄界灘を渡り、瀬戸内海から難波津(港)に到着し、さらにそこから竹内街道を通り陸路で飛鳥京を目指すのですが、これがシルクロード東端の道であると筆者は考えています。

竹内街道

冒頭に難波津から飛鳥京に大道を置くとの日本書紀の記述を紹介しました。大道は、難波津(堺の港)から堺市金岡まで南下し、正面に二上山を見ながら松原市岡、さらには羽曳野市古市、そして太子町を横断して二上山南麓の竹内峠を越え奈良県飛鳥京に至る道と考えられています。竹内街道と並行するようにその北に長尾街道があります。竹内街道が二上山の南麓に対して長尾街道は、その北麓に位置しています。これも竹内街道と同時期に置かれた街道の一つで堺市と竹内街道と同様、奈良県葛城市の長尾神社付近を結んでいます。


シルクロードの東端、竹内街道

当時難波津に到着した遣隋使、遣唐使、あるいは渡来人は飛鳥京を目指すのですが、東に見える二上山(冒頭の写真)のちょうど超えたあたりがその飛鳥京であったことから分かりやすく、大きな道標の一つとして捉えていたと思われます。その二上山の南麓、北麓に河内国と大和国を結ぶ街道ができたことも不思議ではありません。


堺市から奈良県葛城市に至る竹内街道沿線には大道という地名が今も7ヵ所残っています。太子町山田の大道は正に竹内峠手前の地域で今も歴史を感じるたたずまいを見ることができます。


竹内街道と古墳群

令和元年、大阪市の南に位置する堺市からその東側、約10数kmの地域に点在する古墳群が「百舌鳥(もず)・古市古墳群」としてユネスコの世界遺産に登録されました。この世界遺産の古墳群の南東部に連続する形で大小の古墳を含め総数200数十基の古墳が南河内郡河南町や太子町にも一須賀古墳群、磯長谷古墳群と呼ばれる古墳群に点在しています。それらは大和飛鳥とならび古墳時代後期の代表的な古墳群として最近は「近つ飛鳥」や「王陵の谷」とも呼ばれています。多くの天皇陵や氏族の墓があり、勢力争いの最前線であったとも伝えられています。いずれの古墳も聖徳太子が活躍した時代と重なる6世紀前半から7世紀中ごろにかけて築かれた古墳です。大陸と飛鳥京を結ぶ海路、陸路はまさに重要な交易路であり、大和や河内(大阪南部)の豪族の動向と深くかかわったものと思われます。


竹内街道の沿道

堺市から奈良県の葛城市に至る竹内街道沿いには、応神天皇陵、仁徳天皇陵、推古天皇陵をはじめとする古墳が多数あることから、物資輸送路、文化伝達路として重要な役割を果たした幹線道路であったことは間違いないと思っています。シルクロードの最東端として、また最古の官道として栄えた竹内街道も都が飛鳥京から平城京に遷されるとともに最古の官道の繁栄も徐々に廃れていきます。

そして現代、もともと大阪南東部は明治の時代から南向きの山の傾斜を利用したブドウ栽培の盛んなところでもあり、竹内街道の通る羽曳野市、柏原市ではワイナリーもあります。ここ数年はシャインマスカットの栽培では山梨県や岡山県さらには広島県には勝るとも劣らない品質の良いブドウが出荷されています。本誌2020年9月号には「Masaco、大人の社会科見学!」としてワイナリーのことが紹介されています。


ブドウの出荷に追われる農家の方     道の駅でブドウの販売

シルクロード最東端の町、太子町

シルクロードの最東端、日本最古の官道1号線竹内街道沿道には聖徳太子磯長御廟もあります。今年は聖徳太子没後1400年になり、町のあちこちで記念事業の幟を見ることができます。100年前の没後1300年には、近鉄南大阪線喜志駅前に石碑が建立され、今年は同線上ノ太子駅前に聖徳太子像が建立されるとのことで盛り上がっています。


聖徳太子が葬られている叡福寺       竹内街道沿いの古民家

<参考資料>
街道ウォーキングマップ竹内街道(歴史街道推進協議会事務局)
太子町史
最古の官道と古代氏族(太子町立竹内街道歴史資料館)
白地図(運営:三角形)

<筆者>
スタッフYとは、月刊FB NEWSの編集を担当している一スタッフで2019年5月号に「UR 5NN BKのQSOなのになぜ電鍵を選ぶ?その心は・・・」を投稿した筆者と同一人物です。

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