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大阪そぞろ歩き

大阪府内の13号線の謎

スタッフK


  水彩画(大鳥大社): 川辺晴美作

生まれ育った土地の名前に愛着を感じるのは私だけではないと思います。私がまだ少年だった頃、祖母から玄関先の道を「これは、小栗街道(おぐりかいどう)って立派な名前が付いているのよ」と教えて貰ったことを覚えています。小栗街道は、実は「熊野街道」と言った方が一般的だということを中学生ぐらいになって知りましたが、堺より南側は今でも小栗街道と呼ばれ、その名前はよく知られています。


熊野街道道標(大阪市住吉区)

琵琶湖から宇治川を下ると、その宇治川が淀川となり大阪北部の摂津辺りから大阪湾に流れ込みます。淀川の河口あたりを起点に一路南下し、大阪南端で和歌山と結ぶ紀州街道を越えると紀伊半島に入ります。熊野街道です。大阪の泉州辺りでは今でも小栗街道とも呼ばれ、古来より神が宿る熊野三山への参詣に使われた街道として名を馳せてきました。紀伊半島の熊野古道も合わせるとこの熊野街道は、実に全長1000kmともいわれている壮大な古道です。

私の地元、小栗街道沿いの実家の近くには、約1900年前の日本武尊(やまとたけるのみこと)の時代に起源を発する大鳥大社があります。歴史のある、由緒ある町として地元住民はたいへん誇りにしています。今回のお話しの中心は、この小栗街道が通っている大阪市の南部、堺市西区鳳(おおとり)界隈です。堺市は政令指定都市です。大阪市に次ぐ大きな都市ですが全国的にはマイナーです。それでもそこには歴史と伝統が息づく実に滑稽ともいえる地元住民の土地名に対する愛着を垣間見ることができます。


国道26号線と大阪府道30号の間の熊野街道

大阪湾沿いに南北に走っている大きな道路といえば国道26号線。国道ニンロクとも呼ばれ大阪市梅田新道の交差点から和歌山県庁前の交差点に至る総延長70km余りの大阪―和歌山間の大動脈といえる道路です。現在は、大阪府松原市の松原インターチェンジから和歌山県田辺市の南紀田辺インターチェンジまで阪和自動車道という高速道路が通っていますが、それ以外の大阪と和歌山を結ぶ大きな道路といえば、この国道26号線がメインでした。地元住民は、この国道26号線が交通渋滞を起こすとその西側(海側)を走っている旧国道26号線、現在の呼び名で大阪府道204号、さらには国道26号線の東側をほぼ平行に走っている小栗街道や大阪府道30号といった道に抜け、渋滞を避けます。

偏狭な話で恐縮ですが、JR大阪駅から南に下り、天王寺駅で阪和線に乗り継ぐと快速で約10分あたりに鳳(おおとり)駅があります。鳳駅で下車し、北東方向に100mぐらい進むと最初の交差点に当たります。交通量も多く周辺には商店街などがあり活気のある交差点ですが、どういう訳か交差点名を示した標識はありません。地元住民はここを「蔵王前交差点」と呼んでいます。


JR鳳駅東側の地名

「蔵王」といえば、山形県の蔵王スキー場を思い浮かべますが、こことは何ら関係はありません。その道路を少し右にカーブしながら東に進むとなだらかな下り坂になっています。そのなだらかな下り坂を「デンデン坂」と呼んでいます。だいぶ前のことですが、以前この近くにNTTの前身、電電公社があったことからデンデン坂と呼ばれる所以ですが、そのデンデン坂を示す標識等はありません。デンデン坂を下り切ると大きな交差点があります。「ウイングス前交差点」です。実はこの交差点、ずっと以前は「13号線交差点」と呼んでいました。といいますのもこの交差点を南北に走っている道路は、正式には大阪府道30号大阪和泉泉南線というのですが、地元住民は以前の道路名の13号線と呼んでいたからです。現在は、その交差点のすぐそばに大きな鳳ウイングスという大きなショッピングモールができたため、「ウイングス前交差点」と呼ぶようになりました。ところがその交差点には「鳳駅下り」という、いわば正式名称かと思われる道路標識が取り付けられています。それでも地元住民は「ウイングス前交差点」と呼んでいます。正式名を無視して俗名で呼んでいるところがなんとも不思議なところで、これがまかり通っているところが凄いところです。

さて、その13号線と呼ばれている道路についてお話しします。先にも記述しましたがこの道路には実は大阪府道30号大阪和泉泉南線(おおさかいずみせんなんせん)とれっきとした正式名称が付いているのです。でもなぜか13号線と呼んでいます。私が住んでいる堺市界隈だけではなく、この大阪府道30号沿いに住んでおられる多くの住民がそう呼んでいるのです。


JR阪和線下松駅付近の府道30号線から南方面を見る

この13号線の名称の由来を問うと「それは国道13号線のことだ」とか、「いやいや、あれは大阪府道13号線だ」といった答えが返ってきます。さらにはシンプルに国道でも府道でもない、単に「大阪13号線」といったりする人もいますが、共通して「13号線」と呼んでいます。この13といった数字に何かありそうです。

地元住民も確かな名前の由来は知らないようですが、「こうではないか」といった理由が伝わっており、それが今も本当のように伝わっているのが不思議なところです。この13号線、北の起点は大阪市北区を東西に走っている国道1号線との交点で、南の終点は和歌山県と大阪府を結ぶ泉南市の泉佐野岩出線との交点に至る総延長49kmの道路です。つまり大阪府が決めた道路名として「大阪府道30号」という名前が付けられています。

翻って調べてみますと、国道13号線は福島県福島市の舟場町交差点を起点とし、終点を秋田市の臨海十字路として山形県の東側を南北に縦断している国道です。この国道13号線は、他の道路に割り振られたことはありませんし、一度も大阪の道路に割り当てられたような記録もありません。何度も言うようですが、この道路を地元住民は13号線と呼んでおり、生活の中に溶け込んでいるのです。

一つ、おもしろい例があります。正式名称の大阪府道30号沿いに、どういう訳か「13号線バティングセンター」という看板で地元住民に知られたバッティングセンターがありました。地元住民は、その名称には何の違和感もありませんが、他所から来られた人たちには、「大阪府道30号沿いの13号線バティングセンター。それ何?」となる訳です。

一説には、その道路の幅が昔の寸法で13間(けん)だったので「13間道路」と付いたとする説が残っています。1間は約1.8mですので、13間といえば約23mにもなり、当時としては結構幅の広い道であったといえます。他にも、単に漢字の「三十」を逆さに読んで十三号とした説 、さらには大阪府が昭和35年に計画した10大放射三環状線のうち、13番目の道路であるという説もあります。あるいは、この道路の西側に平行に走っている国道26号線の半分の道幅だったため、26の半分、つまり13になったという説もまことしやかにささやかれていますが、ここまで来るとさすがに関西の乗りになってしまいます。これらの説が郷土愛というか、その沿線の住民の土地名に対する愛着を感じずにはおれません。

ネットからの受け売りですが、その謎をまじめに調べておられる方がおられました。「昭和11年 内務省告示第516号(昭和11年9月29日)」の大阪の府道について番号指定の通達というのがあり、そこにはこのように記述されています。「十三号 南河内郡長野町ヨリ堺市ニ達スル道路 南河内郡天野村、泉北郡横山村、南池田村、鳳町」という記載が残っています。このことから、堺市の現在でいう北花田口交差点から鳳の上交差点までを「13号線」と命名していたのでした。諸説がある中で、この役所の記録が信頼できそうです。シャレでも何でもない、本当に「13号線」だったことで、しっかりした理由があったのだと安心しました。

しかし、よくよくこの記録を読み返すと、起点となる北部の北花田交差点から堺市南部の鳳方面ではなく、この記録に記載のない逆の方向、つまり記載にある起点よりさらに北の天王寺までの辺りに住む住民もやっぱりこの道を13号線と呼んでいるのです。謎は深まるばかりです。とはいえ、多くの地元住民は、「道路の幅が13間だから」という諸説の中の一つを信じているようです。しっかりと調べたいと思い、大阪府庁にある都市整備部の道路室を訪ねました。結局、よく分かりませんでした。ご担当者の方は堺市より南の和泉市にお住まいとのことで、その方は地元では13号線と呼び、府庁内ではお仕事柄府道30号と呼んでおられると聞いて、13号線の威力を感じました。

社会が回り、経済が動き出すと人の往来が活発になります。今はコロナ禍にあり、おとなしくするのが賢明ですが、堺はというと、昔から商人(あきんど)の多く住む町として栄えました。この地域の人の往来は歴史的に見ても活発で止むところはありません。今でこそ、スマホの画面に表示される地図を頼りに見知らぬところにもスイスイと行けますが、当時は辻々の名称、道の名称などから場所を知り目的地に到着したであろうことは容易に想像できます。

先にも書きましたが、JR鳳駅前界隈には、そういった意味では路地裏の信号もない、道路標識もないような交差点や辻、また坂にまで地名が付けられています。たびたびローカルな話となり読者の皆様には恐縮ですが、例えば「蔵王」、「鳳陽園」、「大松」、「ドット」、「ミサカ」といったポイントを表す場所があります。建物を目印とした「清風荘」、「サンセイストアー」といった、それこそ地元住民にしか分からないような名称もあります。その場所にある住宅地やお店の名前がいつしか場所を表す名称となって地元住民の生活の一部となっています。

では、なぜそんなに細かに場所を示す名前を付ける必要があるのか。それは、地元の「地車(だんじり)」曳行にあります。一説には、この地域のだんじりの曳行は、400年も前から続けられています。地域はだんじりの曳行が人々の生活のベースにあり、祭りのときには、つぶさにそのだんじりの曳行状況を把握することが求められるのです。これがもとで辻々に名前を付けたのです。


写真提供: 堺市鳳野田区

これをある意味、私は特別な地域としてたいへん誇りを持っており、それらの名称を使うことで地元住民であるといった自負を感じています。「おらが町」といえばそれまでですが、現在も同郷の同年代の者は、これらの地名を日常的に便利に使っています。日本全国、他の地域でも同様にその地域の地元住民にしか分からない道の名前や交差点、あるいは坂道の名称があるのだろうと思います。これは歴史を継承する上で重要なことです。反対に他の地域から引っ越してこられた方々には、地元住民とはどうも相いれない隔たりを生むようなことにもなっていると感じています。

百舌鳥・古市(もず・ふるいち)古墳群が世界遺産に登録されたことからこの堺市も脚光を浴び、その中でさらに堺市西区のとりわけ鳳界隈の地元住民が醸す謎の地域名を追ってみました。

<参考にした資料>
大阪府管内国府道交通情勢地図(昭和33年施行) 大阪府庁都市整備部道路室協力
大鳥大社ホームページ
今八商店の大阪府市町村界 地図データフリー素材を加工して制作

<水彩画>
大鳥神社 川辺晴美 作 (http://abogado921.blog117.fc2.com/)
写真撮影 月刊FB NEWS編集部

<筆者>
スタッフKとは、本FBニュース2019年3月号にて「ヘッドホン(イヤホン)偏狭オタクな考察」を寄稿した人物と同一です。

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