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大阪そぞろ歩き

大阪の廃線跡を巡る その2

JK3AZL 高岡奈瑞


通勤途中や職場の窓から見える、すっかり見慣れた廃線跡があります。無線仲間からの問合せも多いことから、今回はアイコム本社をスタートし、阪和貨物線跡を辿って終着地点まで歩いた様子をご紹介します。


阪和貨物線の踏切跡。隣はアイコム本社。

* * *

通称「阪和貨物線」は八尾~杉本町駅を結んでいた総延長約11kmの貨物専用線で、幹線から南大阪や和歌山方面を結ぶ貨物輸送に使われていましたが、2009年に廃止されました。天王寺を経由せずに関西線と和歌山を最短で接続できることから、過去には特急や修学旅行列車、さらにお召し列車も走ったことがある、ユニークな貨物線です。


阪和貨物線の分岐から杉本町駅まで。

実際に廃線跡として残るのは加美にある分岐点から杉本町駅までの間となります。その阪和貨物線の分岐点がちょうどアイコム本社(平野区加美南)の東側にあり、本社近くに踏切を含めた阪和貨物線の施設跡が数多くあるため、「歩鉄」愛好家のサイトを拝見すると、アイコムの建物が写った画像をよく見かけます。


アイコム本社の東側にある分岐点。今は空き地になっている。


アイコム本社の南側。かつて阪和貨物線の線路が通っていた。

阪和貨物線の分岐から先は盛土で線路が地面より高くなりますが、分岐に近い踏切は「かまぼこ形踏切」となり、大型のトレーラーやバスなどは通行できませんでした。


踏切跡付近に残る「かまぼこ型踏切」の注意看板。

阪和貨物線廃止後は、踏切のかまぼこ形状が改善されて、大型車両も通行しやすくなりましたが、道路に残る傾斜を登り切れず、自転車を押して通行する年配の方の姿も見かけます。


踏切跡。今では大型車両も通行できる。

踏切跡から先は景色が替わり、愛好家にとって見逃せない風景が続きます。


踏切跡の先には、まだ線路が残っている。

線路を越えて盛土区間最初の交差部分、アイコム大阪営業所(平野区加美鞍作)の近くにあるガードは、ケタ下制限が2.2m。うっかり長いモービルアンテナを付けたまま通行するとガリガリしてしまうので、通行する際には要注意なポイントです。実際にガードの天井を見ると、色々ガリガリした跡が残されています。このようなガードは国道25号線交差まで6カ所ありますが、大型車両も通る国道25号線に向かって、少しずつ高くなって行きます。


アイコム大阪営業所近くに残るガード。ケタ下制限2.2m。


国道25号線まで6カ所のガードが続く。ここはケタ下制限3.0m。


3つめのガードはケタ下制限3.7mと、少しずつ高くなっている。

3つめのガードの近くには、今は廃寺となった鞍作寺があります。鞍作寺は今も地元の有志によって大切に保存されており、寺門の横にある案内パネルには、「鞍作」地名の由来がわかる記載がありました。

鞍作廃寺の案内パネルより



鞍作廃寺(くらつくりはいじ)は、日本最初の尼僧といわれる善信尼(ぜんしんに)が開いた寺院である。善信尼は、渡来系氏族(とらいけいしぞく)とされる鞍作氏の出身で、奈良県明日香村にある法興寺(飛鳥寺)の大仏を創作したことで知られる仏師・鞍作止利(くらつくりのとり)は甥にあたる。寺跡のある地は、旧国名で河内国渋川郡に属しており、もとは物部氏の領するところであったが、崇仏・廃仏を巡る抗争で同氏が敗れたため、四天王寺領となり、鞍作廃寺が建立されることとなった。現在の鞍作寺(あんさくじ)境内から、白鳳期(七世紀後半)の軒丸瓦や巨大な礎石などが出土しており、この地に古代寺院があったことは確実である。




鞍作廃寺

鞍作廃寺を南に進むと、盛土は高架区間へと変わります。高架のフェンス周辺は、かつて地元住民が果樹を植えたり家庭菜園を作ったりして占有していましたが、ここ数年で大阪臨港線と同様に、占有物の撤去が進みました。


廃墟のような高架が続く。

阪和貨物線は、この先で国道25号線と交差します。国道25号線交差はケタ下制限4.2mでしたが、阪和貨物線の廃止後に交差部分が撤去され、今は大型車両も通行しやすくなっています。


切断された国道25号線交差

国道25号線交差を南に進むと高架はまた盛土へと変わり、阪和貨物線唯一の橋梁である平野川橋梁に続きます。ただし人が平野川を渡るためには、約150m離れた橋まで迂回しなければなりません。


平野川橋梁

平野川を渡ると、線路跡周辺は私有地や施設となって通行できないところが増えるため、線路跡を辿るには、迂回しては線路跡に戻る、の繰り返しになります。

大阪市内を南に伸びる阪和貨物線が東西に走る長居公園通を越えると、一気に視界が広がります。線路跡に沿って歩道も整備されているため、たいへん歩きやすくなります。


大和川手前まで広い敷地が続く。

鉄道が撤去された敷地はあまりにも広大で、「西日本旅客鉄道」の所有地を示す立て札を見なければ、鉄道跡地であることに気付かないかもしれません。


線路跡の立て札

大阪市内を南に伸びていた阪和貨物線は、大和川の手前で大きく西にカーブし、その後川に沿った溝のような線路跡になります。数年前はまだこの付近に線路が残っていたのですが、今は線路が撤去され、寂しい風景となっていました。


大和川近くの線路跡。

大和川に沿って延びる阪和貨物線跡は、あびこ筋の手前からカーブし、JR阪和線杉本町駅へと続きます。


大和川から逸れてすぐの線路跡。この先は終点の杉本町駅へと続く。


終点のJR阪和線杉本町駅。阪和貨物線は写真左側から合流する。


杉本町駅の線路。かつて阪和貨物線が接続していた部分。

今回のそぞろ歩きの終点・JR阪和線杉本町駅近くには大学があるため、オシャレなカフェを期待していたのですが、残念なことに居酒屋やガッツリ系のお店が多く、カフェが見当たりません。探し回ってようやく、焼きたてパンの店を発見。店内のカフェスペースで、購入したパンやスイーツを味わうことができました。

次のそぞろ歩きでも、美味しい発見がありますように。


そぞろ歩いた後のお楽しみは、スイーツと珈琲。

<参考>
水彩画   川辺晴美作 (http://abogado921.blog117.fc2.com/)
写真    筆者撮影
地図    国土地理院地図を利用

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次号は 12月 1日(木) に公開予定

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