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大阪そぞろ歩き

アマチュア無線の聖地から辿る『西国街道』

JP3DOI 正木潤一


私が以前住んでいた大阪府北部は『北摂(ほくせつ)』地方と呼ばれますが、東西に国道171号線が走っています。その昔、京都と下関を結んでいた街道『西国街道(さいごくかいどう)』が、この国道171号線と併走するかたちで走っていました。かつて大名行列や物流が行き交い、各地の宿場町が賑わっていた街道です。

今回は、西国街道のうち、池田市から高槻市までの約18kmの道のりを実際に辿ってみます。

池田市区間

ここはご存じ池田市民文化会館。通常であれば毎年7月に関西アマチュア無線フェスティバル(関ハム)が開かれる場所です。


池田市民文化会館。訪れた時には常設局のアンテナが立っていた。


フリーマーケット会場となる豊島野公園。今回訪れたとき(左)と過去の関ハムの様子(右)。

D-STARレピーター『池田430』は、ここ池田市にあります。


池田430レピーターは池田市内の五月山にある。

ここから南に900mほどの地点で西国街道と合流します。ここからそぞろ歩きスタートです。


池田市民文化会館へとつづく道と西国街道が交差する地点。ここをスタート地とする。

はるか昔に賑わった街道も、今ではただの道です。住宅地の中を通る道が西国街道なのですが、かつての重要路であることを示すものはありません。


西国街道を行く。いたって普通の道路。

東へ進んでいくと、阪急宝塚本線の踏切が現れました。そして、ここに西国街道の証を発見しました。


阪急宝塚本線の踏み切りに出た。


西国街道であることを示す道標や案内板。踏切の柵にも明記されている。

踏切の近くに街道の案内板があります。西国街道を歩いている(*)という確信が得られました。こういった道標などは市の教育委員会が管理しているようです。
*実際の移動は自転車です。

住宅地をしばらく進むと広い車道に出ました。国道176号線です。西国街道はここを横切り、しばらく行くと今度は国道171号線と合流、少しの区間国道171号線と重なります。


国道176号線を横切り(左)、さらに進むと国道171号線と合流する(右)。

国道171号線との重複区間から北に逸れると、再び阪急箕面線の踏切が現れました。ここを渡った辺りで箕面市に入ります。ちなみに、私は学生のとき4年間ほど箕面市に住んでいました。


西国街道は国道171号線から逸れて阪急箕面線の踏切を渡る。その先で箕面市に入る。

箕面市区間


さて、箕面市に入った西国街道は住宅地の中を東に伸びています。しばらく行くと『瀬川本陣跡』に着きました。本陣とは、大名や役人など身分が高い人たちが利用していた宿です。ただし、本陣があった場所は自動車教習所になっていて、案内板がかつての存在を伝えるのみです。


かつて『瀬川本陣』のあった場所(現・自動車教習所)(左)と、そこにある案内板(右)。

瀬川本陣跡を過ぎると、西国街道を示す道標がしばらく見当たらず、街道を逸脱していないか不安になってきました。西国街道は国道171号線と並走しているのですが、箕面区間では何度か横切ったり重複していたりしています。地図を確認しているとはいえ、実際に道標を見ないと確信が持てません。

しばらく行くと再び踏切に差し掛かりました。これも阪急箕面線の踏切です。西国街道は東へまっすぐに伸びていますが、阪急箕面線が途中から北に向かって大きく曲がっているので、こうして再び線路に遭遇するのです。


阪急箕面線の踏切。西国街道はここを越えてひたすら東につづく。

阪急箕面線は、この踏切の北にある牧落(まきおち)駅を過ぎると終点の『箕面駅』です。箕面市は『箕面大滝』や紅葉、野生のニホンザルで有名な観光地でもあります。


阪急箕面駅(左)。駅前から『箕面大滝』へとつづく散策路(中)。箕面大滝(右)。


名物、久國紅仙堂の『もみじの天ぷら』。食用に育てた紅葉の葉が使われている。

この日の朝、私はかなり早くに家を出ました。ここらでちょっと街道から離れ、モーニングをいただくことにしました。阪急箕面駅から歩いて5分ほどのところにある老舗レストラン『モンキーヒル』に寄りました。50年以上の歴史がある素敵なお店です。


『モンキーヒル』で朝食。角の摺りこけた伝票バインダー(右)に歴史を感じる。

さて、西国街道に戻ります。箕面市内の西国街道は、所々の路面に加工が施されていて、かつての街道だったことを示しています。そして、時折道標があり、その歴史を今に伝えています。


路面に施された加工。自治体によって西国街道の扱いが異なるようだ。


箕面市区間にある道標の1つ。『モミジーヌ』(左)と『滝ノ道ゆずる』(右)は箕面市のマスコット。

大きな鳥居があります。これは景勝『勝尾寺(かつおうじ)』の参拝道の鳥居です。


勝尾寺の参拝道の鳥居。勝尾寺はここから北に直線で約4kmの山中にある。

勝尾寺は箕面の山中にあるお寺です。最初は“勝つ王寺”という名が与えられましたが、それは畏れ多いということで、“王”の代わりに“尾”の字を充てました。ただし、読み方は“かつおう”です。勝負事の祈願で人気が高く、紅葉の名所でもあります。

このように、箕面市には勝尾寺や箕面大滝などの景勝地がありますが、すぐ南にはオフィス街が広がります。私が進学のため山口からやって来た時、北大阪急行を降りてバスに乗り換えると、行く手に大自然が広がるのを見て大阪のイメージが覆されたことを覚えています。


南部に広がるビジネス街(左)と、畑越しに見るその遠景(右)。

現在、地下鉄の延伸工事が進行中です。北大阪急行線のターミナル駅である『千里中央駅』からさらに北に延びる計画です。


地下鉄の延伸工事現場(地上部分)。国道171号線を跨いで北に延びる。

茨木市区間


さて、西国街道は大阪モノレール彩都線『豊川駅』の高架をくぐったあたりで茨木市に入ります。


終点『彩都西駅』へ北に伸びるモノレールの高架。山の中腹に大規模物流センター群が見える。

ところで、箕面市や茨木市を含む北摂(ほくせつ)地方は、北にそびえる山々のもと自然豊かな地域である一方で、南にはビジネス街や地下鉄、モノレールなどの交通網が発達しています。新名神高速道路の開通も記憶にあたらしく、山の中腹に食品や衣料品などの物流センターが次々と建設されています。


茨木市内の西国街道(郡山地区付近)。

さらに東に進むと、いかにも昔の名残がありそうな地名がありました。かつてここに鍛冶屋があったのでしょう。


『鍛冶屋橋北詰』にある橋。歴史を感じる地名と橋の装飾。

鍛冶屋北詰にある『鍛冶屋橋(かじやばし)』。橋の親柱には西国街道をゆく人々の姿が描かれていて風情があります。また、欄干には茨木市の「茨」があしらわれています。道路にも特別な加工が施されていることから、やはり自治体によって西国街道の扱い方(想い入れ?)が異なるようです。


文化財『郡山宿本陣』。

また、町沿いに古い家屋が残っていて、珍しく本陣(大名のための宿)が現存しています。ここ『郡山宿本陣』はたまに内部が一般公開されていて、私も以前に見学したことがあります。敷地内には庭園が広がっていて、厩や蔵などがあります。外からでも、馬を一時的に繋いでおく金輪や見張り口が見えます。

なお、今では案内板しかありませんが、ここ郡山地区にはかつて『郡山城』がありました。


石垣の岩が1つだけ残る郡山城跡。この上に座って運用したらCastle On The Airになる?

郡山宿本陣を過ぎると、西国街道は国道171号線を横切り、さきほどの『勝尾寺』から名が取られた勝尾寺川に沿って伸びてゆきます。


国道171号線を横切る。


勝尾寺川に沿って続く西国街道(左)と道標(右)。


中河原橋からの眺め(左)と木目調の欄干(右)。

勝尾寺川に架かる中河原橋を渡ると、またしばらく住宅地の中を進みます。国道171号線と付かず離れずという距離感を保って並走します。

ちなみに、ここ茨木市にはノーベル文学賞を受賞した川端康成の生家があります。


西国街道からすこし北に逸れたところに川端康成の生家がある。

高槻市区間


さて、西国街道は名神高速道路の高架下をくぐって安威(あい)川を渡りしばらく行くと高槻市へと入ります。


名神高速道路の高架下(左)をくぐり、安威(あい)川に架かる橋(右)を渡る。

高槻市区間は比較的新しい町並みを通り、路面も普通のアスファルト舗装になっています。しかしながら、近年整備されたと思われる案内板があり、かつての街道の存在を今に伝えています。


都市整備の際に立てられた、真新しい道標。


道端の岩や古木も、当時となんらかの関係があるのかと妙に勘ぐってしまう。

高槻市は、市内に多くの古墳が残っている古墳の町です。そのうちの一つ『今城塚古墳』の近くを西国街道は通っています。


西国街道の傍にある今城塚古墳。

さて、芥川(あくたがわ)に差し掛かりました。ここに掛かる芥川橋の欄干や親柱は昔の風情があります。近くには道標があり、ここが西国街道であることと、この先に『芥川宿本陣』跡があることを伝えています。


街道のあった時代をモチーフにした芥川橋。

芥川橋のたもとにはかつて水門があり、洪水から宿場を守っていました。


芥川水門跡(左)とその案内板(右)。埴輪のキャラクターが古墳のまち高槻のシンボル。

さて、西国街道は芥川町に入りました。私のそぞろ歩きも、このあたりでおしまいです。芥川商店街の端っこに、かつてこのあたりに『芥川宿本陣』があったことを伝える案内板があります。西国街道はこの先も京都を目指して東に伸びています。


芥川商店街の端。ここをそぞろ歩きのゴール地点とする。

芥川町の隣、桃園町にはFMレピーターがあります。私のそぞろ歩きは、D-STARレピーターのある池田市から始まり、FMレピーターのあるここ高槻市で終わります。

最後に、わたしのお気に入りの喫茶店、高槻センター街にある『壱番館』で一服しました。


50年近く続く喫茶店『壱番館』。

おまけ

ところで、「そぞろ歩き」と言いつつ、私は西国街道を自転車で辿りました。全く意識していなかったのですが、私の自転車が写り込んでいる写真が全部で8枚あります。あなたはすべて見つけられるでしょうか?

出典: 国土地理院地図を利用

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