今更聞けない無線と回路設計の話
第7話から第8話にかけて、ダイオードミキサの代表ともいえるDBMについて表計算と回路シミュレータを用いて解説しました。IC化されていない送受信機の周波数変換回路は、殆どがこれまで解説したトランジスタミキサやDBMで実現されています。一方で高周波回路のIC化が進み、周波数変換回路もSiGeやCMOSプロセスによる高周波LSIやアナログASICに取り込まれるようになってきました。CMOSに代表されるモノリシックICは、DBMに使用されるトランスの実現が困難なため、差動増幅器ベースの乗算回路が多用されます。第9話からはその代表回路ともいえる「ギルバートセル」乗算回路について解説します。
ギルバートセルとは、2020年に亡くなられたアナログ・デバイセズ社の技術フェロー バリー・ギルバート博士※1が考案したとされるアナログ乗算回路です。図1に示す通り、差動増幅器をカスケードに組み合わせた回路構成になっています。これまで解説したトランジスタミキサやダイオードミキサは周波数変換を行うことが主目的であり、2つの信号の乗算精度には着目していませんでした(「ミキサ」と呼ばれる所以です)が、ギルバートセル乗算器は乗算精度が保証された4象限乗算※2が可能な回路です。
図1 ギルバートセル型乗算回路
基本的にICの一部に使用されている回路なので、装置レベルの回路設計者が直接この回路に触れる機会は少ないですが、AD633(ADI)、MC1496(ON Semiconductor)など、二重平衡変調器IC、または乗算器ICとして単機能のICも存在します。(昔はNECからμPA101という乗算回路構成のトランジスタアレーも販売されていました)
図1の回路をぱっと見るとトランジスタが8個も使用されていて、非常に複雑な回路に見えます。この回路の構成を少し判りやすくする為に色づけしたのが図2です。ギルバートセル乗算器は3つの差動増幅回路と1つのカレントミラー(定電流源)回路から構成されており、A入力を増幅する差動増幅①の2つの出力部にB入力を増幅する差動増幅②と③がそれぞれ縦積み(カスコード接続)された構成となっています。
図2 ギルバートセル型乗算回路の構成
差動増幅器を縦積みする事で乗算の機能を実現しているわけですが、その動作を理解する為には、まず差動増幅回路を理解する必要があります。図2の回路から「差動増幅②」と「差動増幅③」をなくして「差動増幅①」のみとしたのが図3の左側になります。このうちQ7とQ8はカレントミラー回路と呼ばれる回路で定電流源(端子電圧を変化させても流れる電流が変化しない回路)として動作します。従ってこれを定電流源のシンボルに置き換えたのが図3の右側の回路になり、一般に差動増幅回路とは図3の右側の回路全体(トランジスタペアと定電流源)を示します。
図3 ギルバートセル型乗算回路から差動増幅①のみ分離する
差動増幅回路とは、その名の通り、2つある入力端子の電圧差(Vin)に比例した電圧(Vout)を出力する増幅回路です。先に述べたとおり、基本的な差動増幅回路は図3の右側の図に示すような構成になっていて、入力信号は+/−別々のトランジスタQ1、Q2のベース端子に接続され、各トランジスタのコレクタ電圧の差分を出力として取り出します。2つのトランジスタの特性は完全に一致している前提です。出力電圧を取り出す為の抵抗R1とR2も通常は同じ値を選択します。+入力を増幅するトランジスタQ1と−入力を増幅するトランジスタQ2の各エミッタが共通の定電流源を介してVEE(-電源)に接続されています。ここまでの解説だけだと、差動増幅回路とは、差動信号を増幅する為に特性の揃った2つのトランジスタを使用して、+/−それぞれの信号を別々の信号として増幅して、その出力の差分を差動出力として取り出している・・・ ようにも見えますが、2つのトランジスタのエミッタを共通回路にしているところが差動増幅回路とバラバラの増幅回路との大きな相違点になります。以下、エミッタを共通回路にして定電流源に接続する事でどのような動作になるのか、図を使って解説します。
(1) 無信号(Vin+=Vin-=0V)のとき
図4に入力電圧が0V(コモンモードでもノーマルモードでも0V)※3の時の動作を示します。差動増幅回路ではエミッタが共通回路になっていて、かつ定電流源に接続されるので、Q1、Q2のエミッタ電流の合計値IEは、Q1、Q2の動作状態に関係なく一定の値になります。別の表現をすると、定電流回路は決められたIEになるように、自身の端子電圧=Q1、Q2のエミッタ電圧VEを増減してそれぞれのベース電流IB1、IB2を調整するような動作をします。具体的に書くと、IEが増加するとVEを上昇させてVBE1、VBE2を減少(IB1、IB2が減少)、IEが減少するとVEを下降させてVBE1、VBE2を増加(IB1、IB2が増加)させる事で一定値を保とうとします。
ここから先は話を簡単にするために、各トランジスタのhFEが充分に大きくベース電流IB1≒0、IB2≒0と見なす事ができるとします。IEが一定に保たれる事で、各トランジスタのコレクタ電流IC1、IC2の総和も、IEと同じ値になります。
図4においては、Vin+、Vin− 共に0V。つまりコモンモード電圧0V、ノーマルモード電圧も0Vの状態ですので、Q1、Q2がシリコントランジスタであればVE≈−0.6V、Q1とQ2はエミッタが同じ定電流源に接続されているのでVBE1=VBE2。かつ全く同じ特性なのでIB1=IB2となり、
(式3-1)
となります。この時の出力電圧は+電源VCCの値から、R1、R2の電圧降下分を引いた値で、
(式3-2)
(式3-3)
となります。先に述べた通りR1=R2なので、VC1=VC2すなわちコモンモード電圧VOFFSETがVC1(=VC2)[V]、ノーマルモード電圧(差動電圧)VOUTが0[V]となります。
(2) Vin+=+V、Vin-=0Vのとき
Vin+端子に+V[V]、Vin−端子に0[V]の入力電圧が加わった時の回路各部の電圧・電流は図5のようになります。
図5ではコモンモード電圧=0[V]、ノーマルモード電圧Vin=+V[V]の状態ですので、Q1のベース電流IB1が増加しようとします。定電流源を負荷抵抗と見なすとQ1のエミッタ側は所謂エミッタフォロワ回路的な動作をするので、エミッタ電圧VEはIB1の増加に伴い、
(式3-4)
付近まで上昇します。「付近」と書いたのは、Q1のエミッタにはQ2のエミッタも接続され、かつ定電流回路が接続されている為です。VEが(+V−0.6)[V]まで上昇するということは、等価的にQ2のベースに−V[V]の電圧が印加された事になるため、VBE2は減少し、IB2も減少してIC2は減少します。さらにエミッタの定電流源がIEの値(=IC1+IC2)を一定値に維持しようとするので、最終的に
(式3-5)
(式3-6)
となります※4。結果、VOFFSETを基準電圧(コモンモード電圧)として、VC1が-、VC2が+の電圧を出力します。
(3) Vin+=−V、Vin-=0Vのとき
Vin+端子に−V[V]、Vin−端子に0[V]の入力電圧が加わった時の回路各部の電圧・電流は図6のようになります。
図6ではコモンモード電圧=0V、ノーマルモード電圧Vin=−V[V]の状態ですので、Q1のベース電流IB1が減少しようとします。Q1のエミッタ電圧は0V以下に下がろうとしますが、Q2のベース電圧が0Vなので、エミッタ電圧VEはQ2の電位に縛られ、
(式3-7)
付近から大きく変化しません。但しエミッタの定電流源がIEの値(=IC1+IC2)を一定値に維持しようとするので、IC2を上昇させるために−0.6Vより少し下がったところに落ち着き、コレクタ電圧は
(式3-8)
(式3-9)
となります※4。結果、VOFFSETを基準電圧(コモンモード電圧)として、VC1が+、VC2が-の電圧を出力します。
(4) Vin+=0V、Vin-=+Vのとき
Vin+端子に0[V]、Vin−端子に+V[V]の入力電圧が加わった時の回路各部の電圧・電流は図7のようになります。
図7は(2)の時とQ1とQ2の電圧・電流関係が逆になるパターンでありVEは
(式3-10)
VC1とVC2は
(式3-11)
(式3-12)
となります※4。結果、VOFFSETを基準電圧(コモンモード電圧)として、VC1が-、VC2が+の電圧を出力することとなり、VEの値は異なりますがVC1とVC2は(3)と同じ結果になります。
(5) Vin+=0V、Vin-=−Vのとき
Vin+端子に0[V]、Vin−端子に−V[V]の入力電圧が加わった時の回路各部の電圧・電流は図8のようになります。
図8は(4)の時とQ1とQ2の電圧・電流関係が逆になるパターンでありVEは
(式3-13)
VC1とVC2は
(式3-14)
(式3-15)
となります※4。結果、VOFFSETを基準電圧(コモンモード電圧)として、VC1が-、VC2が+の電圧を出力することとなり、VEの値は異なりますがVC1とVC2は(2)と同じ結果になります。
(6) Vin+=Vin-=+Vのとき
最後にVin+端子に+V[V]、Vin−端子に+V[V]の入力電圧が加わった時の回路各部の電圧・電流は図9のようになります。
図9においては、Vin+、Vin−共に+V[V]、つまりコモンモード電圧+V[V]、ノーマルモード電圧は0Vの状態ですので、VE≈+V−0.6Vまで上昇しますが、IEは定電流回路の動作で(1)と同じになります。Q1とQ2は全く同じ特性なので
(式3-16)
となります。この時の出力電圧は+電源VCCの値から、R1、R2の電圧降下分を弾いた値で、
(式3-17)
(式3-18)
となります。入力のコモンモード電圧の大きさには関係なく、出力のコモンモード電圧はVC1(=VC2)、ノーマルモード電圧(差動電圧)は0Vとなります。
以上、ご説明した事を整理すると、差動増幅器(エミッタの回路を共通にした2つの増幅器ペア)の動作は表1のようになります。
表1 差動増幅回路の入出力電圧の関係※4
本表から以下の事がお解り頂けると思います。
①差動増幅回路の出力はVin+、Vin−の差電圧(Vin+−Vin_)のみで決まり、Vin+、Vin−の絶対値には影響されない。
②片方の入力が0V(GNDに接続)になっていたとしても、VOUT+、VOUT-は両方が対称に変化する。
③Vin+、Vin−に同じ値の電圧が印加されても、出力のオフセット電圧VOFFSETは変化しない。
これら通常の増幅器と異なる特徴的な動作は、Q1、Q2のエミッタを接続して共通回路にすることで実現しています。なお、ここまでの解説は全てQ1とQ2が「全く同じ」特性で動作することを前提としています。「全く同じ」とは特性が完全に一致しており、かつ温度・湿度などの動作環境条件が全く同じと見なせる状態を示します。この条件を満足するには同じ型名のトランジスタを持ってきただけでは不十分で、同一シリコンウェハ上で、かつその成分構成が完全に同一と見なせる極狭い領域に形成されたトランジスタを環境条件が同一と見なせる極狭い空間で使用する必要があります。この条件を満足しているのはモノリシックICのチップ上のみであり、基本的にICの内部回路で構成することにより威力を発揮する回路といえます。
今月は差動増幅の動作を説明するだけで力尽きてしまいました。次回は差動増幅を実現する為のもう一つの要素回路「カレントミラー回路」について解説し、その後、ギルバートセルに戻りたいと考えます。
※1: バリー・ギルバート博士については下記URLを参照
バリー・ギルバート Wikipedia
バリー・ギルバート(BARRIE GILBERT)、全米技術アカデミー会員に選出 | アナログ・デバイセズ (analog.com)
※2: (+A)×(+B)、 (+A)×(-B)、 (-A)×(+B)、 (-A)×(-B)の全ての組み合わせの乗算を示す。
※3: コモンモード/ノーマルモードについては、「Mr. Smithとインピーダンスマッチングの話【第39話】 アンテナと空間のインピーダンス(その6 平衡と不平衡(その2))」で解説しています。
※4: 本稿ではIC1、IC2に関する各計算式において、「ΔIB1」、「ΔIB2」を図4の状態におけるIB1、IB2との差分を示す記号として使用しています。また図5~図8中でIC1、IC2を導出する計算式はΔIB〇を使用していますが、本文中の計算式(式3-5、3-6、3-8、3-9、3-10、3-12、3-14、3-15、ならびに表1の計算式)では電流の増減(=VCの減増)を判りやすくする為に、ΔIB〇(〇は1、または2)の絶対値|ΔIB〇|を用いています。ΔIB〇で表現した式ではIC〇の増減分を示す項の極性符号は代入したIB〇が相手のトランジスタの値の場合に(-)で自身の値の場合は(+)、|ΔIB〇|で表現した式ではIB〇が図4の状態におけるIB〇より増える場合に(+)、減る場合に(-)になります。
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2016.10.17
FB Girlsが行く!!~元気娘がアマチュア無線を体験~/<第3話>元気娘、秋の休日を楽しむ!!(前編)!、【新連載】What a tasty time! ~グルメYLたちのGirl'sトーク♥~/第1回 FB GirlsのプライベートQSO with 土瓶蒸しのリゾットを掲載しました
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次号は 12月 1日(木) に公開予定
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