2015年5月号
連載記事
熊野古道みちくさ記
熱田親憙
第10回 西日を受けて神幸船は走る
10月15,16日の二日間、熊野三山の一つ熊野速玉大社の例大祭が執り行われた。初日は神馬による陸渡御祭、二日目は神輿による船渡御祭。ともに五穀豊穣を祝う秋祭りで、神輿を囲んで氏子や住民と共に喜び合う祭りである。例大祭のメインは二日目の午後の船渡御祭である。午前中は熊野速玉大社の摂社である神倉神社の神倉山に登った。登り口の鳥居前では、早くも神幸船を引く諸手船に乗る氏子の人たちの参拝で賑わっていた。
登る参詣者に促されて私たちもゆっくりと登り始めた。急勾配の石段半ばで登り口に書かれた「無理しないで!」の立て看板を思い知った。30分ほど登ると、木々からの風はひんやりし、汗ばんだ身体が清められる感じがした。
鳥居を潜ると間もなく眼前がひらけ、神倉山の頂上に到着。巨岩のゴトブキ岩が被さるように迫ってきた。磐座信仰の原点である巨岩を御神体にした神倉神社がその岩陰に鎮座していた。神話時代に聖武天皇が東征の際ここに立ち寄り、力を得て熊野・大和を制圧したという伝承がある。また熊野権現の神々が最初に降臨したところだと言う熊野信仰が一般的だ。まさに速玉大社の奥ノ院といった感じ。
平安時代以降は修験者の修行の場にもなった。神倉神社の拝殿に立つと、背後の巨岩の存在に超人間的エネルギーを感じ、神の存在を思うのは昔も今も変わらない。また、眼下に熊野川や熊野灘が一望でき、豊かな自然の恵みに感謝せずにはおれない場所である。この神倉山は磐座信仰、熊野権現信仰の起源であろうことも頷ける。
午後2時、熊野速玉大社へ急ぐ。大社本殿から遷った熊野大夫須美大神の神輿は新宮市内を巡回し、表通りは賑わう。午後4時すぎ、熊野川大橋の麓の河原に到着し、神霊が神幸船の神輿に乗り遷す神事を待つ。儀式を見守る土地の人が大橋を指して、2011年の大洪水ではあの橋脚を越したと教えてくれた。
神幸船を引く諸手船では、女装の男性が一人おり、どうして女装をしているのかと尋ねると、昔、巫婆(みこばば)という女性が乗ってハリハリ舞を奉納したが、今は女装の男性がやるようになり、今日は私がその役を務めるという。神霊を神幸船に遷す神事が終わると、川下の方から掛け声と水しぶきをあげた9隻の早船が一斉にスタートを切り、1.6km先の御船島に向かってレースを展開。白い鉢巻きにさらし姿の半裸の男衆11人が力いっぱい櫂を漕ぐさまは、五穀豊穣の喜びを爆発させているようであった。早船に続く諸手船上では巫婆が舞いながら御船島を2周。神輿は西日を受けながら上陸して、川岸にある「杉の仮宮」に向かい大祭は終った。
例大祭の2日間は神社と住民が一体となった祭りであり、陸渡御祭の「静」と船渡御祭の「動」が重なって心を沸かせた祭りであった。熊野速玉大社の祭りと神倉神社のご神体を思うと信仰の原点をみた感じがした。
スケッチ 新宮市新宮(熊野川大橋付近)
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