2015年10月号
連載記事
熊野古道みちくさ記
熱田親憙
第17回 阪堺電車で安倍王子神社へ
大地震でネパールにボランテイア出張中の娘のことを気に掛けながら、早朝の天王寺から阪堺電気軌道上町線に沿って熊野街道を訪ねることにした。ちんちん電車に乗って先ず二つめの駅「まつむし」で下車し、駅前の喫茶店に立ち寄り、店主に風情ある駅名「まつむし」のルーツを尋ねると、熊野街道と交差する松虫通りの「松虫塚」に案内して下さった。
この塚は、ここを通った旅人が松虫の声に聴き入り命が絶えたことを憐れんで供養のために建てられたという。神木の元に何本かの石塚が立ち並び、地元の方に尊崇されていたようだ。また他の言い伝えによると、後鳥羽上皇に仕えた松虫、鈴虫の姉妹官女が出家し、この地に松虫の局が来て草庵を結んだとある。多分、熊野への旅人もこの地で虫の音色に道中の疲れを癒したことであろう。住宅になった今もこの地名が残されていることは素晴らしい。
ちんちん電車の音を右手に聞きながら、街道筋らしい裏道を取って、東天下茶屋駅近くの安倍王子神社に到着。当神社の前身・安倍社は阿倍野の豪族・安倍氏が氏神として建立。一度衰微したが、熊野詣が盛んになり熊野権現を合祀して熊野の王子社となった。大阪府下で唯一現存する王子社である。境内には楠の大きな神木が3本あり、厳かな雰囲気に包まれる。安倍晴明神社とは親子の関係である葛之葉稲荷神社も祀られており、正門前には商店街も賑わっていた。
熊野街道を少し戻り、陰陽師で有名になった安倍晴明神社に向かった。比較的低い鳥居をくぐり、境内の晴明公誕生地表示石碑、産湯井の跡、葛之葉姫図、晴明公銅像を見学した後、本殿に向かって、安倍晴明と対峙した。
晴明公(921~1005)の父はこの阿倍野区阿倍野の出身で、「葛の葉伝説」によると母は信太の森の狐であったという。幼い頃より霊感の強い子で、陰陽道の師・賀茂忠行に見込まれ、陰陽家として順調に出世し、天文博士になり従四位下に昇級。天体を見てあらゆることを占い、花山天皇の退位を予知したり、大江山の鬼退治を指導した事などで有名である。
現代では、陰陽師というと町の占い師のようなイメージをもつが、古代日本では重要な政府の官僚で、政治に必要な暦や天変地異の予測を学問的にまとめて情報提供する技官でもあった。今は天気を気象衛星で予測する時代となったが、陰陽師は今の気象庁長官というところであろう。現代では9月1日を「防災の日」と設定し、天災を最小限に食い止める努力がなされている。災害は忘れたころにやって来るというが、3.11の東日本大震災の福島のような人為的災害が二度とないように廃絶に努力したいものである。
もう10年以上前になるが、晴明公の活躍を描いた狂言師・野村萬斎主演の「陰陽師」が放映された後、安倍晴明神社は若者で溢れかえったが、今でも土日は結構賑わっている。社務所内では占いコーナーも毎日開かれており、陰陽道は私たちの生活にしっかりと根付き、生きている。
スケッチ 松虫塚(大阪市阿倍野区松虫通り1丁目)
熊野古道みちくさ記 バックナンバー
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- 第30回 湯川王子社
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- 第28回 山口王子跡から山口神社
- 第27回 波太神社の秋祭り
- 第26回 大阪最後の宿場町へ
- 第25回 タオルの町・泉佐野市へ
- 第24回 和泉式部と行基の伝承地
- 第23回 木綿の産地だった泉大津市
- 第22回 備長炭の魅力
- 第21回 日高川最後の筏師
- 第20回 中将姫会式にこども菩薩
- 第19回 和泉国で街道は太く
- 第18回 住吉神社から方違神社へ
- 第17回 阪堺電車で安倍王子神社へ
- 第16回 上町台地に残る熊野街道(天満橋~天王寺)
- 第15回 淀川下って渡辺津(八軒家浜)へ
- 第14回 熊野詣の起点・城南宮
- 第13回 春一番、男の祭だ!お燈まつり
- 第12回 美味追及するみかん農家
- 第11回 大辺路の遺産登録の夢を追う
- 第10回 西日を受けて神幸船は走る
- 第9回 いい塩梅に干し上がった南高梅
- 第8回 熊野のミツバチに魅せられた男
- 第7回 伏拝に生かされて80年
- 第6回 熊野を思う森の護り人
- 第5回 那智の火祭との出会い
- 第4回 今年も那智の火祭りへ
- 第3回 湯登神事と宮渡神事に神の予感
- 第2回 まずは大斎原(おおゆのはら)へ
- 第1回 アンテナの見える丘