2015年8月号

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連載記事

熊野古道みちくさ記


熱田親憙

第15回 淀川下って渡辺津(八軒家浜)へ

いにしえの皇族や公家達と当時の庶民がいかに淀川下りの旅を楽しんだかを偲んで、淀川に沿う京街道を歩いてみた。

熊野詣を決意した白河上皇・鳥羽上皇などの一行は、鳥羽離宮・城南宮傍の鴨川から乗船し、桂川に合流して一安堵したところで、木津川、宇治川、桂川の三川合流点から見える石清水八幡宮に旅の安全を祈願した。京阪・八幡市駅を下車して、今、この合流点手前の背割堤に立ち、桜並木の合間から比叡山延暦寺と共に都の守護の社である八幡宮を仰ぎみると、こんもりした美しさを漂わしている。淀川合流点を5キロほど下ると高槻寄りに鵜殿のヨシの群生地があり、野鳥の群れに触れて、旅の解放感に浸れたことであろう。今でも淀川のヨシは茎が太く雅楽器・篳篥の吹き口(リード)に適し、宮内庁御用達となっている。

更に淀川を6キロほど下ると、くらわんか船で繁昌した、三十石船の船着き場を持つ枚方宿がある。江戸時代に京街道屈指の賑わいを集めた宿場町であった。

京阪・枚方公園駅で降りて枚方宿鍵屋資料館を訪ねると、その賑わいを思わす多くの資料が残っている。三十石船に近寄って飲食を売るくらわんか舟の暴言ぶり。徳川将軍が変わる度に訪れる朝鮮大使節団や琉球使節団を、「川御座船」で淀川を遡る一大イベント。そのために近隣28村から人足を募った大掛かりさ。威光を大阪人に示すため、参勤交代で江戸に向かう紀州藩の大名行列が枚方宿に泊る騒ぎ。吉宗が注文した象を江戸まで運ぶのに、枚方宿に象小屋を別に作ったゾウ行列の話など、京に上がる通行シーンが詰まっていた。参詣者の三十石船も枚方宿は通過点であった。今では五十六番目の宿場に因んで五六市が開かれ、知る人ぞ知る賑わいである。

淀川を下る御行幸は、川幅が段々太くなってくるにつれて解放感に満ち、この自然空間は約半日の船旅を癒してくれたことだろう。

淀川の最終の船着き場は渡辺津。現代の京阪・天満橋駅を下りてすぐの大川(旧淀川)に架かる天神橋付近である。三十石船の当時は八軒家浜の雁木(天神橋の東隣)に上陸したようだ。天満橋に残る創業明治6年(1873年)の永田屋昆布本店(土佐堀通り)を訪ねると、この辺りに旅館が八軒あり、船客で大変なにぎわいだったとのこと。また、八軒の船宿では、正に陸路と水路の出会いの場としていろいろな人生が展開されたようだ。今は水上バス・アクアライナーの八軒家浜船着場となって、大阪観光に一役かっている。

船上から見るレトロな中央公会堂や赤レンガの造幣局などの建築物が緑の木々に映えて、地上では味わえない観光スポットである。時には夜桜見物、夕涼みコースは都会のオアシスになっている。大阪を訪ねた時は是非乗船されるといい。淀川は風水害の度に形を変えつつも、熊野詣で水運が高まり、近代化するにつれて公的輸送経路となり、明治以降は大阪市上水道の水源機能として、人が生きる為に大きな役割を果たしてくれている。


スケッチ 天神橋から八軒家浜を望む(大阪市中央区)

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