2015年9月号
連載記事
熊野古道みちくさ記
熱田親憙
第16回 上町台地に残る熊野街道(天満橋~天王寺)
これから陸路熊野街道を読者の皆さんと私の描いたイラストマップを片手に歩きたいと思う。
淀川からの上陸地点・八軒家浜①を下船し、大阪城を背に土佐堀通りの永田屋昆布本店②を進むと、エルおおさかのビル手前の角に熊野街道の標識をみる。その先を左折して骨屋町筋の坂を上ると、坐摩神社行宮③の石柱があり、境内奥に旧窪津王子跡とあった。藤原定家の明月記によると、上皇・公家たちの一行は申の刻(午後4時ごろ)に窪津に着き、御奉幣(神に絹や貢物を捧げること)、御拝二度、お経供養、里神楽などの見物とある。窪津王子は渡辺王子ともいい、渡辺津にあった坐摩神社の跡地に当たる。現在、坐摩神社は南御堂さんの隣にあり、広い境内を持つ。渡邊宮司はせんば鎮守の杜芸術祭に屋外ステージを提供し、オぺラ、コンサートなどの振興に貢献されている。
次に南大江公園⑧の西側隅に進むと、伝承地坂口王子跡の表示板を確認。50㍍先の自転車店の角を左折して、安堂寺町通りに入る。100mほどで右折すると、どん突きに赤い鳥居と高い榎木(実はエンジュ、樹齢670年)に囲まれた榎木大明神さん④が鎮座していた。なんとなく歴史街道の雰囲気を漂わしている。地元住民の手作りの栞によると、当地は上町台地にあり、紀州の熊野詣やお伊勢参りする街道筋で、この榎木が目安だったとある。明治以降、土地神として春に大祭が行われ、昭和20年(1945)の大阪大空襲の際、この大明神より東側一帯は類焼を免れ、以降、防災の神としても崇められている。この大明神は車では気づかない町の佇まいである。
安堂寺町通りから谷町6丁目の隧道・トンネルを跨いですぐ右折すると、「熊野街道」の石柱があり、長堀通り(301号線)を横切って森田写真館ビルから空堀商店通り東端のどん突きまで急な坂道を一気に登る。ビルの谷間に二軒長屋風で肩を寄せ合っている感じの民家が目に留まる。上町中学校⑨から谷町7丁目の大通りに出て右折すると間もなく、道路中央に大きな茂みの楠大明神⑤が現れる。昔から伐ったりすると商売にタタリがあると畏れられている。寺町と呼ばれる谷町筋沿いに近松門左衛門の墓⑥を参拝し、谷町筋一本東側の熊野街道に戻る。
ここから南に向かって一気に四天王寺の西門⑦へ。当時、太陽の沈む「西」の方角に極楽浄土があると信じられ、西大門は夕陽を拝する聖地として人気があった。鳥居をくぐると、極楽浄土に導かれるという「引導石」がある。南大門手前には熊野権現礼拝石が鎮座している。上皇・法皇や庶民も熊野に向かって、道中安全を祈ったという場所である。現代は弘法さんと太子さんの月命日に合わせて毎月骨董市が立つ。知人の七福神探しに同行し、探しモノと旧友に出会い、二重歓びされていたことを思い出す。四天王寺は昔も今も誰でも迎えてくれる心の拠り所として、歴史を重ねてきた大阪人・古人に心意気を感じ、今後も守らねばならない歴史の町と思った。
イラストマップ 八軒家浜から四天王寺 (大阪市)
熊野古道みちくさ記 バックナンバー
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- 第28回 山口王子跡から山口神社
- 第27回 波太神社の秋祭り
- 第26回 大阪最後の宿場町へ
- 第25回 タオルの町・泉佐野市へ
- 第24回 和泉式部と行基の伝承地
- 第23回 木綿の産地だった泉大津市
- 第22回 備長炭の魅力
- 第21回 日高川最後の筏師
- 第20回 中将姫会式にこども菩薩
- 第19回 和泉国で街道は太く
- 第18回 住吉神社から方違神社へ
- 第17回 阪堺電車で安倍王子神社へ
- 第16回 上町台地に残る熊野街道(天満橋~天王寺)
- 第15回 淀川下って渡辺津(八軒家浜)へ
- 第14回 熊野詣の起点・城南宮
- 第13回 春一番、男の祭だ!お燈まつり
- 第12回 美味追及するみかん農家
- 第11回 大辺路の遺産登録の夢を追う
- 第10回 西日を受けて神幸船は走る
- 第9回 いい塩梅に干し上がった南高梅
- 第8回 熊野のミツバチに魅せられた男
- 第7回 伏拝に生かされて80年
- 第6回 熊野を思う森の護り人
- 第5回 那智の火祭との出会い
- 第4回 今年も那智の火祭りへ
- 第3回 湯登神事と宮渡神事に神の予感
- 第2回 まずは大斎原(おおゆのはら)へ
- 第1回 アンテナの見える丘