2015年6月号
連載記事
熊野古道みちくさ記
熱田親憙
第12回 美味追及するみかん農家
紀伊本線の窓からみかん畑をみると、一面の梅林や桃の花を思い出し、紀伊・和歌山は、果樹の豊かな地域だと痛感する。一度みかんの実がたわわに生っている畑に入って豊かな気持ちを味わいたいと思っていた。11月下旬、有田市宮原町でみかん農家を営む生駒正剛さんのみかん畑をお訪ねする機会を得た。最も忙しい農繁期であるのに、快く案内をいただいた。
目指す畑は須谷地区にある傾斜地の中腹で、頂上には旧岩室城祉があり、裾野には有田川が悠然と流れていた。坂道になったら車を下りて歩くことを覚悟していたが、歩かずに済んだ。目的地に立つと、軽トラ一台分の幅の簡易舗装の農道が、麓から落差200mの頂上までの傾斜地にゆったりと延びており、遠景からは見えないファームの動脈になっているのに驚かされた。昔、収穫したみかんを運搬するモノレールはなかったから、畑もこんなところまで、開墾されなかったであろうと思わずにおれなかった。また、この傾斜が上昇気流で平地より温暖になり、水捌けもよく、日照時間も長くなるので、みかん栽培に適していることも理解できた。
傾斜地の中腹に岬のように突き出た畑の角に立つと、足元から続く段々畑は背丈ほどの石垣で固められて雛壇を作っていた。この石の産出は近くの山から採れて、水捌けの良い緑色片岩が多く、土砂崩れ防止だけでなく、太陽熱による保温効果、ミネネラル栄養の供給の役割も果たしているという。石垣の石組みもよく見ると畑によって特徴があり、各農家独自の工夫で組まれているとのこと。お家の地味な伝統文化だ。また、石垣に被さるように根元から敷かれたマルチシートは、雨水の流入を防ぎ、土壌を乾燥させるためだというが、意外に手間がかかるようだ。
燃えるような橙色のみかんに触れたくて木々に近づくと、不思議な木の姿を発見。背丈より高めの木に、上半分に実はなく、下半分だけに大きなみかんがたわわに実っていた。彼曰く「上半分は来年実ってもらうため、今年は御休みです」と摘果(間引き)の大切さを説いてくれた。みかんの木々に、健康と若さを持続させる思いやりは、農家としての安定生産と良質な美味を追及する、生産者の情熱と見た。主に温州みかんの早生を栽培しているが、甘味を豊富に蓄えたみかんに育てるために、12月まで完熟させて遅獲りするという。試しに実っているみかんを頂くと、普段食べているみかんより甘く、完熟を予告しているようだった。
夕闇が迫るころ、みかん畑を下りて自宅の作業場を訪ねると、選別機の下でご婦人たちが箱詰め作業に専念されていた。彼は奥さんの方を向いて済まなそうに「忙しくない時期はパートに行って貰っています」とぽつりとおっしゃった。言葉の奥に専業農家としての悩みを感じた。でも、5代目のみかん農家を息子に継がせたいという夢のある生駒さんには、消費者には分からない彼なりの苦労とともに生産の喜びがあることを感じさせられた。
スケッチ みかん畑(有田市宮原町須谷)
熊野古道みちくさ記 バックナンバー
- 第31回 「黒潮の基地」だった湯浅
- 第30回 湯川王子社
- 第29回 紀の川を渡る
- 第28回 山口王子跡から山口神社
- 第27回 波太神社の秋祭り
- 第26回 大阪最後の宿場町へ
- 第25回 タオルの町・泉佐野市へ
- 第24回 和泉式部と行基の伝承地
- 第23回 木綿の産地だった泉大津市
- 第22回 備長炭の魅力
- 第21回 日高川最後の筏師
- 第20回 中将姫会式にこども菩薩
- 第19回 和泉国で街道は太く
- 第18回 住吉神社から方違神社へ
- 第17回 阪堺電車で安倍王子神社へ
- 第16回 上町台地に残る熊野街道(天満橋~天王寺)
- 第15回 淀川下って渡辺津(八軒家浜)へ
- 第14回 熊野詣の起点・城南宮
- 第13回 春一番、男の祭だ!お燈まつり
- 第12回 美味追及するみかん農家
- 第11回 大辺路の遺産登録の夢を追う
- 第10回 西日を受けて神幸船は走る
- 第9回 いい塩梅に干し上がった南高梅
- 第8回 熊野のミツバチに魅せられた男
- 第7回 伏拝に生かされて80年
- 第6回 熊野を思う森の護り人
- 第5回 那智の火祭との出会い
- 第4回 今年も那智の火祭りへ
- 第3回 湯登神事と宮渡神事に神の予感
- 第2回 まずは大斎原(おおゆのはら)へ
- 第1回 アンテナの見える丘