2015年6月号
連載記事
熊野古道みちくさ記
熱田親憙
第11回 大辺路の遺産登録の夢を追う
熊野三山への古道に大辺路ルートがある。紀伊田辺市から海岸線に沿って串本町を経由する約90kmの道のりである。その道草を食うところが串本町大島のトルコ記念館とその周辺となった。ガイドを地元出身の上野一夫さんにお願いした。帰り際、上野さんに促されて、ご自宅の応接間に通された。開口一番「実は熊野古道・大辺路の復興のために、古道の刈り開きや、道標整備、清掃作業などの保全活動を、大辺路地域有志と一緒になって取り組んでいるんですよ」のお言葉。
狙いは紀南文化財の再発見と『史跡』『文化遺産』登録で、任意団体名は『熊野古道大辺路刈り開き隊』という。具体的な活動内容を写真帳やスクラップを前に説明していただいた。
「2011年、大辺路の一部・新田平見道(串本町)の整備作業の時、土や落ち葉に埋もれているところをみんなで堀り進めたら石畳が現れた。あの時の感動はいまだに忘れません。」と紅潮したお顔。眠っていた文化遺産が甦った訳ですから、その時は感激一入だったと思う。その作業に携わったメンバーは、大辺路を一本につなげようと刈り開き隊の結成を決意された。その背景は2004年の世界遺産登録に遡り、中辺路、大辺路の一部は登録されていたが、大部分の大辺路ルートは未調査だったのが残念でならなかったからだ。
刈り開き隊の活動で大辺路ルートを一本につなげることができ、活動の矛先は世界遺産追加指定に向けた動きへと絞られるとともに、古座街道(上富田~串本古座)80kmの整備と古座街道イラストマップ作成という事業も成し遂げた。2011年春から2013年11月にかけて、「古座川やどやの会」「田辺アルコウ会」「熊野三十六峰の会」すさみ町住民有志、串本古座高校生徒のネットワークで達成したのだから、まさに街づくり・歴史づくりオーケストラを指揮したと言えよう。
つなげた古道をみんなで歩いてみようと古座街道ウオークを計画し、月2回のペースで8回に分けて、全行程約80kmの踏破を2014年の7月に完遂。参加者は延人数で150名、「先人の苦労に思いを馳せることが出来た」「自然が残っている」「見どころが沢山あった」など、さまざまな感動を述べられていたという。こう説明された上野さんの目は興奮から誇りに変わっていた。
これからも大変ですねと将来に水を向けると、「石畳の整備、倒木処理、路面整備、雑草刈り等、保全がこれからも大変です。でも、みんなで刈り開いてきた古道が世界遺産に追加されることが私たち隊員の願いですから、頑張れますよ。そして2014年8月に紀伊半島南部が日本ジオパークに認定されたことで、古道をジオサイトの面からもPRしていきたい。」と結んでくれた。
石畳の発掘作業は文化の再生産であり、古道の保全は文化の維持であり、だれでもできるものではない。上野さんをはじめ大辺路刈り開き隊の皆さんと連携するボランティアグループに最敬礼である。
スケッチ 東牟婁郡串本町(JR田子駅付近)
熊野古道みちくさ記 バックナンバー
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- 第26回 大阪最後の宿場町へ
- 第25回 タオルの町・泉佐野市へ
- 第24回 和泉式部と行基の伝承地
- 第23回 木綿の産地だった泉大津市
- 第22回 備長炭の魅力
- 第21回 日高川最後の筏師
- 第20回 中将姫会式にこども菩薩
- 第19回 和泉国で街道は太く
- 第18回 住吉神社から方違神社へ
- 第17回 阪堺電車で安倍王子神社へ
- 第16回 上町台地に残る熊野街道(天満橋~天王寺)
- 第15回 淀川下って渡辺津(八軒家浜)へ
- 第14回 熊野詣の起点・城南宮
- 第13回 春一番、男の祭だ!お燈まつり
- 第12回 美味追及するみかん農家
- 第11回 大辺路の遺産登録の夢を追う
- 第10回 西日を受けて神幸船は走る
- 第9回 いい塩梅に干し上がった南高梅
- 第8回 熊野のミツバチに魅せられた男
- 第7回 伏拝に生かされて80年
- 第6回 熊野を思う森の護り人
- 第5回 那智の火祭との出会い
- 第4回 今年も那智の火祭りへ
- 第3回 湯登神事と宮渡神事に神の予感
- 第2回 まずは大斎原(おおゆのはら)へ
- 第1回 アンテナの見える丘