2015年5月号
連載記事
海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~
JA3AER 荒川泰蔵
その26 肩身の狭い海外運用 1984年 (2)
肩身の狭い海外運用
既に掲載した海外運用経験者の多くが肩身の狭い思いをしている。それは相互運用協定が無いのを理由に日本で免許を認めていない国々でも、日本人に厚意で運用させてくれる国があることによる。この不平等を是正せねばならないと感じるからだ。また日本の免許制度が、時代の要請に応えていない、すなわち、包括免許を含めた海外の柔軟な免許制度に追いついていないことにもよる。朗報としては、今般JARLにCEPT検討の分科会が出来たという情報である。2020年のオリンピック/パラリンピックとの絡みがあるのかも知れないが、是非この機会に日本の免許制度の課題を洗い出し、国際水準にまで引き上げ、また時代の要請に応える方策を見出して提言されることを期待したい。
1984年 (ヨルダン JY9SY)
JA1SNA山口真氏はヨルダンでJY9SYの免許を得て運用したとレポートを寄せてくれた。「免許については規定の申請用紙に、1. JAの従免英文版、2. JAの局免許、3. パスポートのコピー、4. JARL発行JA資格についての記述文、を添えてThe Royal Jordanian Radio Amateur Societyに提出し、手数料を払うと約1~2カ月で免許される(写真1)。私の場合はJAの2級の内容が、従免英文版に記載されていない為、上記4.の資格説明が必要だった。1級なら問題ないはずです。JAに正式免許をするのは初めてだそうで、約1カ月後に申請したJA3の局は、私の資料提出により、私と一緒に免許となりました(以前JA3の局がライセンスを取ったはずだが・・・)。運用については、7階建てのホテルの屋上に7~14のワイヤーDPをはり、持ち込んだIC-740にて運用した。ヨーロッパのパイルアップがはげしく、JAとは約10局のみにとどまった。ヨーロッパでもDL以北とはCONDXが悪く、特にこれらの局をPick Upし、約300QSOした。(1987年6月記)」。他にThe Royal Jordanian Radio Amateur SocietyのRules and Regulationsの一部(写真2)や、JYライセンス取得補足文書を送ってくれた。
写真1. (左)JY9SY山口真氏の免許状表紙と、(右)英語とアラビア語が併記の同氏の免許状。
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写真2. The Royal Jordanian Radio Amateur SocietyのRules and Regulationsの一部。
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1984年 (クウェート 9K2AR)
JR3XMG梅本雅生氏 (写真3)はクエートで9K2ARをゲストオペした経験をレポートしてくれた。「1984年4月に長期出張として9K2へ赴任しました。10年前一度QSOし、カードをもらっていました9K2ARモハメッド氏に9K2入りしてから手紙を出したところ、TelにてBKあり、早速アイボールQSOをし、そしてシャックに案内されました。彼はクウェート5大ファミリーの一つで、親類に各バンドにアクティブな9K2DZがおり、彼アブドル氏宅へも9K2ARの紹介で訪問し、QRVしたこともあります。9K2では、個人免許等はクウェート人でさえ、最近は与えられておらず、2nd Opのみ可能で、私の滞在は仕事の都合で3ケ月になってしまい、落ち着いてQRVできませんでしたが、彼(9K2AR)のシャックより、度々QRVさせてもらいました。9K2にはハムショップもあり、リグ等の手配は心配ありません。ハムショップは9K2BMバハバハー氏で、彼は30mHのパンザに、7MHz~28MHzの八木アンテナをスタックで上げて、パンザごと回転させています。日本人は2千人以上住んでいますので、日本人会の活動も活発なようです。もし9K2へ滞在されるなら、以前QSOした局をたよって、2nd OpでQRVなさって下さい。(1985年6月記)」
写真3. JY9MG局にてJR3XMG梅本雅生氏(1985)。
1984年 (西マレーシア 9M0SEA)
故JA3UB三好二郎氏は、「1984年11月、ペナンで開かれた第14回SEANETコンベンションに参加し、特別局9M0SEAを運用する機会を得ました。(1987年5月記)」と、写真とQSLカードを送ってくれた(写真4 & 5)。
写真4. (左)SEANETコンベンションでの会議風景。(右)9M0SEAの オスカー10運用局。
写真5. (左)9M0SEAを運用するJA3UB三好二郎氏と、(右)9M0SEAのQSLカード。
1984年 (シンガポール 9V1WE)
JH1FNS太田政俊氏 (写真6)は、シンガポールで開局した経験をアンケートで寄せてくれた。「商用(日本電気)で滞在する機会を得、現地で知り合った9V1VQ平山さん、客先(TELCOMS)のエンジニアMr. Koh 両氏に身元保証人をお願いし、入国3ヶ月以後(3ヶ月以内では受付けられない)免許申請。2ヶ月後正式免許(写真7)。局の検査は、送信出力、アンテナ設置場所確認、TVI (Iが出ると免許は発給されない)リグはゼネカバのものは不可(例: FT-101, TS-130, TS-830タイプは可。シンセサイザータイプは不可)送信出力は100Wまで。珍局中に入る9Vですので、一度QRVするとなかなかQRTができない。交信局数約1900、カントリー数50ヶ国。2m, 70cm帯はスポット周波数許可(写真8)で、2m帯では他のチャネルはタクシー会社、一般簡易無線に使用されている。(1985年4月記)」
写真6. (左)9V1WE太田政俊氏のシャックと、(右)9V1WEが併記されたJH1FNS太田政俊氏のQSLカード。
写真7. 9V1WE太田政俊氏の免許状の表と裏。(クリックで拡大)
写真8. Singapore Amateur Radio Transmitting Society (SARTS)のミーティング案内に、VHFとUHFに許可されたスポット周波数が記されている。 (クリックで拡大)
1984年 (中国 BY1PK, BY1QH, BY4AA, BY5RA, BT5RA, BY8AA, BT8CD)
JA1BK溝口皖司氏からは、「1983年11月3日から5日まで北京での運用をはじめ、1984年3月までに中国からは5回ほどQRVしたが、本格的な外国人運用の最初のCWとSSBの両方の運用をしている。両方のQRVとも、かなりのパイルがあった。(1986年4月記)」、とレポートを頂き、既に1983年の記事で紹介済みだが、1984年にはBY4AAとBY8AA (写真9)からQRVしておられる。
写真9. JA1BK溝口皖司氏が運用したBY4AAとBY8AAのQSLカード。
JA1UT林義雄氏は中国福州にて、日中間の7つの新しい記録が生まれたとレポートしてくれた。「BT5RAは暫定運用局、BY5RAは常設局であるが、福建省体育協会並びに福州市人民政府のご要望により、1984年8月日本人有志及び中国華僑、自 成さんが局設備一式を寄贈し、また日本人有志により中国人オペレーターの学習を行ったもの(写真10)。中国からの初運用として50MHz帯, 1.9MHz帯, FAX, RTTY 並びに3.5MHz帯CW, 28MHz帯FM さらに144MHz帯CWとSSBによるBY-JAの直接波交信の7つの新しい記録が生まれた。(1986年6月記)」
写真10. JA1UT林義雄氏が運用したBY5RAとBT5RAのQSLカード。
JA4HCK馬場秀雄氏は団体で中国各市を訪問、ゲストオペの経験をレポートしてくれた。「1984年10月、JARL訪中団(日中測向競技会)として11名で参加。免許等はJARLが申請。上海、成都、北京とまわり、運用申請は上海に入ってから、希望者は先方の用紙にパスポートNo、職業、日本の免許等を記入。BYはCRSA局BY1PK, BY4AA, BY8AA (写真11)と清華大学ハムクラブBY1QHのゲストOP。BT8CDは成都で開催された第1回測向競技会を記念した特設局で大会期間中運用された。(1987年6月記)」
写真11. JA4HCK馬場秀雄氏が運用したBY1PK, BY4AA及びBY8AAのQSLカード。
1984年 (台湾 BV0JA, BV0YL)
JH1KRC渡辺美千明氏は台湾での運用について詳細なレポートを送ってくれた。「1983年、日本のDXグループThe DX Family Foundation (DXFF)の創立5周年記念のためにDXペディションを計画。当グループのメンバーでもある当時台湾唯一の常駐局BV2A, BV2B, Tim Chenに台湾での外国人運用の可否を問うたところ、近く許可される見通しとの返答を得た。同年9月、外国人として初めて正式運用許可を得てイタリーのI2MQP他が、同コールサイン/BV2として14, 21, 28MHz CW/SSBで運用。1984年2月、DXFFメンバーによる記念DXペディションの許可申請を同国交通部郵電司あて提出。同時に中国無線電協会(China Radio Association) あて、同申請書のコピー他を提出。具体的な現地側の調整を同会アマチュア無線主任委員であるTimに一任して運用許可を得た(写真12 & 13)。
(- 中略 -)
1984年6月8日、必要な機材を持参し空路台北入り。同日夜までにとりあえずHF帯のアンテナ設営を終え運用を開始した(写真14 & 15)。シャックは台北市内の国営高層アパート内にある警備会社の中央無線指令局の一室に設置され、24時間体制で運用が続けられた。高層アパートの屋上の広いスペースを自由に使ってアンテナを建設できたため、マルチ運用相互の障害はほとんど無かった。また、地上高も50m位あり、各バンドとも好条件で運用できた。ただし、144MHzでは日中は都市ノイズ、イグニッションノイズに悩まされた。6月初旬から中旬というCondx的にはあまり良くない時期だったが、合計16,320 QSO、91カントリーという成果を納めることができた。運用期間中、CRA会員諸氏のほか、通信関係者、当局担当者、TVや新聞などジャーナリズム記者が毎日のようにシャックを訪れていた。特にAO-10 (Bモード)を使った衛星通信は台湾では初めてのことであり、大変な注目をあびた。(1986年3月記)」
写真12. JH1KRC渡辺美千明氏宛の運用許可レター(英語)。(クリックで拡大)
写真13. JH1KRC渡辺美千明氏達へのBV0JAとBV0YLの免許状(中国語)。(クリックで拡大)
写真14. (左)BV0JAを運用する渡辺美千明氏のグループと、(右)BV0JAのQSLカード。
写真15. (左)BV0YLのQSLカード。(右)BV0YLとBV0JAのコンビネーションQSLカード。
海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~ バックナンバー
- その45 タイで第16回SEANETコンベンションを開催 1988年 (1)
- その44 CQ誌の「N2ATTのニューヨーク便り」 1987年 (6)
- その43 記事執筆を励まされるもの 1987年 (5)
- その42 相互運用協定の恩恵 1987年 (4)
- その41 海外運用の後方支援 1987年 (3)
- その40 CEPTその後 1987年 (2)
- その39 相互運用協定が拡大 1987年 (1)
- その38 当連載では日系人も紹介 1986年 (4)
- その37 国際平和年 1986年 (3)
- その36 大学のラジオクラブが活躍 1986年 (2)
- その35 多様な国々からQRV 1986年 (1)
- その34 日本人による海外運用の記録をCQ誌に連載開始 1985年 (7)
- その33 IARU第3地域国際会議 1985年 (6)
- その32 中近東地域へも進出 1985年 (5)
- その31 中国への支援や指導での友好関係が延々と今に続く 1985年 (4)
- その30 JLRSのYL達が活躍 1985年 (3)
- その29 国際連合創設40周年 1985年 (2)
- その28 米国で日本との相互協定による運用許可開始 1985年 (1)
- その27 アマチュア衛星通信が盛んに 1984年 (3)
- その26 肩身の狭い海外運用 1984年 (2)
- その25 免許状 1984年 (1)
- その24 FCC 1983年 (3)
- その23 CEPT 1983年 (2)
- その22 世界コミュニケーション年 1983年 (1)
- その21 ユニセフアマチュア無線クラブの活躍 1982年 (2)
- その20 米国で日本の経営や品質が見直された時代 1982年 (1)
- その19 青年海外協力隊員が海外運用でも活躍した時代 1981年 (2)
- その18 相互運用協定への聴問会が開かれる 1981年 (1)
- その17 日本人によるDXツアーが始まる 1980年 (2)
- その16 1980年代の概観 1980年(1)
- その15 国際クラブ・JANETクラブ発足 1979年
- その14 海外運用のグローバル化・筆者米国へ赴任 1978年
- その13 バンコクでSEANETコンベンション開催 1977年
- その12 国連無線クラブ局K2UNの活性化 1976年
- その11 米国で日本人にも免許 1975年
- その10 戦後初のマイナス成長 1974年
- その9 変動為替相場制に移行 1973年
- その8 企業の海外進出 1972年
- その7 初回SEANETコンベンション開催 1971年
- その6 大阪万博の年1970年
- その5 海外運用の黎明期(3)1969年
- その4 海外運用の黎明期(2)1968年
- その3 海外運用の黎明期(1)1965~1967年
- その2 20世紀後半の概観
- その1 プロローグ