2016年1月号

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連載記事

熊野古道みちくさ記


熱田親憙

第20回 中将姫会式にこども菩薩

熊野に通じる紀伊路には多くの物語が伝説として語られている。中でも姫物語として、得生寺の中将姫の物語は有名である。中将姫の命日・5月14日に「来迎会式」があると聞き、有田市糸我町の得生寺を訪ねた。得生寺縁起によると、746年、右大臣藤原豊成は、願い叶って中将姫を授かった。しかし、実母はまもなく亡くなり、後妻を迎えた。中将姫の才色兼備と上手な琴演奏を妬む継母は、姫14歳の時、家臣・伊藤春時に中将姫の殺害を命じる。

しかし命乞いもせず読経を続け、おだやかな中将姫を殺めることができず、春時は出家して得生と改名し、雲雀山に中将姫を匿う。姫は1000巻の写経を完成。16歳の時、当麻寺へ入って尼となる。

当麻曼荼羅を織り上げ、女性用の薬として中将湯をつくり、29歳のとき、25菩薩に迎えられて、生きたまま西方極楽浄土へ向かったといわれている。「中将姫会式」はこの様子を表現したお祭である。

得生寺周辺のみかん畑の木々には可憐な白い花をつけ、早くも青い実が付きだし、甘い香りを放っていた。近くには『定家のたどった熊野古道』展示した歴史民俗資料館や本朝最初のお稲荷さんと言われている糸我稲荷大神社があり、有田地区古跡の中心地の雰囲気を漂わせていた。

午後3時少し前、得生寺境内は菩薩行列が渡る回廊が準備され、露店には小学生や関係者で賑わっていた。露店前で飴を頬ばっている紫色の装束をつけた5,6年生の女の子たちに尋ねると「今日は、鈴を振りながら和讃を唱えて練り歩く役です」と屈託のない笑顔。

本堂で檀家の方たちにお抹茶とお菓子を振る舞われた後、午後3時半すぎ、太鼓、笙、笛の音に合わせて、開山堂から僧侶、紫装束の和讃、地蔵菩薩、お御輿、金色の25菩薩に扮した子供たち、当山の住職と僧侶たちが西日を受けて登場。浄土である本堂までの朱色の回廊を鈴の音に合わせて和讃を唱えながら練り歩く。回廊の足元では、僧侶が播く蓮の花を競って受ける親たちの姿が甲斐甲斐しく感じられた。

回廊を渡り終えた本堂では、中央祭壇には阿弥陀如来を背にもつ中将姫が鎮座し、前には25菩薩が座り、檀家の親たちや和讃の子供たちが左右の両側を固め、住職による読経が始まった。本堂が浄土の世界に変わった瞬間である。顔の倍ほどの菩薩面をつけた子供たちの菩薩姿は皆やさしく、良く見ると慈悲に満ちた眼、知的な瞳、笑みを浮かべた唇、徳を秘めた額などみな違って見え、菩薩の多様な人格と神々さを感じさせていた。

開山堂に戻った小学生たちは、やり通した遂行感に浸り、安堵の顔に戻っていた。見守る親の手によって菩薩面を脱ぐ子どもたちには、中将姫の徳が乗り移っているようだった。地域の親と子、檀家の方々が一丸となって開かれた暖かいお祭であった。これこそお寺が地域おこしに一役も二役も買っていることに、本来の信仰の姿をみたような気がした。こんな町が日本各地に増えれば、親子の悲惨な事件も無くなることだろう。


スケッチ 得生寺(有田市糸我町)

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