2016年6月号

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連載記事

熊野古道みちくさ記


熱田親憙

第25回 タオルの町・泉佐野市へ

泉州を更に南下してJR和泉橋本駅に下車。それから原宮遺跡を左手に見て踏切を渡り、イオン貝塚店~貝塚市南小学校~正福寺(鞍持王子)~丸山古墳~南近義神社(近木王子)~吉祥園寺~貝田会館(鶴原王子跡・泉佐野市)~加支多神社~南海・鶴原駅の約3キロの小栗街道(熊野街道)を歩いた。街道が今も町の生活道路として賑わい、町角には出番待ちの山車庫が構えて居り、その近くには立派な門構えの旧家が睨みを利かし、江戸から明治時代の雰囲気を感じさせた。

街道筋を少し入ったところには、廃業したタオル工場や現役の縫製工場などが見られ、温か味のある歴史の展示ブースを見ているようだった。本尊は海から貝に乗って出現したといわれれている11面観音像で有名な王子町の「吉祥園寺」は案内標識が見たらず、やっと辿り着いた。その吉祥天女像は余りに美しい女性のため、信濃国のある世俗の僧が愛を感じ、「結婚してください」の願を重ねていたある夜、夢の中で結ばれた奇異な縁が日本霊異記に伝えられているという。ふと、学生時代、当麻寺の弥勒菩薩の女性美に愛を感じた人の新聞記事を思い出し、重なった。

後鳥羽院熊野御幸記(1201年)にも「吉祥音寺」の記載があり、上皇は天女像をどう感じたのかと邪推しながら南海・鶴原駅に向かった。道路脇には、勢いよく流れている水路があり、田園都市・泉佐野市の心地よさを感じた。

泉州タオルのメッカ・大阪タオル工業組合を尋ねるために南海電車に乗って泉佐野駅で下車。専務理事・樫井学さんにお会いし、タオル産業の歴史と現況を伺った。

明治5年(1872年)、イギリスから初めてタオルが輸入され、襟巻きとして一部の人に愛用され始めた。明治18年(1885年)、大阪の舶来雑貨商・新井末吉がドイツ製タオルを入手し、佐野村(泉佐野市)の白木綿業者・里井団次郎にその製織の研究を勧めた。彼は明治20年(1887年)に筬(おさ)のテリーモーションを利用してパイルをつくる「打出機」を考案、タオル製機に成功。国内タオル産業の創始者となり、佐野村は日本タオル発祥の地となった。

その後、今治タオル(明治27年創始)が続き、日本タオル産業の発展に多大な貢献をしてきた。平成に入ると、中国を中心に輸入量が増加し、平成13年(2001年)には、国産と輸入が逆転し、国産の新しい方向が求められた。一定の工程で化学薬品を使用しないタオル「Green Towel Club」で差別化を図り、平成17年(2005年)に「泉州こだわりタオル」の商標登録をし、①優れた吸水性②おろしたてで使える③心地よい肌ざわりを地域ブランド戦略の三本柱にしていると、樫井専務は自信たっぷりに胸を張られた。国内産のもう一つの雄、今治タオルはギフト用がメインであるのに対し、泉州タオルは日本手ぬぐいがルーツとなる生活タオルである。親しみと信頼性をブランド戦略にどう結びつけるかが勝負と思い、ショウルームのタオルに今後の成功を願った。


スケッチ 吉祥園寺(貝塚市王寺町)

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