Mr. Smithとインピーダンスマッチングの話
第27話までのお話で、増幅器で取り扱う「雑音」とは何か、ならびに「雑音指数(NF)」の概念についてご理解頂けたかと思います。低雑音増幅器(LNA)とは雑音指数NFが特に小さくなるように設計された増幅器の事です。NFを小さくする為には、増幅器の入力回路をNFが小さくなる設計にする必要があります。具体的には入力整合回路の設計を「NFマッチ」と呼ばれる設計にします。第28話では、この「NFマッチ」についてご説明します。
トランジスタ(FETを含む)のNFはデバイス構造で一意に決まるものではなく、動作点(コレクタ電流/ドレイン電流)や信号源のインピーダンスで変化します。この特性を示すのが「ノイズパラメータ」です。ノイズパラメータはその使い方が単純な割に理論は少々難解なので、まずは結論からお話します。低雑音増幅器の設計に際しては、入力回路のインピーダンス整合をNFが最小となる条件(関係)にする必要があります。この整合設計をNFマッチと呼びます。
NFマッチを行うために必要なデバイスパラメータを「ノイズパラメータ」と呼び、通常デバイスメーカから提供されるのは以下に示す3種類のパラメータです。
①NF、またはFmin: そのデバイスの最小雑音指数[dB]
②ΓOPT: Fminとなる信号源インピーダンス
③Rn: 等価雑音抵抗[Ω]
上記以外にGn: 等価雑音コンダクタンス[S]という諸元もあるのですが、他のパラメータから導出できるため、デバイスメーカから提供されることはありません。察しの良い方はお判りになったのではないかと思いますが、「NFマッチ」とはデバイスから見た信号源インピーダンスがΓOPTになるようにインピーダンス変換する設計のことを示します。
ここで実際のデバイスのノイズパラメータの例として、これまで本連載の題材として取り上げてきた2SC3356のノイズパラメータをご紹介する予定だったのですが、2SC3356のデータシートにはNF(=Fmin)以外のノイズパラメータは掲載されていません。ノイズパラメータはSパラメータ同様、メーカのホームページからダウンロードできることになっているのですが、先日Renesasのホームページを見たところ2020年11月28日付けで整理されており(図1)、Sパラメータやノイズパラメータがダウンロードできなくなっていました。まだ流通しているのに・・・と思いつつもEOL品なので文句は言えません。
図1 困ったことに・・・
セカンドソースを供給しているメーカはデバイスパラメータまで提供していないようなので、代替になるデバイスを探しました。今回はオランダNXP社製のSiGeバイポーラNPNトランジスタBFU725/N1を題材としてご説明することにします。このトランジスタはDigi-key他で扱われており、\50程度で入手できるようです(図2)。SiGeデバイスだけあって低電圧動作で高周波特性が非常に優れており、MSGのグラフを見ても使いやすそうなトランジスタです。但しIc>10mAの領域では出力インピーダンスが負性抵抗を示しており、あまり出力を出そうとすると不安定になりそうです。
このトランジスタのデータシートとSパラメータ/ノイズパラメータは下記URLからそれぞれダウンロードすることが可能です。
【データシート】
https://www.nxp.com/docs/en/data-sheet/BFU725F_N1.pdf
図2 SiGe NPN低雑音トランジスタBFU725F/N1(NXP)
ここから先はBFU725Fを題材にして話を進めます。NXPのサイトから提供されたSパラメータ/ノイズパラメータのアーカイブファイルを開くと、実に多くの動作条件で取得されたパラメータファイルが含まれていました(図3)。日本のメーカが提供する設計データと比較すると、(たかだか数十円のデバイスなのに)正に至れり尽くせりで、日本メーカの凋落ぶりを肌で感じた気分です。このうちファイル名の末尾が"_N"となっているものに、ノイズパラメータが含まれています。
図3 ダウンロードしたSパラメータ/ノイズパラメータファイル(zipファイル)
ここではVCE=2V,IC=5mAを動作点に選ぶこととし、BFU725F_2V_5mA_S_N.s2pを使用して設計を進めます。図4は第10話でご紹介した手順でMicrosoft Excel®に読み込んだBFU725F_2V_5mA_S_N.s2pファイルです。
216行目以降がノイズパラメータで、C列がFmin、D列とE列がΓOPT(振幅と位相角)、F列が50ΩでノーマライズされたRnです。Sパラメータほど広帯域のデータは提供されていませんが、400MHz~16GHzまでのパラメータが提供されています。このトランジスタは信号源のインピーダンスがΓOPTの時、最も小さなNFになり、そのときのNFはFminとなる・・・というのがノイズパラメータの直接的に示す情報です。例えば420MHzにおいては、電源インピーダンスを反射係数で0.6∠3.27°(=198+j21Ω)にしたときに最もNFが小さい値になり、その大きさは0.38dBになるということを示しています。ではΓOPTとS11はどのような関係にあるのでしょうか。両者をMr.Smith※1にプロットした結果を図5に示します。表示方法はSパラメータを表示させる方法の応用なので、第10話を参考にしてください。
S11とΓOPTを比べると、周波数が上昇したときの軌跡の回転方向が逆になっています。これは図の右下に示す通り、S11がトランジスタ側の反射係数を観測・表記しているのに対してΓOPTは電源(信号源)側を観測・表記している為です。イメージを掴みやすくするために、図6にS11、ΓOPTに加えてΓOPTのConjugate(複素共役)マーカを表示させた図を示します。ΓOPT*(ΓOPTのConjugate)というのは実体の無い軌跡ですが、この軌跡を見るとNFマッチとは、このトランジスタの入力インピーダンスS11の軌跡の内側にNFが最小となるインピーダンス(整合対象)のようなもの(ΓOPT*)が存在していて、それと共役整合させる操作である・・・とも考えられます。
ではBFU725Fを用いて400~440MHz帯の低雑音増幅器(LNA)を設計してみましょう。入出力端子のインピーダンスはこれまでと同様50Ωで設計することとします。デバイスの動作点は冒頭で述べたとおりVCC=2V,IC=5mAとします。LNAの設計の基本は入力整合回路をNFマッチとし、出力整合回路は入力にΓOPTが接続されたときのS22’に対する共役整合となります。
(1)Mr.SmithでNFマッチを行う
入力回路を共役整合させるときの考え方は、第16話でご説明したとおり、トランジスタのS11(またはS11’)・・・負荷インピーダンスに相当を入力端子のインピーダンス・・・信号源インピーダンスに相当の複素共役に変換する(平たく言えばS11を50Ω(の複素共役)に変換する)でした。これに対してNFマッチは信号源インピーダンスをΓOPTに変換する・・・今回の場合は50ΩをΓOPTに変換するという設計になります。最初の手順はインピーダンス変換のゴールであるΓOPTをスミスチャート上にプロットする作業ですが、実際に整合設計を行うに際しては400MHzから16GHzまでのデータを全て読み込むとインピーダンス軌跡がぐるぐると尾を引いて見づらいので、図7に示す手順でS2Pファイルから400MHz・420MHz・440MHzの3ポイントのみ手打ちで0番マーカに設定しました。
次の手順は1番マーカに信号源インピーダンスZS(50Ω)を設定し、ここから中心周波数420MHzで先に設定した0番マーカの値に向かって変換してゆきます。設計結果の一例を図8に示します。
第27話で解説したとおり、入力のインピーダンス整合回路の損失は増幅器のNFを、その損失分だけ劣化させます。従って余程の事情が無い限り、NFマッチの回路はシンプルな構成を選ぶべきです。入力にはベースバイアス回路(図8のVBBと書かれた部分)が存在するのと、入力に直流が加えられた時の事を考慮して入力に結合キャパシタを挿入し1段のLow pass型の変換回路で構成しました。中心周波数においては、信号源インピーダンスは概ねΓOPTに変換できていますが帯域端では少々外れた結果になりました。
(2)出力整合回路の設計
入力側をNFマッチとしたときのトランジスタの出力インピーダンスは、入力にΓOPTが接続されたときのS22’となります。入力にΓOPTが接続されたときのS22’は、第17話の(式2-4)のΓS(信号源反射係数)にΓOPTを代入することで算出できます。第17話の最後に「第16話の図7、図8の計算に用いたExcelシート」と書かれたリンクからダウンロードできるExcelシートが参考になると思います。S22’が導出できたら、トランジスタ側が「信号源」、出力端子(50Ω)側が「負荷」となりますので、負荷(50Ω)を信号源(S22’)の複素共役に変換する設計を行います。
既に第16話で解説した内容の応用になりますので、ここでは省略します。
次に今設計したLNAの入力端子におけるインピーダンスがどうなったかを調べてみましょう。図8と同じ回路を、今度はトランジスタ側から入力端子に向かって辿り、インピーダンスの変化を調べてみます。結果を図9に示します。ΓOPTはあくまで「NFを最小にする信号源インピーダンス」であって、その複素共役ΓOPT*がトランジスタの入力インピーダンスを表している訳ではありません。実際には負荷インピーダンスも50Ωではなく共役整合を行っているので、第16話~第17話で解説したとおり非常に複雑なのですが、図9ではとりあえずS11をトランジスタの入力インピーダンスとして計算しました。この時の入力端子のインピーダンスは約5Ω、VSWRは10を超えています。NFを小悪いということは、入力の整合状態は悪くなるのです。
増幅器にとって入力の整合状態が悪いということは、発振リスクが高いということになります。今回は割愛しましたが、中和等の単方向化(S12をキャンセルする設計)が困難な場合は、NFマッチの前にΓOPTが入力側のスタビリティサークルの安定領域に入っている事を確認する必要があります。→第20話~第21話参照。また入力の整合状態が悪い、つまりリターンロスが大きいということは、増幅器の入力損失が大きい事と同じになるので、NFマッチを行った結果生じる入力損失の増加とNFマッチを採らない結果発生するNFの劣化が拮抗する場合はNFマッチを行う意味が無くなる場合があります。さらに(良くある話ですが)設計仕様として入力インピーダンス50Ω、VSWR≦2などの要求がある場合は、アイソレータなどの挿入が必要になってしまい、これまた損失増加でNFマッチを行う意義がなくなってしまう場合があります。
またNFマッチの設計は接続される信号源インピーダンスが実際に存在する事が前提なので、第24話、 第25話で述べたように、ここにフィルタなどの影像インピーダンスが接続されたりすると、相手方の回路も含め双方の特性が乱れる場合があります。
筆者も駆け出しの頃、NFマッチを行ってLNAを試作してみたものの、結局調整過程で50Ωに共役整合させてしまった経験があります。このようにLNAの設計の難しさはNFマッチで暴れる入力インピーダンスとどのように折り合いをつけるかというところにあります。
第28話では、デバイスのノイズパラメータについてご紹介し、その意味には深く触れずに、とりあえず「NFを最小にする”NFマッチ”とはどういうものか」について解説しました。要約すると以下の通りです。
(1) トランジスタやFET等のデバイスには、Sパラメータと別にノイズパラメータというものが存在する。
(2) 低雑音増幅器(LNA)を設計する際は入力のインピーダンス整合をNFマッチとする。
(3) NFマッチとは信号源インピーダンスをデバイスのΓOPTに変換する事である。
(4) 基本的にNFマッチを行うと入力のインピーダンス整合状態は悪くなる。
通常の増幅器とLNAでの設計方法の違いと難しさについてご理解頂けたのではないかと思います。実際にこの難しさを克服するための設計ノウハウについては、メーカ各社で色々な手法を講じているのですが、筆者の知る知識は当然筆者の勤務先のノウハウとなりますので、残念ながらご紹介することができません。とはいえ、この問題に折り合いをつけるための一般的な手法・・・例えば、NFマッチを採るのと共役整合を行うのとどちらが有利か等の判断を行うための一般的な手法はありますのでご紹介したいと思います。が、そのためには今回ご紹介したノイズパラメータについて、もう少し知っておく必要があります。次回はノイズパラメータとは何かについて、ご説明したいと考えます。
※1:Mr.Smith ver4.1のダウンロードはこちらからhttps://www.vector.co.jp/soft/winnt/business/se521255.html
Mr. Smithとインピーダンスマッチングの話 バックナンバー
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