Mr. Smithとインピーダンスマッチングの話
前回までのお話で、高周波増幅回路で無視できないS12にどのように対処するかと、対処方法毎に異なる増幅器設計の考え方について述べました。高周波増幅器特有の考え方については解説したことになりますが、一方で、入出力同時にインピーダンスマッチングできない…という問題が残ったままになっています。第22話からはトランジスタの入出力インピーダンスにマッチングを行う場合と行わない場合の違いについて考察をおこないます。初回は、トランジスタの出力インピーダンスと負荷インピーダンスの関係について考察します。
トランジスタの出力インピーダンスとは、トランジスタ増幅器の出力端子とGNDの間のインピーダンスを示します。従って一般的なエミッタ接地型増幅回路においては、コレクタ-エミッタ間のインピーダンスということになります。図1に2SC3356のS2Pファイルから読み取ったS22のインピーダンス軌跡と、その値をインピーダンス値として読み取ったリスト※1を示します。
※1: このリストはMicrosoft Excel®を用いてS2PファイルからS22(Mag/Phase形式)のCSVファイルを作成し、の値をMr.Smith ver4.1※2に読み込んだ後、Marker typeをImpedanceに変更してクリップボードにコピーし、再度Microsoft Excel®のワークシートにペーストしたものです。(表の装飾、GHzへの変換、単位の追記はExcel上で加工しています)
※2: Mr.Smith ver4.1のダウンロードはこちらから
https://www.vector.co.jp/soft/winnt/business/se521255.html
これまで明示的に触れませんでしたが、特段の断りが無ければSパラメータの値はエミッタ接地型の回路で測定されたものです。S22のインピーダンス軌跡はコレクタ電流Icの大きさで変化していますが、S22の抵抗成分は54~85Ωと意外に大きな値を示しています。トランジスタの入出力インピーダンスはSパラメータを見ると判るように動作点で変化しますが、実はそれだけではなくトランジスタの使い方で大きく変わります。
(1) トランジスタの動作のお復習い
図2にトランジスタのコレクタ電圧VCE対コレクタ電流IC特性(IC-VCE特性)を示します。このグラフはアマチュア無線の工作記事によく登場する2SC1815のデータシートから抜粋しました。IC-VCE特性は殆どの汎用トランジスタのデータシートに記載されており、動作点を決定する際にも使用するので、お馴染みのグラフではないかと思います(高周波トランジスタのデータシートには何故か掲載されていない事が多い)。
図2 一般的なトランジスタのVCE対IC特性(2SC1815のデータシートから引用)
図2に示すように、トランジスタには以下①~③の3つの動作領域(動作状態)があって、コレクタ-エミッタ間の電圧・電流特性がそれぞれ異なります。
①遮断領域: IB=0の領域(図2の黄色の領域)で、VCEを上昇させてもICが殆ど増加しない(OFF状態)領域
②能動領域: IB≠0、かつコレクタ-ベース間が逆バイアスの領域(図2の暗緑色の領域)で、ICの大きさがVCEの大きさではなく、IBの大きさで決まる領域(定電流動作領域)
③飽和領域: IB≠0、かつコレクタ-ベース間が順バイアスの領域(図2の赤の領域)で、ICの大きさがIBに関係なくVCEの大きさで決まる領域(ON領域)※3
※3: シリコントランジスタの場合、B-E間のバンドギャップ電圧(順バイアスに必要な電圧)が0.5~0.7V程度となるので、VCE<0.5~0.7Vとなるあたり(図2に「飽和領域と思しき領域」と記した領域)から飽和が始まっていると考えられます。
デジタル回路やスイッチ回路では①と③の領域を切り替えて使用しており、OFF領域の出力インピーダンスは超高インピーダンス(数kΩ以上)、ON領域の出力インピーダンスは超低インピーダンス(数Ω以下)となります。アナログ増幅回路においては②の領域で使用することになりますが、この領域ではトランジスタが定電流源として動作するので動作原理的には内部インピーダンスは高抵抗(理想電流源の内部インピーダンスは∞)となります。
定電流源とは、端子の電圧にかかわらず電流の値が一定となる電源の事で、我々に馴染みのある定電圧源・・・流れる電流にかかわらず電圧の値が一定となる電源・・・と電圧・電流の関係が逆になった起電力(電源)です。両者の電源インピーダンスの定義、インピーダンスマッチングと効率の関係は図3と表1に示すようになります。
図3 定電圧源と定電流源のインピーダンスマッチングと効率の関係
表1 理想定電圧源と理想定電流源の比較
(2) 能動領域における出力インピーダンスの正体
能動領域で動作するトランジスタのコレクタ-エミッタ間のインピーダンスZCEは、図4に示すように、定電流領域でのΔVCE/ΔICになります。理想の定電流特性では電圧が変化しても電流値が変化しないのでZCE=∞(YCE=0)になりますが、実際のトランジスタではZCEは有限の値を持っており、VCEが上昇するとICはじわじわと上昇します。このZCEがエミッタ接地増幅回路における出力インピーダンスの正体です。グラフから判るように、ICが大きくなると定電流特性が弱くなり、VCEの上昇と共にICが増える傾向、つまりZCEが小さくなる傾向にあります。この結果、動作点が変わるとS22の値も変化するのです。グラフの傾きから判るように、その大きさは数10~数kΩの範囲となり、定電流特性が強く出るトランジスタ(特性の良いトランジスタ)ほど、出力インピーダンスは大きな値を示す事になります。
図4 トランジスタの出力等価回路と動作領域の関係
(3) エミッタ接地以外の場合
ここまではエミッタ接地回路のお話をしましたが、コレクタ接地(エミッタフォロワ)やベース接地の場合についても図5に簡単に触れておきます。
図5 コレクタ接地回路、ベース接地回路で使用したときの出力インピーダンス
コレクタ接地回路とはコレクタを入出力共通端子として、エミッタから出力をとる回路です。出力インピーダンスはエミッタ-コレクタ間インピーダンスZECです。エミッタに負荷抵抗を接続すると、ベース電流は負荷抵抗端の電圧(=エミッタ電圧)が、入力電圧(=ベース電圧)と釣り合うまで増加し続けるため、負荷抵抗の大きさに関係なくエミッタ電圧=入力電圧+VBEの関係が維持されます。つまりトランジスタが定電圧源として動作することになります。従ってZECは等価的に数Ω以下の小さな値に見える事になります。
ベース接地回路とは、第18話の図10に登場したカスケード増幅器の後段増幅器のような回路で、出力インピーダンス=コレクタ-ベース間インピーダンスとコレクタ-エミッタ間インピーダンスの並列合成となりますが、コレクタ-ベース間は逆バイアスで高インピーダンスとなるので、ほぼコレクタ-エミッタ間インピーダンスとなります。エミッタ接地と同様、コレクタ端子は定電流源として動作するので出力インピーダンスもエミッタ接地と同様に大きな値を示す事になります。
続いて、負荷インピーダンスについて考察します。ここでいう負荷インピーダンスとは、増幅回路の出力に接続されるインピーダンス(Z0=50Ωの伝送線路やアンテナなど)ではなく、トランジスタのコレクタに負荷として接続するインピーダンス・・・つまり出力マッチング回路で変換するインピーダンスの値の事を示します。
図6にL(RFC: 高周波チョークコイル)でコレクタバイアスを行った場合の負荷線と最大出力電力の関係を示します。
RFCでバイアスした場合、出力の高周波振幅は、無信号時の動作点(2SC3356によるこれまでの例では10V 20mA)を中心に振れることになり、その傾きは負荷抵抗RLの大きさで決定されます (従ってコレクタ電圧は原理的にVCCの2倍まで上昇します)。図6ではRL=1kΩ(緑)、500Ω(青)、250Ω(薄いオレンジ)の3パターンの負荷線を示しています。この回路が出力できる最大電力PO MAXはVCEの最大振幅とICの最大振幅の積で求められますので、無信号時コレクタ電流Icq=20mAとした場合は、図6の青の負荷線に示す通り、RL=500Ωの時が最も大きな無ひずみの出力電力を得る事になります。※4 RL>500Ω(緑の負荷線)では電流の振幅が小さくなってしまい、最大出力は小さくなってしまいます。一方、RL<500Ω(薄いオレンジの負荷線)では(+)側の電圧振幅が小さくなってしまい、Icqを大きくしないと無ひずみ最大出力は小さくなりますが、(-)側の振幅(10V以下の振幅)では、ICを大きくできますので、ひずみを気にしなければ、RLが小さいほど最大出力電力は大きくなります(B級増幅、C級増幅の考え方)。
つまり、無ひずみ最大出力が得られる負荷インピーダンスはトランジスタの出力インピーダンスと関係なく、動作点とVCCとの関係で決まってしまいます。A級増幅回路に留まらず、HPA等で採用されるB級増幅、C級増幅も含めてみた場合、負荷抵抗RLは必要な出力電力POと電源電圧VCCが決まると表2に示すように上限値が決まってしまうことになります。
表2 出力電力POと負荷抵抗RLの上限値とコレクタ電圧VCCの関係
つまり、ある負荷抵抗RLに所望の電力POを供給する(消費させる)場合、RLとPOが決まってしまうと負荷抵抗RLの両端に印加する電圧Vの大きさは
で決まってしまいます。トランジスタ増幅器の場合、負荷抵抗RLの両端に印加することができる最大電圧はVCCまでとなり、コレクタ電圧VCCと所望出力電力POが決まると、選択できる負荷抵抗RLは、トランジスタの出力インピーダンスに関係なく、
無変調正弦波においては、
となります。
以上をまとめると、トランジスタの負荷インピーダンスは本質的にトランジスタの出力インピーダンスと関係のない事情で決まるため、第21話まででご説明したような「発振安定性の問題」という事情が無くても、常にインピーダンスマッチングが行えるとは限りません。増幅器を設計する際は、これらの関係を見比べながら、下記の何れかの方法で負荷インピーダンスを決定します。
①トランジスタの出力インピーダンス(ZCE)の複素共役(ZCE*)とする。
②所望の出力電力が得られる抵抗値とする。
※4: 今回は例が良くなかったのですが、実際には2SC3356は絶対最大定格VCEO MAX=12Vとなっているため、RL=500Ωでフルスイングさせるとトランジスタを壊してしまいます。このトランジスタは小信号増幅用なので、負荷線上をフルスイングさせるような使い方はせず、小振幅(小出力)で使用するのが前提です。この説明は、あくまで負荷線と出力電力の定性的な関係を説明したもので、2SC3356による増幅器の設計事例ではない事をご了解ください。
(1) トランジスタの出力インピーダンス(ZCE)の複素共役(ZCE*)とするケース
いわゆる共役整合設計で、トランジスタのコレクタ-エミッタ間抵抗Routに負荷抵抗RLの値を揃える設計です。信号源が電圧源であっても、トランジスタのように電流源であっても、図3と表1に示したように共役整合の条件は同じです。当該動作点での出力振幅を最大にする事ができるので、利得は最大になりますが、出力振幅最大=所望の出力電力とはならないので、小信号増幅回路において、採用される設計手法です。増幅器の出力端子から見たインピーダンスは整合がとれた状態になります。2SC3356の場合、小信号増幅用途なので、S12の影響が回避できる限りはこの考え方で負荷インピーダンスを選択します。
(2) 所望の出力電力が得られる抵抗値(負荷線)とするケース
三菱電機製のSi-MOSFET RD01MUS3を例にとって、もっと大きな出力を取り出そうとする場合を考えてみます。バイポーラトランジスタからMOSFETに変わりますが、エミッタ接地の出力等価回路とソース接地の出力等価回路は、前者の電流源がIB・hFEで定義されていたのに対して後者はVGS・gmに置き換わる以外、ほぼ同じと考えて差し支えありません。このデバイスは現在も生産中で、ネットで調べたところ秋葉原の商社では取り扱いが確認できませんでしたが、中国のAlibaba.comで在庫が確認されました。図7にデータシートの抜粋を示します。このデバイスはMOSFETが2つ内蔵されていて、FET1が励振段、FET2が出力段として使用できる出力1Wの高出力増幅用MOS FETです。図1と同じ手順でデータシートに記載のSパラメータから算出したFET2の出力インピーダンス(S22)を図8に示します。
※5: データシートの入手先は以下の通り。
http://www.mitsubishielectric.co.jp/semiconductors/content/product/highfrequency/siliconrf/discrete/rd01mus3.pdf
RD01MUS3を周波数435MHz、VDS=3.6V、Icq=60mAの動作点で使用した場合、図8と表2の関係から、出力電力が+20dBm(0.1mW)程度までは負荷インピーダンス要求値(上限値)の方がトランジスタの出力インピーダンスより大きく、共役整合しても出力不足になることはありませんが、1Wを超えるとこの関係が逆転し、必ずしもトランジスタの出力インピーダンスに対して共役整合を行う事ができなくなります。
この場合は、トランジスタの出力インピーダンスと関係なく、所望の出力が得られる負荷抵抗を接続し、出力端子をミスマッチの状態で動作させる事になります。出力負荷線上で確保された電圧振幅と電流振幅の積が所望の出力電力に到達していれば、出力がミスマッチ状態であっても入力電力さえ充分に供給すれば、所望の出力電力を確保することができます。言い換えると、出力インピーダンスのミスマッチは増幅器の利得を下げる事になりますが、最大出力レベルを下げる事にはなりません。また、自明ですが増幅回路の出力端子から見たインピーダンスは不整合の状態(VSWRが大きい状態)となります。
第22話では、トランジスタの負荷インピーダンスはどうやって決める(決まる)のかについて解説しました。これまで負荷インピーダンスは信号源インピーダンスの複素共役とすると解説してきましたが、実は所望の出力電力と電源電圧も決定要因であることを解説しました。これらの関係を整理すると以下の通りです。
※6: RCE=ZCEの実数成分(エミッタ接地の場合)
高周波増幅器の出力回路にはなにがしかのインピーダンス変換回路が存在しますが、常にインピーダンスマッチングを行っているわけではないということをご理解頂けましたでしょうか。
S12の影響を回避するために、トランジスタの出力インピーダンスの複素共役とは異なる値の負荷を接続する場合も同様です。次回は、出力インピーダンスと利得の関係についてお話します。
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11月号をアップしました
2016.10.17
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