Mr. Smithとインピーダンスマッチングの話
今月も、前回に引き続きS12と戦えない場合のS12との付き合い方のお話です。第19話では、S12がキャンセルできない場合のリスク・・・すなわち発振のリスクと発振リスクを知る為のパラメータ「安定指数K」について述べました。Kが1以下の周波数帯では、何らか手を講じないと発振する可能性がある事はお判り頂けましたでしょうか。第20話は「K≤1」の周波数帯域で発振リスクをどうやって回避するかのお話です。
KとMAGについて簡単に整理しておきます。Kとはそのデバイスが発振するリスクを示す数値であり、
・K>1の時、このデバイスは入出力にどんなインピーダンスを接続しても安定で、かつ入出力同時に共役整合をとることが可能。入出力を完全に整合したときの利得はMAGとなる。
・K≤1の時、このデバイスは入出力インピーダンスによっては発振する可能性があり、かつ入出力同時に共役整合をとることが不可能。入出力を同時に整合できないのでMAGは存在しない。
というものでした。図1は2SC3356のSパラメータから導出したKとMAG、MSGを示したもの(第19話の図6の再掲)ですが、このグラフから2SC3356は500MHzを少し超えたところより上の周波数でK>1になっています。
図1 2SC3356のK値とMAGとMSG (IC=20mA)
図2は第17話の図3を再掲したものです。第17話では、入出力を同時整合するための信号源と負荷の反射係数(ΓSM,ΓLM)を求める方程式を示し、方程式の解に2SC3356のSパラメータを代入して計算した結果を同図に示しました。
図2 入出力が同時に整合する電源/負荷インピーダンスの計算結果(第17話から再掲)
第17話では、Kファクタについてまだご説明していませんでしたので触れませんでしたが、本図において、600MHz以下の周波数においては入出力同時整合条件のインピーダンスΓSMとΓLMが全反射となっています。実はこの周波数領域ではK≤1であるため、第17話の(式3-3)(式3-4)で求めたΓSMとΓLMは、それぞれ|ΓSM|≥1、|ΓLM| ≥1となり、同時整合が不可能であることを示していたのでした。
K>1の周波数領域では中和などの対策を採らずとも、発振するリスクはなく、得られる最大利得はMAGとなるのですが、K≤1の周波数領域では中和などの処置を採らない限り、帰還の影響が大きいため発振するリスクがあり、発振に至らなくても帰還の影響で利得が大きくなる場合があって最大利得の規定ができません。MSG(Maximum Stable Gain: 最大安定利得)は(式2-1)で規定され、順方向伝達関数と逆方向伝達関数の比を示します。
この値は発振に至るまでのマージンともいえる数値です。つまり増幅器の利得がこの値を超えると、フィードバックされる振幅の大きさが入力振幅より大きくなる(入力反射係数が1以上になる)理論上の限界点であり、図1にコメントした通り、この利得以下で動作させれば発振のリスクは回避できると言うこと示しています。
MSGは帰還の影響を受けない限界利得を示すもので、この値が実現できる事を担保するものではありません。従ってK>1の領域では、MAGは通常MSGより小さい値になります。
同じグラフですが、改めてK、MSG、MAGの関係を図3に整理します。
纏めると、
中和などを行ってS12をキャンセルしない場合の増幅器の利得は、
①MSGの線より高くなった場合は正帰還の影響で利得が上昇している領域であり、S11’≥1またはS22’≥1 (両方の場合もあります)となっている。
②K>1の領域では入出力に負性抵抗を接続しない限り、MAGを超える利得は生じないので、①の領域は事実上存在しない。
③K>1の領域では、Kの値が大きい程MAGは小さくなる※1。
という事になります。実はK>1の周波数領域というのは、トランジスタが動作限界に近づいて発振する元気がなくなってきている領域・・・と言うのが正しいかもしれません※2。従って大半の設計ではK≤1の領域でMSGを超えない設計を行う(または中和をとる)というのが普通です。
※1: この事は第19話の(式2-2)を見て頂ければお判り頂けると思います。なお、第19話の(式2-3)はS12とS21の積が非常に小さい値(例えば単方向化(S12を相殺)されている等)のケースなので通常はありません。
※2: これは単体トランジスタの話で、外部回路で単方向化や安定化対策が施されたICアンプやモジュールアンプは、全帯域でK>1となるのが普通です。
(1) それってインピーダンスマッチングなの?
S12と付き合う以上は、そのトランジスタをMSGの範囲内で使いこなす他無いわけですが、具体的にはどうすれば良いのでしょうか。結論から申し上げると「|S11’|<1となる負荷インピーダンス、|S22’|<1となる信号源インピーダンスでそのトランジスタを使用する。」という事になります。
「それってマッチングしてないじゃない」と訝る(いぶかる)方もおられるでしょう。ここで読者の皆さんに告白せねばならないのですが、これまでご説明したとおりK≤1の帯域では、中和をとるなどしてK>1に矯正しない限り、どう頑張っても入出力同時にインピーダンス整合をとることができません。これまでまことしやかに「トランジスタの入出力にインピーダンスマッチングを行う」という趣旨のお話をしてきましたが、実のところトランジスタ増幅器の大半は「きちんとインピーダンスマッチングしないで動作させている」のです。
詳しくは次回以降で解説しますが、増幅回路においてトランジスタの入出力に接続されるインピーダンス変換回路の役割は、いわゆる「インピーダンスマッチング」のための変換と、トランジスタが所望の性能を発揮する「最適インピーダンス」への変換の2つのケースが存在します。
S12と付き合ってトランジスタを使用する場合のインピーダンス変換回路は、入出力のどちらかは必ず後者のケースとなります。
(2) |S11’|<1となる負荷インピーダンスを知る方法
まず第17話の復習です。トランジスタのS11と負荷インピーダンスの関係を図4に整理しました。トランジスタの入力インピーダンスはS12=0であればS11ですが、出力端子から帰還がかかると負荷の反射係数ΓLの影響を受けてS11'になってしまいます。
図4 S11と負荷インピーダンスΓLの関係
この時、S11’の値は図4に記載の通り、
なので、不等式(式3-2)
をΓLについて解き、この領域を避けて負荷インピーダンスを選定すれば良いという事になります。この|S11’|が任意の値となるΓLはΓ平面上では円になり、安定/不安定の境界条件である|S11’|=1となるΓL円を(出力側の)Stability circle(安定円)と呼びます。
(3) |S22’|<1となる信号源インピーダンスを知る方法
同様にS22’については図5に示す関係となります。
図5 S22と信号源インピーダンスΓSの関係
従って、先と同様、不等式(式3-3)をΓSについて解き、この領域を避けて信号源インピーダンスを選定すれば良いという事になります。この|S22’|が任意の値となるΓSもΓ平面上では円になり、安定/不安定の境界条件である|S22’|=1となるΓS円を(入力側の)Stability circle(安定円)と呼びます。
(4) Stability circleの計算方法
ここでは不等式(式3-2)(式3-3)を展開する方法については省略し、結論だけ記載します。詳しくは※3の文献に詳しく解説されていますので参照ください(日本の教科書には意外と詳しい記述がありません)この文献から結論を引用すると
①入力側Stability circle(|S22’|=1となるΓSの円)の半径R1と中心座標Ω1
②出力側Stability circle(|S11’|=1となるΓLの円)の半径R2と中心座標Ω2
但し
となります。
Stability circleがプロットされるのはΓ平面、つまりスミスチャートがプロットされる平面ですので、空間の中心(座標0,0のポイント)はスミスチャートの中心点(=Z0のポイント)になります。Stability circleはスミスチャートの外側領域(負性抵抗領域)に広がる大きな円になる場合が多く、円内にこのスミスチャートの中心を含むか否かで読み方が変わります。 以下、図を使って説明します。
(5) スミスチャートの中心がStability circleの外側に存在する場合
図6に概念図を示します。この図は出力側、入力側共通です。図の赤い円が(式3-4)~(式3-5)、または(式3-6)~(式3-7)で導出されたStability circleだと考えてください。本図の場合、座標0,0(スミスチャートの中心)が円の外側にあります。この場合はStability circleの外側が安定領域(|S11’|<1または|S22’|<1)、内側が不安定領域(|S11’|>1または|S22’|>1)となります。
通常の信号源インピーダンス、負荷インピーダンスは負性抵抗領域には存在できないので、発振リスクのある(避けなければいけない)信号源インピーダンス/負荷インピーダンスの領域は円の内側とスミスチャートが重なった、黄色く網掛けした領域ということになります。
図6 スミスチャートの中心がStability circleの外側に存在する場合
(6) スミスチャートの中心がStability circleの内側に存在する場合
図7に概念図を示します。この図も図6と同様、出力側、入力側共通です。図の赤い円が(式3-4)~(式3-5)、または(式3-6)~(式3-7)で導出されたStability circleと考えてください。本図の場合、座標0,0(スミスチャートの中心)が円の内側にあります。この場合はStability circleの内側が安定領域(|S11’|<1または|S22’|<1)、外側が不安定領域(|S11’|>1または|S22’|>1)となります。
通常の信号源インピーダンス、負荷インピーダンスは負性抵抗領域には存在できないので、発振リスクのある(避けなければいけない)信号源インピーダンス/負荷インピーダンスの領域は円の外側とスミスチャートが重なった、黄色く網掛けした領域ということになります。
図7 スミスチャートの中心がStability circleの内側に存在する場合
※3: 本計算式は下記文献から引用しました。
Christian Gentili著 MIROWAVE AMPLIFIERS AND OSCILLATORS(McGraw-Hill)1987
P37~P41 ISBN 0-07-022995-3
※4: その他の参考文献
MWE2011基礎講座「マイクロ波増幅器の基礎」 高山洋一郎 2011
https://apmc-mwe.org/mwe2012/pdf/tut11/TL2011_04.pdf
今月はS12と付き合ってトランジスタを使用する場合は、インピーダンスマッチングがとれないと言うお話でした。トランジスタの入出力インピーダンスをどの範囲にすれば発振回避できるかは、ここまでのお話でお判り頂けたのではないかと思いますが、じゃあ具体的に何Ωにすれば良いのか? については、まだモヤモヤされている事と思いまが、後々お話しますので暫くお待ちください。
今月は、実際に2SC3356のSパラメータを使ってStability circleを計算してMr.Smith上にプロットする方法をご説明するところまで記載する予定だったのですが、ここまでの執筆が意外と重たくて力尽きてしまいました。実際のStability circleの計算例とMr.Smithへのプロットは来月とさせてください。以下、第20話のまとめです。
(1) MSGとは順方向利得と逆方向利得の比の絶対値で、フィードバックレベルが入力レベルを上回らない理論上の上限利得である
(2) K>1の周波数領域では、通常MAG<MSGであり、そのデバイスで増幅回路を設計しても、電力利得がMSGに達することはない。
(3) K≤1の周波数領域では入出力に接続されるインピーダンスによっては正帰還によって利得がMSGを超える可能性がある。この領域でトランジスタを使用すると発振するリスクがある。
(4) K≤1の周波数領域で利得がMSGを超えないようにするためには、入出力それぞれのインピーダンスをスタビリティーサークルの安定領域側に維持する必要がある。
(5) (4)の目的で行うインピーダンス変換は厳密にはインピーダンス整合ではなく、似て非なるものだが、広義の意味でインピーダンスマッチング回路として取り扱われている。
来月は実際にMicrosoft® Excelを使って2SC3356のStability circleを計算し、結果をMr.Smithに表示させてみます。
Mr. Smithとインピーダンスマッチングの話 バックナンバー
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