2015年9月号
連載記事
海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~
JA3AER 荒川泰蔵
その30 JLRSのYL達が活躍 1985年 (3)
JLRSのYL達が活躍
今から30年前の1985年の話題一つに、JLRS(Japan Ladies Radio Society)が主催したモルディブ共和国への女性を中心としたDXペディションがあった(写真1)。OM 5人を含む総勢14人が、メディフィノール環礁から5日間電波を出した。当時JLRS会長であったJA1AEQ阿部芙美氏が自ら詳しくレポートしてくれると共に、参加したメンバー達に呼びかけてくれたこともあって、参加者14人中13人からそれぞれ報告を頂いたので、今回はモルディブ共和国特集とした。
写真1. CQ ham radio誌1985年4月号の記事。
1985年 (モルディブ共和国 8Q7YL,8Q7CY, 8Q7KM, 8Q7KN, 8Q7KS, 8Q7NO, 8Q7PK, 8Q7SN, 8Q7SW, 8Q7XX, 8Q7YS)
JA1AEQ阿部芙美氏はJLRSの会長としてクラブ局8Q7YLの免許を得て、メンバーと共にモルディブ共和国へ出かけて運用した経験を、アンケートで報告してくれた(写真2)。「JLRSメンバーのDX QSO Cultivationが目的で、行く方も受ける方もDXerではないので、DXペディとは思わず、距離や費用等の点でモルディブ共和国を選びましたが、いろいろの都合でDX Expeditionと言う名称になりました。今やモルディブは観光地で、DXペディと言うより単なるDX移動運用位の感じです。免許を取るには、日本の従事者免許と無線局免許状のコピーに電波監理局発行の英文ライセンスを添えて申請します(写真3)が、許可がおりるまで1ケ月半位かかります(写真4)。私達が開局したメディフィノール環礁は以前DXFFメンバーがDXペディを行ったところですが、現在はRaeihi Rah Resortが経営するコテージが50戸あります。周囲は約2kmの小さい島で、此のリゾートの関係者とお客以外の住人は1人も居ません。郵政省のある首都の島からは35km位離れていて、テレビもなく安心して電波が出せます。自家発電なので、発電所に近いコテージはリニア・アンプを使う事が出来ますが、発電所から一番遠くて、島のはずれのロケーションの良い所では、電圧の変動が激しくて、100Wのリグがやっと使える位です。夜になると電圧は一段と下がりますが、電気は使い放題でしたので助かりました。DXペディのお稽古には最高の場所だと思います。
写真2. 8Q7YLを運用するJLRS会長のJA1AEQ阿部芙美氏。
写真3. JA1AEQ阿部芙美氏がJLRS会長として代表提出した免許申請書。
(クリックで拡大します)
写真4. JLRSのクラブ局として使用された、JA1AEQ阿部芙美氏の8Q7YLの免許状。
(クリックで拡大します)
交信局数は、コンディションの悪い時期なのとOPが下手な事で、たった2,107局しか出来ませんでしたが、一応1.9MHzからAO-10までQRVしました。28MHzで1局、29MHz FMは0局、50MHzも0局が残念です(写真5)。ヨーロッパの局が強く、日本は遠いと感じましたが、ウッドペッカーが東京で聞くほど強力で邪魔にならなかったと言う事は、あれは日本の近くで出ているのでしょうか。
写真5. (左)8Q7YLのQSLカード。(右)8Q7YLを運用するJA1AEQ阿部芙美氏と参加者達。
現地のハムは8Q7AV, Capt. Noel Lokuge 1局のみで、あとは皆Temporaryだそうです。8Q7AVはモルディブ大統領専用機のパイロットだそうですが、もともとスリランカ人ですから大きくなった2ndさんはスリランカに行っています。長男は4S7NMRでQRVしています。1人きりのハムでJARLのような組織もQSLビューローも無いので、QSLはSASEでIRCを4枚入れて下さっても足りないそうです。改めてVIA JARLの有難さを感じました。
ホテルのマネージャーをはじめ、スキューバーダイビングやスノーリング、ウインドーサーフィン等のインストラクターは総てヨーロッパ人で、お客様も皆、スイス、フランス、ドイツ、スエーデン等から来ている人達で、日本人は此処2年半の間1人も来ていないと言う事でした。ボーイ達は、首都のマーレやスリランカから出稼ぎに来ているそうです。非常に美しい海と環礁にかこまれた島ですが、水だけは、洗面所もシャワーも塩水しか出ませんので、1日ポット1杯のお湯の他はミネラルウォーターを買わねばなりません。炊事は雨水をためて使っているそうですが、雨は降る時には続けて降って、あとは2ケ月位降らないそうです。私達の居る間は晴天続きでした。風は赤道の近くなのでほとんど吹かないそうです。
アメリカとのQSOはどのバンドでも困難でしたが、7MHzのCWで10数局出来たようです。AO-10でJANETのメンバーG4YHC局(筆者注:故JA0BUA佐藤良介氏。当誌2015年2月号参照)とQSOした時、私がJANETメンバーでないのに、JANET各局を存知上げていて良かったと思いました。こんなショートタイムの外国からのQRVでもそう感じるのですから、長期に海外生活をされている方にとってはJANETの存在は有意義な事と思います。JLRSメンバーもいろいろの経験や体験を積んで、少しずつハムらしくなる事と思います。又何処かでDXペディのお稽古をすることがあるかも知れません。(1985年4月記)」
JA1PK阿部英亮氏はXYLの芙美氏と参加し、上記8Q7YLのグループ免許と同時に個人局として8Q7PKの免許を得た1人として、当時の様子をレポートしてくれた(写真6)。「ハムが1人しかいない国だから、YLだけでは無理だと言うので、メンテナンス・エンジニアとして連れて行かれた。免許取得は8Q7YLと同じ。現地では8Q7AV, Noelが免許手続きの世話をしてくれたが、リグ、アンテナ等は帰りに出来るだけ置いてきて、今後の運用の為に援助したつもりでいる。設営に忙しく、風景等見るひまがなかったが、サンゴの粉で作った壁は430MHzの電波を通さない事がわかった。HF帯も、広い海原で反射物が何もない場合はかえって飛びが悪い。FaxはQRMが無くってFB。自家発電の為、電圧の変動が激しい。内陸、都会、小さい島といろいろ経験したが、それぞれ違うことが分かった。どうすれば良いかは時間をかけて調べたい。(1988年1月記)」
写真6. JA1PK阿部英亮氏の8Q7PKの免許状。
JA1EYL山田千鶴恵氏は、8Q7YLの他、個人局として免許を取得した8Q7CYを運用したと、経験をアンケートで寄せてくれた(写真7)。「私の所属するYLクラブJLRSがDXペディションを計画、ハムが少なくそして観光としても美しい場所として選んだのがモルディブ国のメディヒニョール島である。他国でライセンス得るという手続きは、かなりの日数と手間を要したが(メンバー14名)、モルディブ国で唯一のアマチュア局8Q7AV局の好意もあって、現地に到着後、免許・許可の確認を得て、それと並行して進めていた機材などの準備も完了、出発することが出来た。シャック一切を日本から運ぶという作業も大変なものであった。運用については、コンディションに左右されることは勿論だが、クラブとしてのDXペディなので、時間制限もあって、個人コールで運用出来たのは数時間弱。それでも個人でリグ、アンテナを運びペディションを行うことは不可能なので、とに角、文字通りインド洋の宝石、美しい島で世界中からのコールを受け運用出来た事で、初めての経験としては充分だった。(1986年1月記)」
写真7. (左) JA1EYL山田千鶴恵氏の8Q7CYのQSLカードと、(右)その免許状。
JF1IZM田中靖子氏は、クラブ局として取得した8Q7YL局を運用したと経験をアンケートで寄せてくれた。「私の様なDXになれていないものでも、JAのYLと少しでもコンタクト出来たらと参加しました。JLRSの参加する各局に教えてもらい8Q7YLで運用しました。個人局のコールサインは取りませんでした。(1986年1月記)」
JF1WMY染谷トシ子氏(写真8の右)も、クラブ局8Q7YLを運用したと経験をアンケートで寄せてくれた。「初めてのDXpedi.参加でしたが、8Q7YLのCallの運用ですので、独自のCallは取得しませんでした。当局はCWを主として運用しました。(1986年1月記)」
JA1BHJ染谷和男氏はXYLのトシ子氏と参加し、8Q7KSの免許を得て運用した(写真8の左)とアンケートを寄せてくれた。「これは一週間足らずの短期間運用であり、しかもYL主体のDXpedi.でしたので、当局独自のCallではほとんど運用しませんでした。数局とのQSOでした。(1986年1月記)」
写真8. (左)8Q7KSを運用するJA1BHJ染谷和男氏。
(右)東京ハムフェアー会場にてJF1WMY染谷トシ子氏(左側)と筆者のXYL, JG3FAR(2014年)。
JL1OZH小沢成實氏は、8Q7NOの免許を得て運用したとアンケートを寄せてくれた(写真9)。「JLRSのメンバーの一員としてDXペディションを行うためにモルディブ共和国、リゾートの島に出かけました。免許取得は会長まかせ故、私は必要書類を用意しただけで判らない。大変だったと思います。現地では8Q7AV局がいろいろ助けて下さったり、世話をして下さった。何もない南の島、アンテナ展張にも適当な木も見当たらない様な所に枯木を持って来て木に仕立てたり、いろいろ工夫をこらしながらの作業は非常に楽しいものでした。さすがアマチュアと感心しました。JAからはなかなか聞こえないDX局のコールを沢山聞いて幸せでしたが、シャックは2ケ所にあったとはいえ、皆運用したい局の集まりでしたので、私自身は375局しか交信出来ませんでした。エメラルドグリーンの素晴らしい海に遊び、貝殻を拾い、赤や青、黄の熱帯魚の群れとの語り、又夜空にまたたく南十字星の神秘な輝きは一生忘れられない想い出となりました(写真10)。(1986年1月記)」
写真9. (左)8Q7NOを運用するJL1OZH小沢成實氏と、(右)その免許状。
写真10. JL1OZH小沢成實氏の、8Q7YLと8Q7NOのコンビネーションQSLカード2種。
JA2BBH宮地慶子氏は8Q7YLの他、個人局8Q7KMを運用したと、その免許状とQSLカードを送ってくれた(写真11)。(1986年1月)
写真11. (左)JA2BBH宮地慶子氏の8Q7KMの免許状と、(右)QSLカード。
JH3SQM, JH3SQN郷原憲一、望美ご夫妻は、8Q7KN, 8Q7SNの免許を得て運用したと、海岸で撮影した写真を送ってくれた(写真12)。(1986年1月)
写真12. 海岸にてJH3SQM(8Q7KN), JH3SQN(8Q7SN)郷原憲一、望美ご夫妻。
JR6XIX内山敦子氏は8Q7YLの他、個人局8Q7XXの免許を得て運用したとアンケートを寄せてくれた(写真13)。「ペディションというものに一度参加してみたいものと思っていたところに突然わいて来た話でした。なぜ参加してみたいと思ったかというと、3年前にこの土地沖縄に来てDXペディションのパイルアップ(CW)を聞き、OMともYLともわからないのをいい事にセッセと参加して楽しんでいるうちに、出来れば一生のうちに出かけてみたいものと思ったわけです。モルディブはこちらに来ておぼえたスクーバ―ダイビングによいところと聞いていましたので、渡りに舟でした。あまりQRVのチャンスはなかったので、ワッチ要員を買って出て、その間を見てはダイビングを楽しんで来ました。私にとってとても有意義な楽しいペディションでした。(1986年1月記)」
写真13. (左) SEANETコンベンションinバリ島でのJR6XIX内山敦子氏(2014年)と、(右)8Q7XXの免許状。
JH0KSW志水喜代子氏は8Q7YLの他、個人局8Q7SWの免許を得て運用したとアンケートを寄せてくれた(写真14)。「JLRS DXペディションとして、JA1AEQ, JA1EYLがモルディブとした。英文従免、英文局免を現地へ送った。コンディションの悪い時期に21MHz等でJAとは無理と思ったが良くQSOできた。500W運用は現地の発々のレギュレーションが悪くNG、約2,000強。ローカルでは8Q7AVの1局のみで運用中に参加した。メディフィニョール島は幅20~30m、長さ500m位のサンゴの島、リゾートアイランドでホテルの関係者のみ。自然はVY FB。外国人運用は楽にできる様で、JAも世界に開放すべきと思いました。(1986年1月記)」
写真14. (左) 8Q7SWを運用するJH0KSW志水喜代子氏と、(右)その免許状。
JH0JMI志水洋司氏はXYLの喜代子氏と参加し、8Q7YSの免許を得て運用したとアンケートを寄せてくれた(写真15)。「JLRS DXペディションに、JLRSのビデオ係として参加、本人はOMですが、XYLが参加したので。現地では8Q7AVノエルさんが助けてくれた。ビデオテープは持ち込み禁止(ポルノ等の上陸止めか)、2日待って現地で手に入れてレコードする。自然の美しさにカメラを廻すのも忘れそうでした。DXペディを出来るだけフィルムやビデオに撮って大勢のハムが見ることができると良いと思うのですが。(1986年1月記)」
写真15. (左) 8Q7YSを運用するJH0JMI志水洋司氏と、(中)その免許状。(右)JH0JMIのQSLカード。
海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~ バックナンバー
- その45 タイで第16回SEANETコンベンションを開催 1988年 (1)
- その44 CQ誌の「N2ATTのニューヨーク便り」 1987年 (6)
- その43 記事執筆を励まされるもの 1987年 (5)
- その42 相互運用協定の恩恵 1987年 (4)
- その41 海外運用の後方支援 1987年 (3)
- その40 CEPTその後 1987年 (2)
- その39 相互運用協定が拡大 1987年 (1)
- その38 当連載では日系人も紹介 1986年 (4)
- その37 国際平和年 1986年 (3)
- その36 大学のラジオクラブが活躍 1986年 (2)
- その35 多様な国々からQRV 1986年 (1)
- その34 日本人による海外運用の記録をCQ誌に連載開始 1985年 (7)
- その33 IARU第3地域国際会議 1985年 (6)
- その32 中近東地域へも進出 1985年 (5)
- その31 中国への支援や指導での友好関係が延々と今に続く 1985年 (4)
- その30 JLRSのYL達が活躍 1985年 (3)
- その29 国際連合創設40周年 1985年 (2)
- その28 米国で日本との相互協定による運用許可開始 1985年 (1)
- その27 アマチュア衛星通信が盛んに 1984年 (3)
- その26 肩身の狭い海外運用 1984年 (2)
- その25 免許状 1984年 (1)
- その24 FCC 1983年 (3)
- その23 CEPT 1983年 (2)
- その22 世界コミュニケーション年 1983年 (1)
- その21 ユニセフアマチュア無線クラブの活躍 1982年 (2)
- その20 米国で日本の経営や品質が見直された時代 1982年 (1)
- その19 青年海外協力隊員が海外運用でも活躍した時代 1981年 (2)
- その18 相互運用協定への聴問会が開かれる 1981年 (1)
- その17 日本人によるDXツアーが始まる 1980年 (2)
- その16 1980年代の概観 1980年(1)
- その15 国際クラブ・JANETクラブ発足 1979年
- その14 海外運用のグローバル化・筆者米国へ赴任 1978年
- その13 バンコクでSEANETコンベンション開催 1977年
- その12 国連無線クラブ局K2UNの活性化 1976年
- その11 米国で日本人にも免許 1975年
- その10 戦後初のマイナス成長 1974年
- その9 変動為替相場制に移行 1973年
- その8 企業の海外進出 1972年
- その7 初回SEANETコンベンション開催 1971年
- その6 大阪万博の年1970年
- その5 海外運用の黎明期(3)1969年
- その4 海外運用の黎明期(2)1968年
- その3 海外運用の黎明期(1)1965~1967年
- その2 20世紀後半の概観
- その1 プロローグ