2016年6月号
連載記事
海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~
JA3AER 荒川泰蔵
その39 相互運用協定が拡大 1987年 (1)
相互運用協定が拡大
1985年9月に我が国にとって初めての相互運用協定が米国と締結されて以来、翌1986年には5月にドイツ、11月にカナダと、そして1987年には2月にオーストラリア、5月にフランスと順調に進んだ時代であった。ここまでの5ケ国では相互運用協定が無くても相手国の厚意などにより、日本の免許やFCCの免許等で運用出来たことはこの連載記事でご覧の通りであるが、逆にこれらの国のアマチュア無線家が日本で運用できない不公平さに肩身の狭い思いをしてきたことから、特に海外で運用してきた日本人にとっては朗報であった。その後この2国間協定は停滞気味であるが、CEPTなどの多国間協定を含めて、日本人が海外に出かけた先で、また来訪される外国人が日本で、複雑な手続きなしで運用できるようになれば、もっと国際交流が深まるだろうと更なる協定の拡大を願っている。
1987年 (中国 BY5NC)
故JA3UB三好二郎氏は、「BYとは本業や留学生等との交流を通じて、かねてからコンタクトがありましたが、ふとしたきっかけでBY5RAの開局準備からあとの面倒まで手伝うことになり、その後中国各方面より講習、指導などの依頼を受け、BY4AAよりBY初のSSTV運用、続いてBY1PKにおいてもSSTV, FAXの運用、TVI対策、BY5RF, BY5QAの開局に協力、特別局としてBT5UAの開設運用などがあります。BT5UAはユニセフ活動用として特別にUNICEF Associationのイニシャル・レターを割り当ててもらいました。そして今度、江西省・南昌市体育協会の依頼でBY5NCを開局するため、4月28日(1987年)、上海経由で現地に向かいます。5月1日に開局式の予定です。小生、年に数回訪中しますが、運用はすべて通常手続きによらず、先方でフリーパスの措置をとってくれていますので、サインするのみでOKですが、通常は指定のフォームにより運用承認を得ることになります。いつも教習や実務多忙で、そちらの方に気をとられサマになる写真がありません。今後は写真の方もしっかりと撮っておきたいと思います。(1987年4月19日記)」と、中国での過去の経験を含め、BY5NC開局の協力に出かける直前にレポートしてくれた。そして帰国後に写真やQSLカード、それに新聞記事などの資料を送ってくれた(写真1~3)。
写真1. (左)BY5NCのQSLカード。(右)BT5UAのQSLカード。
写真2. (左)福建省の学校にて、モールス練習用低周波発振器製作会で指導するJA3UB三好二郎氏。 (右)BY5NC局にて日中の関係者、2列目中央がJA3UB三好二郎氏。
写真3. (左)中国の地方紙「南昌晩報」に掲載されたBY5NC開局の記事と、(右)その和訳。
1987年 (台湾 BV0AD)
JE3RJI光岡重美氏は、4人の日本人グループで台湾からBV0ADを運用した経験を、CQ ham radio編集部を経由して詳しくレポートしてくれた(写真4及び5)。「免許取得のため、先ずJARL国際課へ、台湾の台南市BV6IA陳文隆氏宅において特別局(BV0)のコ-ルによる運用を行ないたい旨を伝えると共に、計画書、日程表、従事者免許証及び無線局免許状の写しを提出しました。これらの書類は国際課を通じて原JARL会長へ渡り、原会長の紹介状を添えて台湾のCRA (China Radio Association - 中国無線電協進会)に発送して頂きました。一方、JF3SAT小南氏を代表者とする4人のメンバ-は、上記に先立ちBV6IAと度々QSOを重ね、内容を検討してきました。- 中略 - 運用に際し中国(BY)とソ連全域との交信は絶対してはならない事を陳文隆氏より言われました。しかし実際の運用中、両国からの呼びだしは度々あり、特にUゾ-ンはしつこく周波数を変えても、周波数帯の変更でも追いかけられて閉口しました。 - 中略 - BV2A/Bの話しによれば、BV0BGを除き外国人の特別局(BV0使用)は年間2局までで、運用場所は台北にあるBV2C(CRAのクラブ局)での運用に限られるであろうとの事で、今回台南市での運用は特別の配慮をしたとのことでした。従って個人局を特別局として運用すること及びクラブ局以外の地方からのBV0による運用は困難であろうとの話しでした。単に台湾での短期間の運用を行なうのであれば、BV2A/B陳氏に会い、許可を得てBV2Bのシャックから2ndオペレ-タ-としてBV2Bのコ-ルをそのまま使用して運用することが出来ます。もう一つの方法は、例えば小南氏とか私であればBV6IAに事前に連絡すればJE3RJI/BV6という型での運用許可は出来るとの事でした。(1987年4月記)」他にJF3SAT小南英二氏からもCQ ham radio編集部経由で写真やQSLカードと共に手紙を頂いた。
写真4. (左)BV6IA陳文隆氏宅の前にて、BV0ADを運用した5人。左からJN3WHV前田氏, JF3SAT小南英二氏, BV6IA陳文隆氏, JL3IFF永藤尚俊氏, JE3RJI光岡重美氏。この写真はそのままQSLカードになっている。(右)BV0ADのQSLカード。
写真5. BV0AD局の免許申請書の写し。
1987年 (マレーシア 9M2XX)
JA1XPQ高橋明治氏は、マレーシアからの運用についてアンケ―トを寄せてくれた。「9M2に住むようになってから1年半くらい経った頃、2ndが“マンションの屋上にアンテナがあるよ”と私に報告してきました。早速屋上に上がるとHF用のバーチカル・アンテナが建っておりました。同軸ケーブルの引き込み先を調べると2ndの友達の家とのこと。早速その家に行ってみると 9M2AC斎藤さんがアマ局を開局しているではありませんか。私は5年前に海外赴任(初めは9V1)して以来、アマ局開局を考えておりましたが、なかなかきっかけがつかめず開局できずにおりました。9M2ACに9M2におけるアマ局開局の手続きを教えていただきすぐに申請しました。私はJAで100W局の局免があったため、1987年2月に無試験で9M2XXの免許を取得できました(写真6)。また同時に9M2ACに9M2AX, 9M2BZらを紹介していただきラグチューに花を咲かせました。その後9M2BZに9M2APを紹介してもらいました。彼はテレコムに勤務しており、免許発行にいろいろと力をかしてくれました。現在HFのリグがなく、9M2AC, 9M2AX, 9M2BZ局から、14MHz, 21MHzにときどきQRVしております。(1987年4月記)」
写真6. 9M2XX高橋明治氏の免許状3種、左からそれぞれ固定局用、ポータブル局用、モービル局用。(クリックで拡大します)
1987年 (フィリピン DU1CLR)
JH3OII中村千代賢氏は、DU1CLRのゲストオペをした時の経験から、当時のフィリピンの免許についてアンケートを寄せてくれた。「日本人に免許は下りませんのでゲストOPとしてのみ運用可能です。ですから、自分の家のリグからON AIRすることは出来ません。現在迄にその様なオペレートをした外国人は、少なからず一部のローカルハムと摩擦を起こしています。政治的な派閥が常に共存しており、バランス感覚よく対応しないとゲストOPの正当性が疑われ易いので注意を要します。現地の従免をとる事は可能ですが、局免となると別問題です。無線機の持ち込みは制限があり、通常は著しく困難です。過去に免許を受けた日本人もいましたが再現性に欠け、まして政権の代わった今では、ほとんど参考になりません。日本との相互運用協定がいち早く締結されることを、日本人は勿論、現地のハムも望んでいます。尚、特別プリフィックスで日本人が運用した局のほとんどは、免許人はフィリピン人になっており、実質的にゲストOPと同じです。最初(1984年)にアメリカの免許AJ1Aで申請しましたが却下されました(写真7)。この申請書は正式ではなく、他に正式な様式がありますが、このようなレター形式でも受理されます。左上に”The reciprocity agreement between U. S. & the Philippines is applicable to the citizens of the two countries only”と却下の理由が書いてあります。(1987年4月記)」
写真7. フィリピンの当局から却下されたJH3OII中村千代賢氏の免許申請書。左上に却下の理由が書かれている。
1987年 (パラオ KC6CS, KC6VW)
JE1JKL中村哲氏は、当時のベラウ共和国・パラオ諸島からKC6CSの長期免許で運用した経験をレポートしてくれた(写真8)。「FCCの免許は無効(つまりReciprocalもなし)。しかし、JAの免許に付いて申請すれば免許される。一昨年以前はKC6(ECI), KC6(WCI), KX6の免許は同一で、サイパンのT. T. Officeで発給されていたが、現在全て別々。Belau以外のKC6(Federated State of Micronesia)では、現在免許取得はかなり困難らしい。免許期間はビジターの場合通常3ヶ月。私の場合は実績により例外的に2年(常駐局と同じ)。(1987年9月記)」
写真8. (左)KC6CS中村哲氏と、(右)そのQSLカード。
JA6VZB森山聡之氏は当時のベラウ共和国・パラオ諸島からKC6VWの免許得て何度もQRVされたレポートを寄せてくれた(写真9及び10)。「(1回目1987年10月)コンテスト前はIC-730 + HL-1Kで7MHz, CWを中心にQRV、大いにサ-ビスした。コンテスト直前HL-1Kが破損。10WでQRV、700QSOに終わる。(2回目1989年3月)リニアが快調だったが、ロストバッゲ-ジでアンテナポ-ルが届かず、その辺のパイプにHX-330をのせコンテストに突入。2,600QSOでパッとしない結果に終わる。160mでKG6DX及びUSA 7局とQSO。(3回目1991年3月) RTTYにQRV。初めてのRTTYだったのでサバケなかった。WPX SSBは28MHzシングルで参加。5エレ → TA-33jr → DP、HL-1Kは故障でNG (この年からLow Power部門が新設される)。WARCバンド(18/24)にQRV、大いにもてる。(4回目1993年3月)シャックを借りたKC6ZZのアンテナシステムがおかしくARRL SSBにQRVせず。3.5/7/10MHzのCW、14/21MHzのRTTY、18/24MHzを中心にQRV。(1994年3月記)」尚、1回目の運用記をJCCCの機関紙“CQ TEST”に、2回目及び3回目の運用記をFDXAの会報“FDXA”にそれぞれ詳しく掲載されている。
写真9. KC6VW森山聡之氏のQSLカード2種。
写真10. KC6VW森山聡之氏の免許状2期分。
1987年 (ミクロネシア KC6DT)
JA1SNA山口真氏は、ミクロネシアでの運用をアンケートで知らせてくれたが、QSLカードを見ると1983年の運用と思われる(写真11)。「KC6DT (個人局)にてミクロネシア・トラック島よりON AIRし、160m First ever JA ⇔ KC6を含む160m~6mで、約1,000 QSOしています。(1987年6月記)」
写真11. KC6DT山口真氏のQSLカード。
海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~ バックナンバー
- その45 タイで第16回SEANETコンベンションを開催 1988年 (1)
- その44 CQ誌の「N2ATTのニューヨーク便り」 1987年 (6)
- その43 記事執筆を励まされるもの 1987年 (5)
- その42 相互運用協定の恩恵 1987年 (4)
- その41 海外運用の後方支援 1987年 (3)
- その40 CEPTその後 1987年 (2)
- その39 相互運用協定が拡大 1987年 (1)
- その38 当連載では日系人も紹介 1986年 (4)
- その37 国際平和年 1986年 (3)
- その36 大学のラジオクラブが活躍 1986年 (2)
- その35 多様な国々からQRV 1986年 (1)
- その34 日本人による海外運用の記録をCQ誌に連載開始 1985年 (7)
- その33 IARU第3地域国際会議 1985年 (6)
- その32 中近東地域へも進出 1985年 (5)
- その31 中国への支援や指導での友好関係が延々と今に続く 1985年 (4)
- その30 JLRSのYL達が活躍 1985年 (3)
- その29 国際連合創設40周年 1985年 (2)
- その28 米国で日本との相互協定による運用許可開始 1985年 (1)
- その27 アマチュア衛星通信が盛んに 1984年 (3)
- その26 肩身の狭い海外運用 1984年 (2)
- その25 免許状 1984年 (1)
- その24 FCC 1983年 (3)
- その23 CEPT 1983年 (2)
- その22 世界コミュニケーション年 1983年 (1)
- その21 ユニセフアマチュア無線クラブの活躍 1982年 (2)
- その20 米国で日本の経営や品質が見直された時代 1982年 (1)
- その19 青年海外協力隊員が海外運用でも活躍した時代 1981年 (2)
- その18 相互運用協定への聴問会が開かれる 1981年 (1)
- その17 日本人によるDXツアーが始まる 1980年 (2)
- その16 1980年代の概観 1980年(1)
- その15 国際クラブ・JANETクラブ発足 1979年
- その14 海外運用のグローバル化・筆者米国へ赴任 1978年
- その13 バンコクでSEANETコンベンション開催 1977年
- その12 国連無線クラブ局K2UNの活性化 1976年
- その11 米国で日本人にも免許 1975年
- その10 戦後初のマイナス成長 1974年
- その9 変動為替相場制に移行 1973年
- その8 企業の海外進出 1972年
- その7 初回SEANETコンベンション開催 1971年
- その6 大阪万博の年1970年
- その5 海外運用の黎明期(3)1969年
- その4 海外運用の黎明期(2)1968年
- その3 海外運用の黎明期(1)1965~1967年
- その2 20世紀後半の概観
- その1 プロローグ