2016年6月号

トップページ > 2016年6月号 > JK2XXK 戸根伸剛さん

JK2XXK 戸根伸剛さん

国内外のコンテストで幅広く活躍中のJK2XXK戸根さん。アマチュア無線との出会いは高校生の時だった。小学校高学年の頃からAMラジオを聞き始めた戸根さんは、中学生の時、夕方や夜になると日中は聞こえない遠くの局が聞こえることに気づいた。ある日、夜間に聞いた札幌の放送局の音楽番組にリクエストを送り、番組中で岐阜県からリクエストが届いたのにびっくりされたことを覚えているという。その頃はまだアマチュア無線は言葉を知っている程度だった。

地元の県立中津高校に入学後、運動系の部活動への入部を考えていたところ、同級生から強く誘われてハム部に仮入部してみた。すると先輩の熱心な勧誘に遭い半ば強制的に入部することになったという。ただし入部後すぐにライセンスを取得することなく、先輩の運用を聞く程度で、高校2年の夏に3度目の国家試験で電話級を取得してから、高校のクラブ局JA2YJOでの運用を始めた。またその冬には顧問であるJA2AUE長谷部先生の手ほどきを受けて電信級を取得、ようやく開局申請を行って、高校2年も終わりとなる1987年3月2日付けの免許状を受領してJK2XXKを開局した。

戸根さんが開局する少し前までは50MHzが入門バンドと言われていたが、1987年頃の入門バンド/モードは430M FMが主流になりつつあり、戸根さんも開局にあたって430MHzハンディ機を選んだ。そんなこともあって、高校時代は、個人局では別の高校に通う同級生も含めてのラグチューをメインに430MHz FMオンリーの運用を続けた。

1988年、高知大学人文学部文学科に入学後、戸根さんの運用形態に転機が訪れる。入学後も学生寮から相変わらず430MHz FMでローカルラグチューを中心に運用していたが、たまたまJARLニュースに掲載されていたフィールドデーコンテスト規約のページが目にとまり、移動すれば得点が2倍になることを知り、ロケーションの良いところに移動して参加することにした。実際にはローカル局を誘って高知県の三嶺という山に移動し、出力1.5Wのハンディ機と5エレ八木で運用した。すると全く想定外だった長野県の局からもコールがあり、「このできごとがコンテストにのめり込む直接のきっかけになりました」と話す。

入学当時の大学には社団局がなかったが、2回生となったある日、校内で約10名の有志が集まって社団局JH5ZABを開局した。戸根さんは社団局開局後、個人だけではなくクラブからも積極的にコンテストに参加することになり、また後輩であるJR5PDX大野さんの影響を受けてCWも運用するようになる。クラブからはマルチオペのオールバンドで参加することが多かったが、個人では引き続き430MHzのシングルバンドで参加した。特に8月のフィールドデーコンテストにはこだわり、電信電話430MHz種目で、1989年は全国3位、1990年は全国2位となり、1991年にはついに高知県から全国優勝を成し遂げた。電信電話部門へのエントリーではあったが、FMモービル機のIC-338を使っていたため、必然的にFM電話運用のみでの成果であった。1992年にはオールモード機のIC-390を投入しSSBやCWも運用して2連覇、さらに1993年も全国優勝して3連覇を果たし、その地位を不動のものにした。そしてこの頃の経験を活かし、2001年の6m AND DOWNコンテストでは電信電話1200MHz種目でFMモービル機のIC-1201を使って全国優勝。その時のスコアは、今なお誰にも破られていない。


静岡県の宝永山に移動して電信電話1200MHz種目で全国優勝
(2001年の6m AND DOWNコンテスト)

1994年4月にはCQ誌の国内コンテストコラムのエディターに就任し、雑誌記事を通して広くコンテスト普及に努めるようになった。その頃、すでに2アマも取得していた戸根さんは機材をそろえ、総合力が問われるマルチバンド部門に転向、その年のフィールドデーコンテストには徳島県の竜王山から電信オールバンドにエントリーし、同部門種目のオールタイムレコードを更新して全国優勝を成し遂げた。「マルチバンドはバンド数の分だけ難しいけど楽しみがあり面白いです」と話す。


岐阜県中津川市の富士見台高原に担ぎ上げして参加
(2013年の6m AND DOWNコンテスト)


岐阜県恵那市の大船牧場でオールバンドのアンテナを展開
(2016年の東海QSOコンテスト)

その後戸根さんはマルチオペでのコンテスティングにも取り組むようになり、コンテストのための社団局JI2ZLXを開局した。「いかに全員のモチベーションを上げるかが難しいですね」と話すように、人を集めたり、まとめたりすることの難しさを挙げる。「マルチオペで戦う場合、オペレーターだけで無くサポート要員の確保も重要な戦術です」と裏方の重要性も説く。

まずは、お気に入りのフィールドデーコンテストに、1999年、電信電話マルチオペ部門での全国優勝を狙って挑んだ。しかし、このときは運用予定地まで行きながら、悪天候に阻まれて運用を断念。翌2000年は三重県から必勝態勢で挑んだが残念ながら2位に終わった。1エリアからでないとマルチバンドでは勝てないと悟り、2003年には千葉県に移動して挑み、ついにマルチオペ部門での全国優勝を達成した。その後は、JARL岐阜県支部長を務めるなど、コンテストだけではなくアマチュア無線全体の普及活性化に尽力するようになる。


悪天候で参加を断念した1999年のフィールドデー
(これは翌日に撮影したもの)

戸根さんのアマチュア無線のポリシーは「楽しければOK」で、現在力を入れていることを3つ挙げる。まず1つ目は、もちろんコンテスト。国内コンテストはもちろん、最近はDXコンテストのRTTY部門にも力を入れている。「ぜひオールバンド部門でアジア1位をとってみたいです」と抱負を話す。2つ目はRTTYやPSK、JT65などのデジタル通信。高校生の頃からパケット通信を手掛けて転送系RBBSを運用するなど、デジタル通信のキャリアも30年近い。3つ目はサテライト通信だ。「サテライト経由のDX QSOは特に難しいのでやりがいがあります。たとえば低軌道衛星で北欧とQSOするには、共通ウインドウがわずか30秒くらいしかありません。この30秒に全力を注ぐわけです」「パワー競争ではなく耳の良さが問われる点に惹かれます」とサテライト通信のおもしろさを熱く語る。


ふじ2号(FO29)でフィンランドを狙って高所に移動。
わずか30秒のウインドウでOH8MBNとのQSOに成功した。

このコーナーでは、アマチュア無線の様々な楽しみ方に挑戦するハム(アマチュア無線家)を紹介します。
自薦も歓迎しますので、info@fbnews.jpまで、写真1、2点と紹介文(300字以内程度)を添えてご送付下さい。
採用させていただきました方には粗品を差し上げます。
バックナンバー

頭の体操 詰将棋

Masacoの「むせんのせかい」~アイボールの旅~

  • 連載記事一覧
  • テクニカルコーナー一覧

お知らせ

発行元

発行元: 月刊FBニュース編集部
連絡先: info@fbnews.jp