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Mr. Smithとインピーダンスマッチングの話

【第7話】スミスチャートは日本人の発明?

濱田 倫一

第2話~第6話にかけて、「スミスチャートとは何か」とスミスチャートを用いたインピーダンス変換回路の設計方法についての一通りの説明を終わりました。座学の講座なら、このあたりで「質問コーナー」か「単元テスト」になるところですが如何だったでしょうか。

スミスチャートには、「反射係数(電圧定在波の大きさ)からインピーダンスを算出する機能」と「インピーダンス、アドミッタンスの合成演算を四端子回路網として行う機能」があると言うことがお解りいただけたなら幸いです。この後、このコーナーでは、高周波回路の設計シーンでエンジニアがよく遭遇する事象について、スミスチャートと関わりのあるものをピックアップしてご紹介していこうと考えますが、その前に今月はすこし雑談を・・・。

1.筆者がスミスチャートの歴史に触れる事になったきっかけ

私がスミスチャートの歴史について詳しく知ることになったきっかけは1989年頃、職場の上司から雑誌(HAM Journal No.8)のコピーを貰った事でした。そのコピーは、JA1BRK 米村氏が寄稿されたスミスチャートに関する技術解説で、発明者はフィリップ・H・スミス氏で、1939年のElectronics誌で発表された旨の記載がありました。早速、大学の図書館で探してみたらありました。探した当時で約50年前の雑誌です。少し感動しながらコピーしたのを覚えています。(→図1)


図1 JA1BRK 米村氏の記事(左、HAM Journal No.8)とP.H.Smith氏の記事(右)※1(論文)

ELECTRONICS誌によるとP.H.Smith氏は、当時、ベル研究所の無線部門のエンジニアとなっています。とても興味深いのは、P.H.Smith氏の論文で最初に描かれたのは、現在我々が目にしているΓ平面上に正規化インピーダンスの目盛をプロットしたチャートではなく、Z平面(実軸がR、虚軸がjX)に反射係数Γ(論文ではρ)の目盛をプロットしたものでした。(→図2)


図2 Z平面にΓ(ρ)と線路長Lの対応関係をプロットした図※1

しかし、反射係数からインピーダンスを導出するニーズの方が高いので、Γ平面(論文では定ρの同心円)にインピーダンスの目盛をプロットする方がより便利だとし、さらにこの円線図上を旋回するアーム(回転するスライド目盛つきアーム)を設けて計算尺とする事が記載されています。(→図3)実際に厚紙にプリントし、百均で販売されていたラミネートフィルムで補強して組み立ててみたのが図3右側に示す写真です。昔はこのような計算尺(もっとしっかりした造りの物)が市販されていて、私も欲しかったのですが入手方法が判らなかった・・・ というのがMr. Smithを制作した動機です。


図3 P.H.Smith氏が発表したチャート※1(左)とこれで試作した計算尺(右)

2.水橋チャート?スミスチャート?

ところで、このチャートは実は日本人の発明だった。という主張を文献やネット上でよく見かけます。これは、P.H.Smith氏よりも2年早い1937/12の電気通信学会(現在の電子情報通信学会の前身)誌に、日本無線電信株式会社(現在のKDDIの前身)のエンジニアである水橋東作氏が「四端子回路のインピーダンス変成と整合回路の理論」と題する論文を発表されており、その中でスミスチャートと同様のチャート(円線図)を発表されている為です。(図4)この論文は、電子情報通信学会のアーカイブに登録されており、会員なら誰でもダウンロードして閲覧することが可能です。
http://www.journal.ieice.org/summary.php?id=k21_12_1053&year=1937&lang=J


図4 水橋東作氏の論文(左)とそこに掲載された円線図(右)※2

さすがに戦前の論文なので、旧仮名遣いや旧漢字が多くて読みにくいのですが、伝送線路と送信機(または空中線)の間の整合回路を四端子回路としてモデル化し、整合条件を導出・整理した論文で、四端子パラメータに反射波・定在波を関係づける・・・今で云うSパラメータの概念に近い内容が述べられていて、大変興味深い論文です。ただチャートについては、それほど深く触れられている訳では無く、反射係数をインピーダンスに変換する便利なチャートとして紹介されるに留まっています。でも図4右側の円線図は確かにスミスチャートと同じです。このような理由から、日本の教科書や文献では、スミスチャートの事を「水橋・スミスチャート」と表記しているケースがあります。

3.スミスチャートは盗作か!?

では、スミスチャートは1年ちょっと早く発表された水橋チャートの盗作なのでしょうか?さすがにそれは無いと思います。時代は1937年~1939年、昭和12年~14年の出来事です。第二次世界大戦が始まる直前、太平洋戦争はまだ始まっていません。当時の外国への渡航手段は船、太平洋を一飛びで横断できる航空機は無く、国際通信は中波や短波の無線電信が主力の時代です。日米の学会の交流も今と比較すると格段に少なかったでしょうし、P.H.Smith氏が水橋東作氏の日本語の論文を直接読んだとも思えません。おそらく同じ時期に同じ問題を抱えた人達が別々に考案したのではないでしょうか。二つの論文を比較すると、この円線図を図3に示したようなツールとして完成させて普及させたのはP.H.Smith氏の功績だったのだろうと思います。結果的にSmith Chartという呼び名が世界的に浸透したのでしょう。このあたりは黒川兼行先生(元 富士通研究所副社長)がCQ出版のRFワールドNo42で、「スミスチャートは誰の独創か」というタイトルで興味深い分析をされています。(→図5)スミスチャートが実際には誰の発明だったのかという議論に対しては、「古今東西を問わず、負け惜しみに近い議論に終始するのではなくて、二度とこういった残念な状況を繰り返さないためにはどうしたらよいかを議論すべきではないか」※3と指摘されていて、その通りだと思います。当の水橋先生がどう思われているのか、私には知るよしも無いですが、いずれにせよ、通信の黎明期、日本人の大先輩が世界に劣らぬ水準の研究をされていた事には日本人として敬意を表したいと思います。


図5 RFワールド No42の表紙と黒川先生の記事※3

若い頃、職場の上司から「何か凄いアイデアを思いついたとき、世の中には最低10人、既に同じアイデアを考えている人がいる・・・と思いなさい」とよく言われました。これは「君のアイデアなんてたいしたことは無い」という意味では無く、「一刻も早く特許を取ってアイデアを権利化しなさい」という意味です。Smith Chart/水橋チャート問題は、両者ともタイムリーに発表されているので「一刻も早く」問題ではないですが、「世の中には最低10人・・・」を示す一つの事例だろうと思います。

4.もう一つ思うこと

私は手計算が大の苦手なのでしみじみ思うのですが、今ではパソコンが普及したおかげで、手計算で解析や設計を行うことはほぼ無くなり、私のような計算が下手な者でも一人前のフリができる良い時代になりました。ほんの2~30年前までは電卓と計算用紙を駆使して設計していましたから、設計作業の中の「計算作業」が占める割合は相当な量でした。まして整合回路の設計や分布定数回路のように複素数計算が当たり前の領域は、計算が得意でなければ務まりませんでした(私はそう痛感していました)。そのような世界で私たちの先輩は、スミスチャート、ボードチャート、ニコルスチャート・・・等々、ある種の芸術と言っても過言では無いような、計算結果と物理現象を視覚的につなぐ様々なチャートを編み出してこられました。これらはグラフの目盛から値を読み取るので有効数字は2桁程しかありませんが、パラメータ相互の関係を俯瞰的に把握でき、設計がクリチカルになっていないかを直感的に理解できる素晴らしい技法だと思います。

最近の若いエンジニアを見ていると、図やグラフを描いて考える人が減ったと感じます。シミュレーターが作成してくれるグラフは駆使して報告してくれるのですが、システム検討や実験結果の分析で、自ら検討結果を図にする・実験結果をグラフにするという行為をしない人が増えました。一つの機能を規定する文章でインプットとアウトプットの関係は判りますが、アウトプットの波及効果は表現されません。同様に、測定して得られた数値、計算で求めた数値は、ある一点の値であって、その前後がどうなっているかを語りません。これらは図やグラフを併用して初めて見えてくる事であり、「図にできない」「グラフにできない」時は、理解が不十分だったり実験に不備があったりする場合が殆どです。是非、図やグラフで物事を捉え、考える習慣を身につけて欲しいと感じます。

5.第7話のまとめ

第7話はスミスチャートの歴史に触れました。今回取り上げさせていただいた論文や記事は、どれも私には手の届かない大先生方の著作です。失礼のないように心がけたつもりですが、配慮の届かぬところがございましたら、お詫び申し上げます。

次回は共振回路についてお話したいと思います。

6.引用文献

※1 P.H.Smith;“Transmission Line Calculator”, Electronics, January 1939 pp29~31, MacGraw Hill
※2 水橋東作;「4端子回路のインピーダンス変成と整合回路の理論」,電気通信学会誌,1937年8月号, pp.44~45. 電気通信学会
※3 黒川兼行;「スミス・チャートは誰の独創か」,RFワールド No42 2018年6月 pp.82~84 CQ出版社

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