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海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~

その74 ヨーロッパの多様な国からQRV 1992年(4)

JA3AER 荒川泰蔵

ヨーロッパの多様な国からQRV

今回も前回に続いてヨーロッパですが、多様な国々からQRVしていたことが分かります。英語以外の外国語での受験の努力があった一方、長年の国際的な交友が実を結んでの厚意や、国際的な行事への参加による当事国の厚意などで、一時的な運用が可能になった例もあります。

1992年 (スイス HB9/G0RJW, HB9IAR)

JK6RWM宮崎吉孝氏は、英国のCEPT免許を利用して、HB9/G0RJWとしてスイスで運用した経験を2回のアンケートで知らせてくれた(写真1)。「スイスへのビジターとして運用しておりますので、きちんとした固定局は設置しておりません。Rigはミズホのピコ、Antennaは短縮DPです(2W QRPです)。これでも近隣諸国のとのQSOは可能です。7MHzは夜間になると、バンド全体がうなっている感じで、信号としては入感しなくなります。ヤエスのFT-757は、もっぱらモービルで使うことにしており、F/G0RJW/Mのコールサインで、サレーブ山、ジュラ山脈からQRVの予定です。(1992年3月記)」そして更に追記として、「1992年2月12日付けでCEPT 1級のG0RJWを取得、スイスの免許担当官Mr. Brunnerに問い合わせたところ、短期間なら運用してもよいということで、HB9/G0RJWとして運用した。しかし、日本語が不可だったので、CWだけにQRVした。(1992年6月記)」とレポートしてくれた。


写真1. (左)HB9/G0RJW宮崎吉孝氏QSLカードと、(右)それらが送られて来たスイスからの航空便封筒。

JR6RWM宮崎吉孝氏は、スイスの免許を得るための受験を含め、各関係機関への交渉などで苦労された経緯を、アンケートで知らせてくれた(写真2~4)。「スイスの免許取得は諦めていたのですが、CERNの松村先生(DJ0UL)の勧めもあり、1991年9月から交渉を始めました。まずジュネーブ州PTTに電話で問い合わせたところ、すぐに受験申請書、開局申請書、法令集などの書類一式を送ってくれました。受験申請書に記入して、9月7日にジュネーブ州PTTに提出しました。申請書には言語の指定欄があり、フランス語を希望しました、添付書類として、外人警察の在留許可証明書を提出しました。受験を拒否されることを予測して、あらかじめスイス人が日本の国家試験を受験できるかどうか調べておきました。郵政省から届いたFAX(英文併記)によると、スイス人は日本の国家試験を受験することが可能で、合格した場合は従事者免許証を交付するとのことでした。9月末になって、スイス連邦PTTから手紙がきましたが、やはり日本人の受験は認められないという回答でした。すぐに次の2点を根拠に抗議しました。1) スイス人は日本の国家試験を受験できるのであるから、日本人にも同様の権利を認めるべきである。2) 自分はジュネ-ブ州の公務員であり、スイスの利益のために働いている事情を考慮してほしい。スイスPTTから来た回答では、FAXの内容が正しい旨の証明書を提出すれば受験を認めてもよいとのことでした。すぐに在ジュネ-ブ日本総領事館にお願いしたところ快諾して下さり、翌日にはスイスPTT宛の書簡を頂きました。その書簡を提出し、やっと受験が認められることになりました。英語で受験できないかどうか尋ねたところ、スイスの公用語以外では実施できないということでした。12月に受験許可の通知書が届き、1992年1月に受験案内が来ました。アメリカの免許を提出したところ、無線工学とモ-ルス試験は免除され、法規だけの試験を受ければよいことになりました。それでもフランス語での試験は脅威でしたので、八方手を尽くして試験情報を集めましたが、法規の試験問題は全く公表されていないということでした。仕方なく法令集を丸暗記して、3月24日にベルンで試験を受けました。それほど難しい問題ではなかったのですが、回答時間に比べて文章の量が豊富で、回答半ばであえなく時間切れとなりました。すぐに採点され、60点で不合格だと言われました。フランス語の読解力をみる目的もあるのか、あと1問で合格だったのですが、全くおまけをしてくれませんでした。試験後、無線免許担当官のMr. Brunnerに面会する機会がありました。スイスPTTから5月1日付けで電波法改正があり、その後はアメリカの免許があれば試験が完全免除になるので、いずれにせよ免許を与えると言われました。スイスPTTから5月21日付けで資格証明書をもらいましたので、すぐにジュネ-ブ州PTTに開局申請書を提出しました。約1週間で免許状が届き、コ-ルサインはHB9IARでした。あわせて日本語の交信も許可になりましたので、なんとかJAと交信できるような無線局にしたいと計画しています。免許取得につきまして、Mr. Brunner、畑英次郎代議士、日本総領事館の大川氏に大変お世話になりました。(1992年6月記)」


写真2. (左)HB9/G0RJW宮崎吉孝氏の受験申請書と、(右)無線局免許申請書。


写真3. HB9IAR宮崎吉孝氏の免許状の一部。


写真4. (左)HB9IARのQSLカードと、(右)それらが送られて来たスイスからの大型書留航空便封筒。

1992年 (イタリア IK0RWH, IK2RWH)

JH1LPF青木哲氏は、イタリアでの免許を取得して運用している旨、アンケートで知らせてくれた(写真5)。「イタリアでは日本と同様に、先ず従免の取得が必要です。局免は、従免をベースに申請、犯罪の有無等確認後に交付されます。それには最低でも半年程度はかかり、当局の場合は従免が1991年6月22日、局免が1992年4月10日でした。当時はローマに住んでいた為、最初はIK0RWHのコールサインでしたが、ミラノに移った為IK2RWH(サフィックスはそのまま)に変更されました。(1994年2月記)」


写真5. IK2RWH青木哲氏の免許状の一部。

1992年 (マルタ騎士団 1A0KM)

JA1BK溝口皖司氏は、マルタ騎士団の1A0KMで運用した経験をアンケートで知らせてくれた。「イタリア人以外では、W1XXが唯一人運用しています。1A0KMをセパレートとして認めた張本人だからです。私は、彼等(I0MGM, I0IJ)の親分であるルイジと、彼が死の床についている時、BY1PKより彼の最後のカントリーをQSOした事と、そのあとI0MGMなどとその当時の話しをした折、イタリアへ来たら1A0KMで運用させてやると言われていました。夜一人でJA向けにQRVしました。様子は当時のCQ誌に出ています。今では日本人も楽に運用しています。もうそれほどもてません。(1992年10月記)」

1992年 (マルタ 9H3TA)

JA3AER筆者は、マルタでの運用について次のように記録していた(写真6及び7)。「1993年のお正月はXYLとマルタで迎えようと12月28日にマンチェスターを発ちました。マンチェスターから直行便で南へ約3時間半、地中海にあるこの島は冬でも暖かいだろうと期待したのですが、運悪く雨の日が多く、外に出るにはオーバーコートを離せませんでした。この国はCEPTに入っていないため英国の免許では運用出来ず、前もって申請しておいた臨時免許で、9H3TA(サフィックスのTAは私のイニシャル)のコールサインを貰い、ローカル局9H1PAのシャックを借りてQRVしました。残念ながら14, 21, 28MHzともJAが開けず、ヨーロッパ間のQSOに終わりました。元旦に首都バレッタの町をXYLと一緒にブラリと見物中、偶然Auberge de Castille (首相の執務所)で、マルタ共和国の首相、Dr. Fenech Adamiご夫妻と新年の挨拶を交す機会を得ました。(1993年1月記)」


写真6. (左)9H1PA(Mr. Philip N. Aquilina)のシャックを借りて9H3TAを運用する筆者。
(右)9H3TA筆者のQSLカード。


写真7. 9H3TA筆者の免許状。

1992年 (アルバニア ZA1BK)

JA1BK溝口皖司氏はアルバニアで個人免許ZA1BKを得て、首都ティラナで10, 18, 50MHzを運用し、約600局とQSOしたとアンケートを寄せてくれた(写真8)。「通常ではZA1ZBKなどと、サフィックスの最初にZがつきます。OH2BHとJA1BKにのみ特別で2レターのコ-ルサインをくれました。この国は誰でもオペレ-ト出来ます。(1992年10月記)」


写真8. ZA1BK溝口皖司氏のQSLカードの表と裏。

1992年 (ハンガリー HG92FOX, HA/JE3TSA)

JE3TSA野村太氏はハンガリーでの運用について、レポートを寄せてくれた(写真9)。「第6回ARDF世界選手権大会を記念して開設されたHG92FOXの設備を使用するという条件で、日本選手団の12名に臨時免許(各人のコ-ルサインで運用してもいいし, HG92FOXを使ってもよい)がハンガリーの当局から発行された。免許を受けたのはHA/JE3TSA, HA/JM1JKR, HA/JL1HAC, HA/JF1JRJ, HA/JL2JXL, HA/JL1NCQ, HA/JL1UMA, HA/JH5FUL, HA/JE7DWV, HA/JP1AGG, HA/JH1HLD, HA/JN1LQHの12名。記念局の設備はTS-850S, 100Wのため、日本での資格に関係なく全員に100W, オ-ルバンド(HF-VHF)の免許が出された。アンテナはGPが設置されていたのみであったため、JAとは1局(7MHz, CW)のみのQSOだった。近隣のHB, OE, F, I, OKなどからは沢山呼ばれた。HAはCEPTの免許も有効になったし、日本の従免と局免をベースにした免許も発行されるようになったので、ハンガリーの連盟(MRASZ)に問い合わせるとよい。約3ケ月程かかるが発行してもらえる。HGで始まる局は記念局を除くと入門級(VHFのみ)である為あまりなじみがないかも知れない。(1993年4月記)」


写真9. (左)HG92FOXのQSLカード。(右)HA/JE3TSA野村太氏の臨時免許状。

1992年 (スウェーデン SM2/KL7YR, SM0/7L1RLL)

KL7YR大竹武氏は、スウェーデンでの運用についてアンケートを寄せてくれた(写真10)。「アメリカ合衆国はスウェーデンと相互運用協定があります。1991年11月中旬には免許申請書を送ってあったのですが、1992年1月16日出発になっても何の返事も入手出来ませんでした。ストックホルムにお住まいのSM0HEG笠松善男さんがスウェーデン語で話しをして下さった結果、USのライセンスはサインをしてから2ケ月しか有効でないが、今回は特別ということで320クロ-ネを支払って、やっと40日間のSM2/KL7YRのライセンスを入手出来ました。HFはトランシーバーの運搬が他の機器が多いために不能でFMで2mのトランシーバーだけが頼りでした。大変電波帯がすいていてゼロQRMでしたが、それも道理、リピーターが全然運用されておらず、シンプレックスのオペレーションしか出来ませんでした。アンテナは1/2波長のロッドアンテナを使用して約20局とQSOしました。この次には、3エレ以上の八木アンテナを使うつもりです。(1992年3月記)」


写真10. (左)SM2/KL7YR大竹武氏の免許申請書と、(右)その免許状。

7L1RLL若鳥陸夫氏は、スウェーデンのSM0/7L1RLLの免許を得て運用したと、アンケートを送ってくれた(写真11)。「1. 免許の入手:受取先をホテルに指定して、出国前に申請書を提出。申請書には、JARL会員英文証明、英文免許状証明、英文従免状証明、支払い証明を添付した。ストックホルム到着後、ホテルに局免が届かず、電話確認したところ、支配人が持っていた。料金(SEK 320)を郵便局で再度支払い、使用可能となった。 2. 運用の状況:(1) TRX:Mizuho MX-21S 2W出力、サイドトーン自作品。(2) アンテナ:6階の窓の外にモービルホイップを取り付け。SWR計で、SWR 1.2以下に調整。(3) モード:21MHz, A1A (縦振り電鍵持参)。(4) 電源:100Vへの変換、13.5V→9.5V変換器など持参。CWでイタリア局と交信成功、QSL交換済。(1993年2月記)」


写真11. SM0/7L1RLL若鳥陸夫氏の免許状。

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