2015年10月号

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海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~


JA3AER 荒川泰蔵

その31 中国への支援や指導での友好関係が延々と今に続く 1985年 (4)

中国への支援や指導での友好関係が延々と今に続く

既に、1982年頃の出来事として2014年12月号の(その21)にユニセフARCの活躍と題して述べたが、その延長線上で発展途上国への支援はその後も続いていて、特に故JA3UB三好二郎氏が、上海市と大阪市が友好都市の関係でもあることから、大阪国際交流センターラジオクラブをベースに、支援を続けてきた。その結果お互いの信頼を深めた交流が若い世代にも引き継がれ、現在まで続いているのは素晴らしいことである。今回は中国、台湾、香港、マカオの特集になったが、その後の中国・上海との交流の歴史の一端を写真で簡単に紹介する。

1985年から2年後の1987年には上海の重鎮BY4AAの徐儒(Xu Ru)氏(現BA4AA)が来阪、翌年1988年には三好二郎、京子ご夫妻を中心に米国人を含む数名が上海から国際友好の特別局BT4YLを運用したらしくそのQSLカード(写真1)が、そして1991年に三好二郎氏に届いたオリンピックホテルのBY4AOH開局式典への招待状が残っている(JO3LZG下津富雄氏所有)。


写真1. 国際友好特別局BT4YLのQSLカード(1988)。

1992年にはJA3UB三好二郎氏を中心に、大阪国際交流センターラジオクラブのメンバー約10名がBY4AA局を訪問し国際交流を行った。これに参加したJK3IYB西彰氏がその時の写真を送ってくれた(写真2)


写真2. (左)BY4AAのシャックにて歓迎を受ける大阪からの訪中団(1992 – JK3IYB西彰氏提供)。(右)JA3UB三好二郎氏を中心に大阪国際交流センターラジオクラブのメンバーが上海を訪問(1992 – JK3IYB西彰氏提供)。

それから更に7年後の1999年には、上海からBY4DKJ, BY4BZBのメンバー数名が来阪、大阪国際交流センターラジオクラブのメンバーを中心に迎え入れた。これに参加したJO3LZG下津富雄氏がその時の写真を送ってくれた(写真3の左)。それから時を経て、2010年には上海でSEANETコンベンションが開催できるまで成長した。オリンピックホテルで開かれたこのコンベンションには、海外14ケ国から約100名が上海を訪れたが、流暢な英語での司会をBD4AAQ, Michael Ye氏が務めた(写真3の右)。そしてコンベンションの特別記念局BT4SEAは、BY4AOHのシャックが使われた。


写真3. (左)上海からBY4BKJ, BY4BZBのメンバーを大阪に迎えて、大阪国際交流センターラジオクラブのメンバーと(1999 - JO3LZG下津富雄氏提供)。 (右)SENETコンベンション2010 in 上海で、司会を務めるBD4AAQ, Michael Ye氏(2010)。

そして今年(2015年)8月に、そのBD4AAQ, Michael Ye氏が奥さんとお嬢さんを伴い来日、大阪ではJR3MVF三好京子氏、JE3BEQ宮本誠一氏、JO3LZG下津富雄氏、JA3IBU逵幸一氏他大阪のアマチュア無線家との国際交流を果たして、東京経由で上海へ無事帰られた(写真4)。今頃は上海の重鎮BA4AA徐儒(Xu Ru)氏にその報告をしていることであろう。


写真4. (左)ハルカス最上階にてBD4AAQ, Michael Ye氏一家と共に、左からBD4AAQ、JE3BEQ宮本誠一氏、BD4AAQの奥さんのXingさん、お嬢さんのDaniellaさん、JG3FAR荒川洋子と筆者 (2015)。 (右)大阪狭山ラジオクラブJK3ZCRのシャックにて、左からJO3LZG下津富雄氏、BD4AAQ, Michael Ye氏一家、筆者(2015)。

1985年 (中国 BY1PK, BY4AA, BY5RA, BY5RF, BT1BK)

故JA3UB三好二郎氏からは、BY1PK, BY4AA, BY5RA, BY5RFの一連の訪問についてレポートを頂いた。「中国とは本業や留学生などとの交流を通じて、かねてからコンタクトがありましたが、ふとしたきっかけでBY5RAの開局準備からあとの面倒まで手伝うことになり、その後中国各方面より講習、指導などの依頼を受け、BY4AAよりBY初のSSTV運用、続いてBY1PKにおいてもSSTV, FAXの運用、TVI対策、BY5RF, BY5QAの開設運用、江西省 南昌市体育協会の依頼によるBY5NCの開局にも協力しました。私は年に数回訪中しますが、運用はすべて通常手続きによらず、先方でフリーパスの措置をとってくれていますので、サインするのみでOKですが、通常は指定のフォームにより運用承認を得ることになります。さて、1985年1月の訪中の様子を紹介しましょう。これは、JE1OMO, JA3ATRと私の3名が、福州市にJA1UT 林OMをはじめ、私たちの協力によって開局したBY5RAのグレードアップとアフターケアのため、そして上海のBY4AA関係者と、北京の中国無線電運動協会、並びにBY1PK局長より技術協力の要請を受けて訪中したものです。 ***中略(この部分は下記の通り)*** 上海、福州、北京とも、アマチュア無線、科学模型、教育関係各界の人たちと、より一層友好交流を深めることができました。私達は、世間でよくいわれるペディションに行ったのではなく、要望に応じて運用しただけで、しかも中国のオペレーターに説明しながら、というのがほとんどでしたので、状況のわからない方は、なぜもっとサービスしないのだろうと思われたことでしょう。管理者からも、疲れてさえいなければ、もっと運用しては? といわれましたが、疲れて本来の目的に支障があるといけませんので、ローバンドや29MHz FMモード、RTTYなどについて十分にレクチャーしてきましたので、今後はリクエストにも応じられると思います。(1988年1月記)」

前後が逆になるが、北京のBY1PK(写真5)については「最後の訪問地、北京では国家体育無線電運動学校副校長、無線電運動協会秘書長やBY1PK局長と空港で再会を喜び合ったのち、学校へ出向き訓練生等を紹介され、RTTY用のプリンター及び付属装置を寄贈するとともに、あらためて現在の運用状況や中国のアマチュア無線に対する考え方などについて話を聞き、意見とアドバイスを求められました。要望に応じて色々なレクチャーや実験のなかで、訓練生とともに、3.8MHzのダイポールアンテナの製作調整を行い、BY1PKより初めての3.8MHzによる運用をしました。BY1PKも近い将来、オールバンド、オールモードによりQRVすることでしょう。(1988年1月記)」と、


写真5. 北京のBY1PKのQSLカード2種類。

そして上海のBY4AA(写真6)については、「BY4AAにはSSTVのカメラとモニターを寄贈すると共に、多くの戦前からのオールドタイマーとのアイボールQSOで親交を深め、主としてSSTVとRTTYについての協力をし、BYより最初のSSTV運用をしました。BY4AAは無線電運動協会の人だけでなく、一般市民も運用できるようになっており、特にOT連中がよく運用しています。(1988年1月記)」と、


写真6. 上海のBY4AAのQSLカード2種類、右側のQSLカードの写真には、JA3UB三好二郎氏達が寄贈した無線機も写っている。

そして福州のBY5RA(写真7及び8)については、「福州では、学校のクラブ用として8台のHF, VHF, UHFのトランシーバーとアンテナ機材およびエレキーや、SWR計、テスターなどの計測器を寄贈し、BY5RAは特にローバンド(1.9 - 7MHz)のアンテナの整備をし、また29MHzのFMでも常時QRVできるように完備しました。そしてオールバンド、オールモードにおいて運用ができるように、オペレーターの養成をしましたが、現在は諸般の事情で主としてウイークデーの昼間しか運用できないという事情があり、また言葉の問題などで、ほんの限られた人しか十分なオペレートができない状況ですが、この問題も解決されつつあります。我々のアドバイスも色々と受け入れられて、近い将来宿泊施設付の新しい局舎が建設されることになっています。160m - 70cmに至るまで、サテライト用を含むオールバンド、オールモードの設備が整っていますが、残念ながらHFのリニア・アンプとFAXのマシンが不良となっています。従ってローバンドは、運用時間の制約もあって厳しいのが現状です。(1988年1月記)」と、


写真7. (左)福州のBY5RAの開局記念QSLカード。(中)BY5RAの開局式典。(右)BY5RAの開局式典で挨拶するJR3MVF三好京子氏。


写真8. (左)福州のBY5RAのQSLカード。(中)BY5RAのある建物の標識前で左からJA1UT林義雄氏、JA1HQG有坂芳雄氏、JA3UB三好二郎氏。(右)南昌市のBY5NCのQSLカード。

同じ福州のBY5RF(写真9及び10)については、「同じ福州市に、JA1UT 林OMなどの協力によって、1985年1月4日に開局したBY5RFがあります。この局にもサテライト設備があり、また3.5MHzや7MHzにも時々QRVしています。この局は従来の無線電運動協会の所属ではなく、少年科学宮の管轄下にあります。滞在中に市内の小・中学校を視察しましたが、その中にもモールス符号の習得を必修科目としているところもあり、トランジスターラジオの組み立てや、電気理論の実験教材を自分たちで製作しながら実習しているところもありました。学校関係や市当局者との会談、懇親会を通じて、私達がアマチュア無線に興味を抱いた頃を思いだすとともに、しばらくの間JAの現状を忘れて感慨にふけりました。(1988年1月記)」と報告があった。


写真9. (左)福州の高校で熱烈歓迎を受けるJA3UB三好二郎氏(中央)。(中)福州にてアマチュア無線の講義をするJA3UB三好二郎氏。(右)福州のBY5RFのシャック。


写真10. (左)福州のBY5RFを運用する中国人オペレーター。(中)BY5RFのシャックにて、前列左からJA3ATR小山保昭氏、1人おいてJA3UB三好二郎氏。(右)BY5RFの開局記念QSLカード。

JA1UT林義雄氏からもBY5RFについて、1985年1月にサテライトを含む1.9MHzから430MHzまでの運用をしたとレポートを頂いた。「福建省科学技術協会のご要望により日本人有志が局設備を寄贈し、中国人技術者と合作して建設したもの。従来無線電運動協会が主体で行って来たアマチュア無線活動に加え、少年科学宮主催のアマチュア局として最初のものであり、中国アマチュア無線運動に新しい展開を与える出来事となった。(1986年6月記)」

JA1BK溝口皖司氏からはBT1BKでの運用について、「1985年10月、中国より初めてコンテストに参加した。(1986年4月記)」と、記念の栄誉証書のコピーとQSLカードを送ってくれた(写真11)


写真11. (左)BT1BKのQSLカード。(右)BT1BKでCQ WW DXコンテストに参加したJA1BK溝口皖司氏の栄誉証書。

1985年 (台湾 BV0AC)

JA9AG吉井裕氏BV0ACを運用した経験をレポートしてくれた(写真12及び13)。「中国政府がアマチュア無線を開放し、外国人の運用も認めたため、台湾政府も年間4回のペディションを外国人に開放しましたので、JARLを窓口として JA9AA, JA9AG, JA9AL, JA9ABW, JA9BMP, JA9ELB 以上6名でペディションを実行しました。現地ではCRA(中国無線電協会)、特にBV2A, Timさんに大変お世話になりました。交信局数は4,700局位でDX局は約10%でした。(1985年5月記)」


写真12. (左)BV0ACを運用したJA9AG吉井裕氏(右から3人目)達、右から2人目がBV2A, Tim Chen(陳)氏。(右)BV0ACのQSLカード。


写真13. BV0ACを運用したJA9AG吉井裕氏の運用許可証。

1985年 (香港 VS6BS, VS6DO)

JA3IBU逵幸一氏から、1980年代にVS6BS局を訪問した時の写真(写真14)を受け取っていたが、詳細の記録がなく同氏に問い合わせていたところ、「VS6BSからゲストオペで、JA数局と21MHzでQSOしましたが記録がありません。1980年10月31日だったと思います。(2014年12月記)」と返事を頂いた。1985年より以前であったが、1980年の記録は既に紹介済みの為ここで紹介しておく。


写真14. (左)VS6BS, Nissanka de Silva氏のシャックにてJA3IBU逵幸一氏(1980年)。 (右)VS6BSのQSLカード、筆者が1969年に撮影した写真を使っている。

JA5DQH奈木昭人氏VS6DOを運用した時の様子をレポートしてくれた(写真15)。「香港の観光とCQWW-CWコンテスト参加のために行った。免許については1984年JA1MIN小川さんが彼のUSの免許(NH6X)からVS6の免許へのReciprocal Licenseについて問い合わせた結果、”英国と日本とは相互運用協定が無いからUSの免許を持っていても日本人には発行しない”という返事が来ている。しかし実際には、英国では日本人に対してUSの免許ポータブル/G4やG0(N2ATT/G4, KE6QX/G0)等で免許になっているので、私はN2ATT/G4の免許のコピーを添えて私のUSの免許 NN7S/VS6で運用できるよう手紙を書いた。香港のPost OfficeからUKの関係機関へTELEXで問い合わせをしてくれたが、私が香港を訪れた時はまだその返事待ちの状態であった。”香港はUKの免許に準じており、UKで日本人に対して免許しているのなら、香港でも許可する予定だ”と係官は話してくれた。次回行った時はNN7S/VS6で運用できると思う。またポータブル/VS6 Reciprocal Licenseの1年後は申請すると正式なVS6・・(2文字)のコールサインがもらえる(クラスによってはVS6X・・の3文字)とのこと。今回はVS6DO, Paul のコールサインを使ってCQWW-CWコンテストに参加した。2日間で2,500局、マルチは117 Zone, 225 Countries、スコアは 156万点であった。日本人に対してUSの免許からは見通しは明るいが、日本の免許からは全く見通しがない。また、2nd OPについては、免許人の指揮下で運用し、ログにサインをすれば問題ないとの係官の話であった。(1986年1月記)」


写真15. (左)VS6DOを運用するJA5DQH奈木昭人氏と、(右)奈木昭人氏が運用したVS6DOのQSLカード。

1985年 (マカオ XX9UT, XX9XX)

JA1UT林義雄氏XX9UTを運用した経験をアンケートで寄せてくれた(写真16)。「1985年4月、マカオ郵電司のロペス局長に米国のライセンスを添えて申請する。ポルトガルと相互運用協定を結んでいる国のライセンスであれば米国のライセンスでなくても良い。事務官と技官による立合検査があり、それに合格しなければならない。私が運用した Hotel President(総統酒店)のマネージャー梁建動氏はハムに理解があり種々の便宜を計ってくれた。また地元の XX9WW, Jose Sousa氏も免許取得を援助してくれた。交信局数9,166局であった。(1986年5月記)」


写真16. (左)XX9UTのQSLカード。(右)XX9UTを運用するJA1UT林義雄氏(左から2人目)達。

JA5DQH奈木昭人氏XX9XXを運用した時の経験をレポートしてくれた(写真17)。「1985年11月、VS6でWW-CWに参加後Macaoに行った。運用場所はHotel Presidentの最上階21階で、アンテナは屋上に設置した。あらかじめHotelの最上階の予約と、屋上の使用については手紙でマネージャーの許可を得てあったので、広い屋上が自由に使えてFBであった(40m x 20m位の広さ)。海岸沿いのFBなロケーションで、電波の飛びはVY FBだった(TVIやBCIも問題なかった)地上高70m。


写真17. (左)XX9XXを運用するJA5DQH奈木昭人氏と、(右)XX9XXのQSLカード。

免許については、出発2ヶ月程前にMacau Post OfficeにMacauで運用したいという手紙と共にUSの免許のコピーとパスポートのコピーを添えて問い合わせを出した。すぐ返事があり「許可する」Macauに来たら正式な申請書を書いて出すことと記してあった。Post Officeに出した手紙のコピーを添えて、現地のハムXX9AN, Mr. Simoneにも手紙を書きHelpして欲しいことを伝えた。実際行って感じたことだがMacauの免許を得るのはかなり難しい(面倒くさいという意味)。先ずPost Officeに行って申請方法を聞き(申請はポルトガル語で書かなくてはいけない)。次に政府発行の用紙を買いに行く(Post Officeから2-300m離れた別の場所)。そしてその用紙にPost Officeで教えてくれたポルトガル語で一字一句違わない様にタイプする。申請書という感じでなく、ただの政府のマーク入りの白紙の用紙でそれに作文するという感じ。次に、また別の銀行のような所(2-300m 離れた所)へ行き、収入印紙みたいなのを買い、またPost Officeへ行く。こんな具合なので、初めて訪れた日本人ではMacauの免許を得るのは不可能に近い。どうしても現地のハムの協力が必要である。しかし、Post Officeの係官はとても親切で感じ良く、手紙の返事等も確実で早い。また、無線局を開局する際は検査(日本の100W以上の局の検査のようなもの)があり、申請した際係官から日時の指定がある。2-3日のペディでも必ず検査があり、私の場合は翌日の午前10時45分から検査すると指定された。約束した時間にPost Officeから2人の係官がホテルに来て、Power、TVI、リグの送信可能範囲、リグのシリアルNo.の確認等をした。この検査も、日本のような感じの検査でなく(私の500Wの日本の検査はもう10年以上前に行ったが、緊張した)なごやかなムードであった。30分位で終わる。コールサインについては、自分の希望でもらえるので、あらかじめ手紙で申し出るほうがよい(写真18及び19)


写真18. XX9XX奈木昭人氏の従事者免許証(コールサインは入っていない)。


写真 31-19. XX9XX奈木昭人氏の局免許状(機器名だけで免許人名が見当たらない)。

今回は160m-10mまでQRVしたが、10MHz、18MHz、24MHzも免許され、10MHzではMacao初の電波を出した。18mと24mは相手が無くNG。今回のPediは160m中心のPediでMacaoから160mのマトモな電波が出たのは今回が初めて。Input 800Wと70mHのInverted LでQRVし、160mで100局あまり、23カントリー、6大陸とQSOした。2日間で160m WACが完成するとは夢にも思わなかった。80m-10mはあまり力が入らず1,000局のDXとのQSOで終わった。今回は私一人の行動であり、リグ、リニア、ANT等70kg以上を一人で運んで疲れた。税関については、数人で Pediに行けば各人の荷物の中にリグを入れれば、何のトラブルも無くそのまま通過できる(目立つ荷物を持っていなければフリーパス)。しかし、一人で大きい荷物を持っていると係官に止められ、中を見られる。リグが見つかると絶対通過できない。私も1時間以上も止められ、やっと私だけが通され、リグ、リニアは税関止めになった。次の日、丸一日かけて、Import Permit及びExport Permitを取り、やっとリグとリニアが通関できた。Import PermitとExport Permitを取るのは、無線の免許を得る以上に面倒くさく、用紙を買いに行き、タイプし、朝9時から始めて夕方5時までかかった。現地のハムの協力無しでは無理。一番よいのは数人で各人の荷物の中にリグやリニアを入れて、知らん顔で通関するのが良いようである。(1986年1月記)」

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