2015年11月号

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JA8IUB 妙島美文さん

札幌市にお住まいの妙島美文さん。妙島さんがアマチュア無線を知ったのは、深川市に住んでいた中学生の時、クラスメートの1人がすでにアマチュア無線局を開局しており、そのJA8FYM江幡さんから話を聞いたことがきっかけだった。また親戚のJA8RR川島さんからも影響を受けた。高校に入学すると妙島さんはバスケットボール部に入部したが、たびたび物理クラブ(JA8YFD)にも出入りして興味を深め、高校1年の冬休みに深川市で開催された養成課程講習会を受講して電話級アマチュア無線技士のライセンスを取得した。当時は講習時間が長く、1ヶ月ほど講習に通う必要があった時代であった。

妙島さんはライセンスを取得後、中古のTX-88Dと9R-59Dを入手して開局申請を行い、高校2年の7月にJA8IUBのコールサインを受領した。免許が下りると7MHzのAMからハムライフをスタートし、毎日学校から帰ってくるとすぐに無線機に向かい、勉強そっちのけでアマチュア無線に熱中した。約1年間運用した後、高校3年の夏になり受験が迫ってきたため、勉強に集中するために妙島さんはやむを得ず無線機を手放した。しかし、無線機はなくなったものの勉強には身が入らず、結局我慢できなくなってポータブル機TR-1100を購入した。このトランシーバーは50MHz専用機で、特に冬場は遠方がほとんど聞こえないため、ローカルと少ししゃべる程度だったという。

高校卒業後は道内の大学へと進学。アマチュア無線クラブ(JA8YDO)に入部した妙島さんは学校のクラブからコンテストなどを運用した。また、下宿にもアンテナを設置し、FT-101で7MHzをメインに運用した。アンテナの高さを稼げなかったため、あまり遠くには飛んでいかなかったが、それでも国内QSOをメインに運用を続けた。

大学卒業後は札幌市にある会社に就職し、送電線の建設に携わった。しかも職業柄、出張で道内外を点々とし、さらにいつも長期出張になるため、2、3週間に1度くらいしか自宅に帰れず、思うように無線ができなくなってしまった。それでも、冬は出張が少ないため札幌勤務となり、春になるとまた長期出張に出るというパターンのため、比較的冬場はアクティビティを保つことができた。「年中、無線ができない環境だったことが、長く続けられている理由かもしれません」と話す。

ちょうど30年前の1985年に、札幌市清田区にマイホームを建てた。それに合わせてタワーも建て、HFその後50MHzのビームアンテナを乗せた。この頃は、HFでのDXハンティングと50MHzでのJCC、JCGハンティングを主に運用を行ったが、相変わらず出張が多く思うようには運用できなかった。1995年頃からは、出張中でもEスポシーズンになると、毎週末に車に乗って50MHzで道内の移動運用に出かけるようになった。礼文島や奥尻島などの離島からもオンエアした。アンテナは5エレからスタートし、7エレまで使った。理由は、道内の移動仲間同士や、東北とのQSOは地上波伝播になるため、アンテナのゲインが必要だったためである。


現在の妙島さんの自宅のアンテナ

道内での50MHzの移動運用の成果はコンディションに大きく左右され、1泊2日で1人で1,000QSO以上できたこともあれば、バンドがまったくオープンせずに移動運用仲間との2、3QSOで終わったこともあった。この頃に、移動仲間同士で、北海道6m愛好グループを結成した。この会では毎年秋に道内各地で1泊2日のミーティングを行い、今でも続いている。また同会は6mのアワードも各種発行しており、一番難関なものは、WACA、WAGA、WASA−VUHF、VU−10000、6mパーフェクト北海道アワード(北海道の全市区町村との交信)の5種類のアワード取得で達成する「6mゴールデングランドスラムアワード」だという。さらにこの年末には、デザイナーに依頼してアイヌ文様をデザインしてもらった新アワードを発行予定とのこと。(詳細はアワードマネージャーJJ8NNR佐竹さんへお問い合わせください)


新アワードのデザイン

妙島さんは2002年から6年間、道南の函館支店へ単身赴任し、隣接する北斗市の借上社宅にシャックを開設したが、借上社宅ではモービルホイップ程度しか設置できないため、6m移動運用仲間の助けを借りてリモート運用に挑戦してみた。北斗市の借上社宅から、札幌市の自宅にある無線機IC-7800をリモートで運用するものである。当初は自宅にある無線機とパソコンの電源は常時オンにして運用していたが、失敗談として「真夜中に大音量で無線機を鳴らしてしまい、家族に迷惑をかけてしまったことが数回ありました」と話す。

その後、インターネット経由でAC電源を入り切りする装置を入手し、無線機の電源はリモートでオンオフできるようにした。このリモートシステムを使って、妙島さんは14MHzや50MHzでSSBのラグチューを楽しんだ。時にはQSOの途中でネット回線が切れて通信不能になってしまうこともあったが、予めリモート運用であることを相手局に説明しておいた。さらに、その後はアンテナも回したくなり、移動運用仲間にソフトを作ってもらってリモートでアンテナを回せるようにした。

ただしパソコンに向かって行うリモート運用は、アマチュア無線家同士がインターネット経由でスカイプでしゃべっているように感じ、想像していた感覚と違った。リモート運用ができることを確認できたことと、交信相手に「こちらはリモート運用ですよ」と伝えない限り気づかないようなレベルで運用できたことに満足して、リモート運用はラグチューのみで終わり、DXのパイルに参加することは無かった。

函館支店への単身赴任から2008年に札幌に帰ってくると、ローカル局から共同シャック構築の話があり妙島さんも参画することにした。場所は札幌市に隣接する北広島市で、回りに人家の無い土地を共同で借り、皆で機材を持ち寄ってタワー4基と運用小屋を建て、各バンドのアンテナを設置した。ほぼ人工ノイズがない別宅シャックでワッチすると、自宅で聞こえない局も聞こえてきた。そのため、妙島さんは、自宅のHFのアンテナはロータリーダイポールに縮小し、HFは主に別宅シャックからオンエアするようになった。


北広島市の別宅シャックのアンテナ群。ここで1kW局を開設。

開局以来約45年間、細く長く運用を続けてきた結果、DXCCはMIXモードで現存全340エンティティとQSOを完了することができた。しかし、QSLカードが数枚未回収のところがあり、まだDXCCの申請は行っていない。もろちん簡単にできたわけではなく、色々と苦労もあった。一番の苦労はやはり出張が多く、思うようにオンエアできなかったことだ。出張に出かけるある月曜日の朝、千歳空港から飛行機に乗るために自宅を出るぎりぎりまで、当時未交信だったアベス島を呼んだ。近所の各局には次々とコールバックがあったが自分だけできなかった悔しさを今でもはっきりと覚えている。

一方、ブーベ島を狙ったときは冬季だったためスノーノイズがあった。毎日早起きしてワッチしたが、スノーノイズでブーベ島の3Y5Xは聞こえてこなかった。それでもあきらめずに毎日聞いた。すると、たまたまスノーノイズが止んだ時間があり、その時にSSBとCWでQSOすることができた。「雪国だけあってスノーノイズには本当に苦労しました。それでも幸いなことに雪でアンテナを壊されたことはありません」と話す。

妙島さんは、本年(2015年)年初に、メインリグとしてIC-7850を導入した。「IC-7800も発売直後に購入しましたが、この10数年間での、性能の格段の進歩を感じました」と話す。それまで使っていたIC-7800は、今は北広島市の別宅シャックで活躍している。今後の目標として、「6mのWAGAは完成したので、次はぜひWACAを完成させたいです。これは平成の大合併で市が増え、さらに東京の区の分も増えたため、まだ15市残っています。それから、6m DXCCを完成させたいです。HFでのDXCCはシングルモードで全エンティティを完成させたいです。それにSDRの活用にも取り組んで行きたいです」、と今後の目標を話す。

最後に、「今まで長くアマチュア無線を続けてこられたのは無線に理解のある家族と、また楽しく交信しあってきた多くの仲間たちとの出会いがあったからです」、と妙島さんは話す。

このコーナーでは、アマチュア無線の様々な楽しみ方に挑戦するハム(アマチュア無線家)を紹介します。
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