2015年11月号
連載記事
海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~
JA3AER 荒川泰蔵
その32 中近東地域へも進出 1985年 (5)
中近東地域へも進出
内戦や難民問題で話題の多い中近東地域は、石油などエネルギー資源の供給地として日本とは深い関係があるにも関わらず、この地域からの日本人の運用が比較的少ないこともあり馴染みが薄い。しかし、この地域で運用した数少ない人達のレポートから、その時代の地域の様子が伺える。今回は、先ずこの地域の2件から紹介する。
1985年 (ヨルダンJY9MG)
JR3XMG梅本雅生氏はヨルダンからJY9MGで運用した経験をアンケートで知らせてくれた(写真1)。「私は日本通運のプロジェクト、プラント輸送の監督として1985年10月末までの予定でヨルダンはアカバ(映画アラビアのローレンスで知られた)に滞在しております。ヨルダン入国前9K2ARより2nd OPでQRVした際、JY4MB, Mohamedと14MHzでQSOし、入国後、彼が免許申請等フォローしてくれました。JYでは、外国人ハムに対して大変寛大にライセンスを与えており、申請書に日本の免許番号、周波数、コール等を記入して、ライセンスのコピー添えれば、1ケ月程でライセンス(オペレータライセンス)が希望のコールサインと共におります(写真2)。JYは、リグはもちろん、必要な物が見つからず、いざ開局するのにとまどいましたが、JYのハムの方は大変協力的で、必要なものは何でも手配してくれ、おかげで1985年2月末からQRV出来るようになりました。JYのBureauのクラブ局JY6ZZでは、毎日JYメンバーがグランドQSOまたはOn Airしており、Foxハンティングなどや、記念コールでのサービス、AO-10などアクティブにされています。たとえ観光で1日訪ねたとしても、クラブコール或いはJY8のプリフェックス(ビジター用)のコールがすぐもらえ、私共には大変オープンであります。私のいるアカバは貿易港、アカバ港でのヨルダン、イラク向けの貨物の出入りのメインな小さな町ですが、アカバの海はサンゴの、又海水のきれいなので有名で、EUの各国からツーリストがたえません。冬は特に暖かく、避寒地としても知られています。(1985年5月記)」
写真1. (左)JY9MGのQSLカード。(右)JY9MG梅本雅生氏。
写真2. (左)JY9MG梅本雅生氏の免許状と、(右)携帯用免許状。(クリックで拡大します)
1985年 (バーレーン A92ES)
現在KN6RJでロサンゼルスからアクティブなJR6MTY坂本正彦氏(写真3)はバーレーン滞在時の活動についてレポートしてくれた。「A92には1983年10月末から1987年の10月まで4年間滞在していてARABのメンバーでした(写真4)。ライセンスが降りたのは1985年になってからだと思います(写真5)。取得に1年以上かかりましたが、CallはA92ES、General Classをもらい、21MHzで運用していました。Hamは殆どが外国人でリストには50名ほどいましたがアクティブなのは2, 3名(写真6の右)、現在の国王は、あの当時は皇太子でしたが、彼もHamでした。ただ、彼がHFに出たという話は聞いたことがありません。また日本人は私が初めてでした。その後、日本人が運用しているという話は聞いていません。(2002年1月記)」と、そして2015年3月にメールで追加情報を頂きました。「Bahrain のハム事情について 追加情報です。FacebookにBahrainのA92AA Fawaz Sulaibeekh氏がコミュニティーを作っておられたのでMessageを送って聞いてみたところ、以下のような返事が返ってきました。”Dear Masahiko, Thank you for your message and sorry for my delay. Officially, there is no amateur radio association in Bahrain as per to our local law. However, Bahrain Amateur Radio Group (BARG) is only a group of most hams in Bahrain. Hope to see you more in the band and also hope to see you soon in Bahrain. Best 73 Fawaz - A92AA” 私が滞在していた当時のRadio Club ARABは既に無くなっており、現在はBARGが Bahrain唯一のハムクラブのようです。もし どなたかA92でQRVを計画されるのであれば BARGの A92AAにコンタクトすれば情報が取れると思います。(2015年3月記)」
写真3. (左)A92ESのQSLカード。(右)A92ES坂本正彦氏。
写真4. (左)A92ES坂本正彦氏へのAmateur Radio Association Bahrain (ARAB)からの手紙と、
(右)ARABの会員証。
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写真5. A92ES坂本正彦氏への手紙と免許状。
写真6. (左) A92ES坂本正彦氏の機器輸入許可書。(右)1984年当時のARABメンバーリスト。
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1985年 (タイ HS0IYY, HS0C)
JA4HCK馬場秀雄氏はHS0IYY, HS0Cの運用経験をレポートしてくれた。このHS0IYYは国際青年年記念に運用された局で、国連本部局4U1UNが前年に運用した4U39UNのQSLカードにもその「国際青年年」を周知するデザインが施され、国連が記念切手の発行も行った(写真7)。「日本ユニセフハムクラブがDXペディションのために申請。HS0IYY は国際青年年記念局で11名が参加。HS0C のCはChildrenの頭文字で13名が参加。いずれも運用はAITセンターで行われ、ユニセフ研修と運用を交互に行った。(1987年6月記)」
写真7. (左)「国際青年年」の意義を説明した、国際青年年記念切手の発行案内書。
右上に国連ウィーン事務所発行の記念切手が貼られ、初日の記念消印が押されている。
(右)1984年10月14日の第39回国連の日に、国連本部局が運用した4U39UNのQSLカード。
翌1985年の「国際青年年」をPRするデザインになっている。
故JH8MWL広本啓子氏はHS0IYYを運用したと、その時タイで撮影した暁の寺院の写真で作ったQSLカードと共にレポートしてくれた(写真8)。「ユニセフハムクラブのメンバーで、すべてクラブで計画したペディションに参加したものですが、1985年の国際青年年の特別局HS0IYYを運用する幸運に恵まれました。しかし免許を得るまでの苦労は大変なもので、日本を出発する直前まで電報が届かず、ヒヤヒヤの連続だったそうです。また、通常アマチュア無線は禁止だったので、われわれの許可を知らない人が軍に通報して、武装した軍人たちにシャックを突然訪問されびっくりした話もあります。(1987年4月記)」
写真8. HS0IYYを運用したJH8MWL広本啓子氏のQSLカード。
タイのバンコクにあるワット・アルン(暁の寺)の写真が使われている。
1985年 (フィリピン DX1IYY, DX7SEA)
故JA3UB三好二郎氏は、ユニセフハムクラブのメンバーが国際青年年を記念したDX1IYYの運用を行ったと、写真とQSLカードを送ってくれた(写真9)。(1991年8月)
写真9. (左)DX1IYYを運用するJA3UB三好二郎氏と、(右)DX1IYYのQSLカード。
JA4HCK馬場秀雄氏は、1985年11月にCebu Cityで開かれたSEANETコンベンションに参加して、特別局DX7SEAを運用したと、QSLカードを送ってくれた(写真10)。(1987年6月)
写真10.(左)SEANEコンベンションへの案内状と、(右)DX7SEAのQSLカード。
故JA3UB三好二郎氏も、SEANETコンベンションに参加してDX7SEAを運用したと、写真を送ってくれた(写真11)。(1991年8月)
写真11. (左)DX7SEAの無線室にて、V85HG, Hassan(右側)とポーズをとるJA3UB三好二郎氏。
(右)DX7SEAを運用する、JA3UB三好二郎氏。
1985年 (ブルネイ V85NL)
JA4ENL武政款士氏はV85NLの免許を得て運用したとレポートしてくれた。「第1回目は1985年12月に約1週間、首都Bandar Seri Begawanのホテルから運用しました。以前から交際していた友人の協力により、出発半年前より必要な書類の準備を行いました。当時は申請から許可までVisitorに対してはかなり制約があり、現地の協力者がなければRigの持ち込みは困難でした。到着後はTelecomにて提出済の書類の確認、署名を行いましたが、免許状は翌日まで待たされました(写真12)。また今年(1994年)3月に再度訪問する機会があり、免許の再申請を行いました。今回はV85SS, Ambranの好意により、4日間彼の家に滞在する事になり、この間、家族との交流や地元ハムとの意見交換の余暇時間を利用して、時間の許す限り運用しました(写真13)。(1994年11月記)」
写真12. V85NL武政款士氏の免許状。
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写真13. (左)V85SS, AmbranのシャックにてV85NL武政款士氏(左側)。
(右)V85SS, Ambranご夫妻のホームに招かれて、一緒にくつろぐV85NL武政款士氏(右端)。
1985年 (マリアナ諸島 JR2BEF/KH0)
JR2BEF鈴木康之氏は、サイパン島からJR2BEF/KH0で運用した経験をアンケートで寄せてくれた。「1985年6月に初めてのDXバケーションに出かけました。現地でエンジニアをされている、KH0AB(ex.KG6RO)リョウ・大川OMに、大変お世話になりました。宿泊先のハイアット・リージェンシー・ホテルには、2mのレピーターが上がっていました。当時、ホテル客室内の電源のレギュレーションがあまりよくなかった(通常110V程度で深夜早朝は200V近くになる)ので、客室からの運用をあきらめて、レンタカーを借りて町外れのビーチや、島の最高峰タボチョ山の中腹(標高推定250m)に移動し、50MHzと21MHzを運用しました。島の各所に残る太平洋戦争の痕跡に心を痛めました。なお、1988年にFCC規則が変更になり、相互運用に際してはIDをKH0/JR2BEFの様に行うようになっています。(1992年5月記)」
1985年 (グアム N7DUU/NH2)
JF3PLF杉浦雅人氏は、グアム島からN7DUU/NH2での運用をレポートしてくれた(写真14)。「同行したのはJR3LSV、私の中学時代の友人です。彼は観光が主目的、私は無線が主目的。でも、お互い歩み寄ってFBな旅になりました。ちょうど日程がALL ASIAN CONTESTと重なっていたので、コンテストも楽しめました。大きなホテルだったので、アンテナをはらせてもらえるか心配していましたが、OKしてもらえました。観光の合間をぬって、約800局と交信できました。 持っていったリグはIC-730、アンテナは7MHzのダイポ-ルを使いました。(1987年2月記)」
写真14. (左)N7DUU/NH2を運用するJF3PLF杉浦雅人氏と、(右)N7DUU/NH2のQSLカード。
1985年 (ハワイ KA7LER/KH6)
既に7月号の(その28)で紹介済みのJA5DQH奈木昭人氏(写真15)であるが、ハワイからKA7LER/KH6のコールサインでの運用についてもレポートしてくれていた。「1985年4月18日から29日までハワイに滞在した。この旅行の1つの目的は、U.S.のライセンスのUpgradeで、4月20日の8時からカネオという町でExam.を受けた。General からExtra まで受験しパスしたので、その日からオアウ島のWH6W井上さんの所や、マウイ島の KH6DW, Frankの所からQRVさせてもらった。(1985年6月記)」
写真15. (左)KA7LER/KH6を運用したJA5DQH奈木昭人氏と、(右)ダイアモンドヘッドから、ワイキキビーチやホノルルのダウンタウンを望む風景(1985年JA5DQH奈木昭人氏撮影)。
海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~ バックナンバー
- その45 タイで第16回SEANETコンベンションを開催 1988年 (1)
- その44 CQ誌の「N2ATTのニューヨーク便り」 1987年 (6)
- その43 記事執筆を励まされるもの 1987年 (5)
- その42 相互運用協定の恩恵 1987年 (4)
- その41 海外運用の後方支援 1987年 (3)
- その40 CEPTその後 1987年 (2)
- その39 相互運用協定が拡大 1987年 (1)
- その38 当連載では日系人も紹介 1986年 (4)
- その37 国際平和年 1986年 (3)
- その36 大学のラジオクラブが活躍 1986年 (2)
- その35 多様な国々からQRV 1986年 (1)
- その34 日本人による海外運用の記録をCQ誌に連載開始 1985年 (7)
- その33 IARU第3地域国際会議 1985年 (6)
- その32 中近東地域へも進出 1985年 (5)
- その31 中国への支援や指導での友好関係が延々と今に続く 1985年 (4)
- その30 JLRSのYL達が活躍 1985年 (3)
- その29 国際連合創設40周年 1985年 (2)
- その28 米国で日本との相互協定による運用許可開始 1985年 (1)
- その27 アマチュア衛星通信が盛んに 1984年 (3)
- その26 肩身の狭い海外運用 1984年 (2)
- その25 免許状 1984年 (1)
- その24 FCC 1983年 (3)
- その23 CEPT 1983年 (2)
- その22 世界コミュニケーション年 1983年 (1)
- その21 ユニセフアマチュア無線クラブの活躍 1982年 (2)
- その20 米国で日本の経営や品質が見直された時代 1982年 (1)
- その19 青年海外協力隊員が海外運用でも活躍した時代 1981年 (2)
- その18 相互運用協定への聴問会が開かれる 1981年 (1)
- その17 日本人によるDXツアーが始まる 1980年 (2)
- その16 1980年代の概観 1980年(1)
- その15 国際クラブ・JANETクラブ発足 1979年
- その14 海外運用のグローバル化・筆者米国へ赴任 1978年
- その13 バンコクでSEANETコンベンション開催 1977年
- その12 国連無線クラブ局K2UNの活性化 1976年
- その11 米国で日本人にも免許 1975年
- その10 戦後初のマイナス成長 1974年
- その9 変動為替相場制に移行 1973年
- その8 企業の海外進出 1972年
- その7 初回SEANETコンベンション開催 1971年
- その6 大阪万博の年1970年
- その5 海外運用の黎明期(3)1969年
- その4 海外運用の黎明期(2)1968年
- その3 海外運用の黎明期(1)1965~1967年
- その2 20世紀後半の概観
- その1 プロローグ