2016年9月号

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JA7GYP 古田慶一郎さん

ハンドメイドを楽しみながら、DXハンティングにも熱心な秋田市のJA7GYP古田さん。小学校5年生の時、隣人の自転車バイク作りを手伝ったことで機械いじりから入り、その後電気に興味を持った。中学生になると短波ラジオを作り、アマチュア無線の交信も受信して興味を持ったものの、秋田ではアマチュア無線技士の国家試験が実施されていなかったこともあり、受験する機会に恵まれなかった。高校生になり、父親と親交のあった同郷の故JA7AO松本さんが「そんなに好きだったら受験させたら」と進言してくれたことから、1968年、高校3年生の時に仙台まで出かけて電話級国試を受験しライセンスを取得した。

高校卒業後は東京の専門学校に進学し、学生寮の仲間達に勧められて同年の11月にJA7GYPを開局した。「将来のUターンも考慮して、7エリアのコールサインが欲しかったので、湯沢市の実家を常置場所にして開局しました」と話す。当時は、ハム人口が急増し始めた時代で、古田さんは井上電機製の6mトランシーバーFDAM-3などを使い、学校の仲間や都内近郊の局とラグチューを楽しんだ。

専門学校を卒業後は、プロの無線界へ夢を募らせ1970年に渋谷にある放送局へ就職したものの、送信技術とは別の番組制作技術に配属となりドラマ制作に明け暮れる毎日が続いた。この頃に仲間のDX交信に感動を覚え、都内の高台のアパートに移り住み、アパマンハムとして21MHzでDX QSOを始めた。その頃の交信相手の一人K6QPE Nickさんとは毎朝のようにQSOを1年程続け、英語が少しは通じる様になってアマチュア無線が増々好きになっていった。「DX QSOで知り得た多くのハムとのアイボールを通し、社会勉強となる素晴らしいハムライフが5年程続きました」、と話す。

その後、結婚や仕事や忙しくなり、しばらくQRTしたが、1989年に郷里秋田への転勤をきっかけにDXを再開、2年後には長年の夢であったタワー付シャックを建築し、ローテーターが壊れるほどアンテナを回してDX QSOに明け暮れた。しかし、それも束の間の単身赴任となり、週末に帰宅して無線機へやっと火が入るような年月が続いた。アマチュア無線への興味が薄れ始めた2000年には縁があって地元秋田のDXクラブ「ADXA」へ入会した。各種ミーティングに参加する中で、著名なDXerやADXAメンバー達から、DXペディションの情報やDXノウハウ、技術情報などの教えを受けてDXCCレースへ挑戦する事になった。

DXCCの申請についてはLoTW(Logbook of The World)が簡単便利と聞き、2008年にログをLoTWのサーバーにアップロードーしたのが始まりとなり、以来LoTWのみで各バンド、各モードのDXCCを取得していき、2014年6月には5Band DXCCを受賞。2016年3月には、Mixモードでの#1オナーロールメンバーとなった。現存最後のエンティティは、南サンドイッチ諸島で、2016年1月に実施されたDXペディション局VP8STIとのQSOだった。


現在の古田さんのアンテナ群

そのほか、古田さんは海外運用にも興味を持ち、特にミクロネシア連邦ポナペからは2009~2013年の間に5回も運用した。「赤道近くのポナペはリーフが美しく世界一、山もあり水も豊富、ブルーグリーンの海は透明でサンゴや熱帯魚がクルーザーから手に取るように見られ、ランの花々が咲き誇る海洋性熱帯気候、まさに南海の桃源郷です。ポナペには仙台からですと途中グアムで一泊、そしてチューク経由となり、機内食や高級ワインを味わいながらの空路の旅になります」、と航路を説明する。

一方、古田さんは、「ハンドメイドが生き甲斐です」、と話すように、小中学生の頃から真空管ラジオや真空管オーディオアンプの製作を通して電気工作の感動に目覚め、就職後の放送局の職場でも知恵を働かせてマルチオーディオVTR、フリッカーレスの蛍光灯点灯装置、インカムタリー無線伝送システム、ニュース取材小型中継車などのプロ用の機材を製作するなど、自作の夢をプロの世界でも果たしてきた。最近では40m Bandオートダイン1-V-1のMT管受信機、IC-7000用のデジタルインターフェース、160m用BPF、クリスタルマイクFETヘッドアンプ等々、千差万別で自作を楽しんでいる。

古田さんは新しいバンドへも挑戦している。WARC12で配分が決まった475kHz帯だが、古田さんは中波であるこのバンドを時々ワッチしてみたが何も聞こえず、どんな伝搬で何時頃にオープンするのか大変興味を持った。そこでイの一番にこのバンドの免許を得ようと考え、2013年4月頃から準備を進めていった。しかし、送信出力とアンテナの高さ規定、半径200m以内に民家等が無いこと、そして新スプリアス規定という難しい条件のクリアが必要だった。

送信機については水晶発振子をアマチュア周波数のものに差し替えるだけで、475kHz帯の電信モード(A1A)でオンエアできる出力50WのJRC製プロ用送信機NSC-17の中古品を購入。入手後はNSC-17のパネル面を磨き、ツマミの洗浄、エアガンによる基板の清掃、半田クラックの目視確認などと時間を掛けて点検した。プロ風味を活かすために、受信機も含めてオールJRC製で統一し、システムとして組み上げた。


上が送信機のNSC-17、下が受信機のNRD-535D

「この送信機は水晶8chの発振回路を備え、ファイナルは2SC2433のSEPPのD級動作で、出力はA1Aで50Wです。ファイナル負荷は2Ωで、アンテナマッチング用のローディングコイルとして送信機内部にバリオメーター(可変延長コイル)が使われており、2Ω+600pF(シリーズ接続)の負荷が必要でした。この送信機の出力端子から2Ω:50Ωのステップアップトランスと600pFのコンデンサーを内蔵させた自作のインピーダンス変換BOXへ接続し50Ω給電の出力を取り出しました。また、この他にもDC24Vの電源コネクターの交換、パイロットランプ(黄LED)、キージャックの取り付け改造や送受切替器を追加するなどで完成させました」、と古田さんは説明する。


NSC-17の内部

「変更検査では新スプリアス規定が適用されるため、シャックのスペアナでスプリアス測定し、すべてのスプリアスが -50dBm以下となるようにπ型4段の3倍波トラップ付きLPFを自作し、スプリアス低減に努めました」


自作したLPF(ローパスフィルター)

「475kHz帯のアンテナ高は送信出力50Wの場合、7m高の垂直アンテナでEIRP 1Wとするシステムが総通より指定されました。この7m高の垂直アンテナにマッチングさせるために延長コイルとして、塩ビパイプφ214mm、長さ450mmへ1mm銅線を82回巻きで固定コイルとし、その内側にφ60mm、長さ140mmへ1mm銅線を31回巻きで可動コイルとしたバリオメーター(可変延長コイル)を自作、可変範囲は1.78mH~1.88mHでした」


自作したバリオメーター

「475kHz帯のアンテナとして同調させるために7m高のアンテナと自作バリオメーターを接続し、これと検査場所に打ち込んだアース間のインピーダンスZをアンテナアナライザー(AA-30)で測定しました。Z=R±jXのjXをゼロとなるようにバリオメーターでインダクタンスを調整した結果、Z≒100Ωでした。このZ≒100Ωはアース条件によって変動しますので、タップ付トランスを自作してアンテナ基部でZ変換し50Ω給電としました」、とアンテナ系の詳細も説明する。


自作のタップ付きトランス

2015年2月19日の午後、秋田県大仙市で半径200m以内に民家等が無いJA7NI冨樫さん所有の山中で、東北総合通信局の2名の検査官により、冨樫さんのJA7NIと古田さんのJA7GYPの変更検査が行われた。

これは全国初/東北初となった475kHz帯の検査で、まずトップバッターとして古田さんが受検。指定周波数、電力、スプリアスの順で、すべてスペアナによる測定が行われた。「周波数測定に続き、電力測定は自前の通過型電力計SP-220(WELZ)の指示とほぼ同等、いよいよスプリアス測定の項目となり、第二、第三の高調波のピークが気になりキーダウンしながら検査官のスペアナをそっとのぞいてみました。自作のπ型4段のLPFの性能発揮はどうかドキドキでした」、と古田さんはその時の様子を話す。

スプリアス検査はきびしく、新スプリアス規定に沿って行われた。まずは中心周波数付近の帯域内を測定、続いて帯域外領域、そして第二、第三高調波も含めたスプリアス領域で計12か所ほどdBm、Wの項目に記入されていた。また、このスプリアス測定は時間が長く、古田さんは送信機の発熱が気になり、時々通過化型電力計の針に目を配った。「40分位たって「終了です」との検査官の声に「送信機よ、がんばったな」との思いでした。その後、検査官より「スプリアス等についてはすべて許容値内です」の報告を聞いたときは、安堵の瞬間でした」、と話す。

続いて冨樫さんが自作した真空管ファイナルの送信機の検査となり、こちにらも無事に終了、最後に2局間で実通信を行い検査が終了した。終了後は急ぎ機材の撤収を行い、冨樫さんの自宅に移動して受検した2局に対して検査の判定が行われ、結果は「指示事項なし」の「合格」となった。そして無線局検査結果通知書(変更検査 合格)と無線局免許状(475kHz帯の運用場所指定)及び無線局免許証票が手渡された。

現在、古田さんが一番力を入れているのは、160m DXCCの完成。(現在90) 「160mは運用を開始してから10年近くになり、今年こそはタワーシャントフィードによるアンテナと、リモートチューナーなど自作したシステムを使い160m DXCC取得に向けて頑張ってみます」、と話す。


リモートチューナー方式のタワーシャントフィードのマッチングセクション

古田さんは将来の目標として、1. 3人の孫たちをハムのタマゴにして、このシャックから電波を発射するDXサーとして成長させること。2. モード別DXCCであるCW、PHONE、DIGITALでオナーロールを受賞し、それぞれのプレーク(盾)を手に入れる事。3. 現在のシャックをスマートフォンによるリモート化すること。4. 技術職場で培った電子工学のノウハウを活かし、老化防止を兼ねて自作を続けること。の4つを挙げる。

「これまでアマチュア無線を中心とした人生を歩んで来られたのは「ハム仲間とのFBな出会い」があっての事と信じています。小学生の頃から夢に見た世界に向けて電波を発射するために、アマチュア無線局JA7GYPを1968年に開局してから間もなく半世紀になります。2012年にリタイアしてから無線三昧の日々ですが、見知らぬハムも友として語らい「King of Hobby」を楽しみたいと思っています」、と古田さんはアマチュア無線への熱い思いを話す。

様々な自作品を紹介している古田さんのBLOG
http://ja7gyp.air-nifty.com/hamradio/

このコーナーでは、アマチュア無線の様々な楽しみ方に挑戦するハム(アマチュア無線家)を紹介します。
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