2014年3月号

トップページ > 2014年3月号 > JA1MVK 加藤久二さん






左は自作の135kHz用ローディングコイル

JA1MVK 加藤久二さん

「アマチュア無線の楽しさは、色々な職業の人と話ができるし、初めて会う人とも話が合うことです」、と話す加藤さんは、81歳になった今でも一人でタワーに登り、アンテナのメンテナンスを怠らない。

大阪に住んでいた1947年頃、雑誌「子供の科学」を読んだことがきっかけでアマチュア無線に興味を持った中学生の加藤さんは、淀屋橋にあったCIE図書館に通って、QST誌や米国のCQ誌などを読みあさったという。その頃からラジオの自作を始めたが、高校に入学すると、日本橋まで歩いて行ける距離に校舎があり、下校時にジャンク屋を見て回れるなど環境には恵まれていた。

加藤さんはラジオの自作を重ねるうちに自分で電波を出してみたくなり、大学生の時に免許を取得する。すぐに送信機を組み立てて、1954年に大阪市旭区でJA3EKを開局した。運用は当時まだスポット割り当てだった7MHzのAMから始めたが、数年後には50MHzの伝搬に興味を持ちAM送受信機を作った。当時は折しもサンスポットサイクル19のピークで絶好のコンディションだった。

ある日、いつものように50MHzをワッチしていると、ブラジルPY3BWのCQを受信、直ちに応答してQSOを成立させた。これが当時の50MHzにおける遠距離通信の世界記録となり、毎日新聞にも掲載された。しかしこの大記録も4日後に九州のJA6FRに破られたため、わずか4日間だけのワールドレコードホルダーだった。その後加藤さんは、当時としては大型の28MHz用5エレビームを自作し、このアンテナを駆使してシングルバンドでWASを完成。さらに日本のCQ誌が主催したコンテストでは1位になるなど、抜群の成果をあげた。

1963年に仕事の関係で川崎市に転居するとすぐにJA1MVKを開局し、その後現在に至るまで1エリアからオンエアしている。最近では、135kHz帯に興味を持ち、CWだけの運用でJCC100の完成も近づいてきた。さらに近い将来開放される見込みの470kHz帯についてもいつでも変更申請ができるように準備してある。一方HF帯では、RTTYモードでの300エンティティとの交信と、DXCCオナーロールメンバーになることを当面の目標に掲げ、日々運用を行っている。

このコーナーでは、アマチュア無線の様々な楽しみ方に挑戦するハム(アマチュア無線家)を紹介します。
自薦も歓迎しますので、info@fbnews.jpまで、写真1、2点と紹介文(300字以内程度)を添えてご送付下さい。
採用させていただきました方には粗品を差し上げます。
バックナンバー

頭の体操 詰将棋

3人娘アマチュア無線チャレンジ物語

  • 連載記事一覧
  • テクニカルコーナー一覧

お知らせ

発行元

発行元: 月刊FBニュース編集部
連絡先: info@fbnews.jp